水害記念碑・手取川水辺のプラザ総合topへ戻る | |
明治29年8月の水害記念碑 |
手取川水辺のプラザ |
手取川の水害記念碑 能美市には、2基の水害記念碑と1基の水害復興記念碑があります。山田町の2番堤防には明治29年8月の大洪水を記したもの、粟生町の右岸堤防には昭和9年7月の大洪水を記したものです。水害復興記念碑は徳久町にあります。当時の大洪水の悲惨な状況が記されています。山田町の2番堤防にあるこの水害記念碑は、明治29年8月の大洪水の悲惨な状況を記したものです。「近来未曽有の水量」であり「延長数百千間を破壊し、堤防らしきもの跡を止めない」集落の北西の耕地は、ほとんど流され、荒地となってしまいました。と記されています。又、「昭和9年7月の大洪水は、明治29年を上まわる最大級の物であった。諸堤防を決壊して各地に入川した。家屋の流失、浸水とともに田畑を石原にしてしまった。この水害は永久に忘れることのできない惨事であった」と記されており、手取川ダムと、大日川ダムができるまでは手取川が大変な暴れ川だった事が伺えます。昭和9年7月の水害復興記念碑が徳久町にあり、粟生町の手取川右岸の堤防に水害記念碑があります。現在、山田町の2番堤防には手取川水辺のプラザがあり、市民のいこいの広場となっています。 明治29年8月の水害記念碑・能美市山田町地図 昭和9年7月の水害記念碑・能美市粟生町地図 |
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