《Bali 爆弾 テロ (2回目) 》
バリでまた連続爆弾テロ (地元のジャカルタ新聞より)
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週末の観光客でにぎわっていたバリ島クタビーチ近くのレストランとジンバラン海岸のシーフード・カフェで、
バリ時間の一日午後八時(ジャカルタ時間同七時、日本時間同九時)ごろ、大型の爆弾が連続的に炸裂、
日本人観光客一人を含む二十六人が死亡、ジャカルタ在住の在留邦人ら日本人五人を含む百二十人が
重軽傷を負った。(2005年10月1日 午後 8時)
バリ島では二〇〇二年十月にクタビーチのレギャン通りで二百二人の死者を出す爆弾テロが起き、以後、
ジャカルタのホテルと豪州大使館で起きたテロも含め四年連続となる四回目の大型テロ。今回も、東南
アジアに拠点を置くイスラム過激派組織ジュマ・イスラミア(JI)のグループの犯行とみて、現場に残された
三人の自爆実行犯の顔写真などを手掛かりに組織の実態を解明するが、テロに汚染されたインドネシア
のイメージ低下は否めない。
一日午後八時(現地時間)ごろ、バリ島クタビーチ近くのクタ・スクエアのレストラン「ラジャス」の一階で、
大型の爆弾が炸裂し、三階建てのレストラン内部はめちゃめちゃに破壊された。 土曜日の夜で店内は
ほぼ満員。 食事を楽しんでいた観光客が爆弾の破片や強い爆風の直撃を受けて死亡し、多数の人が
重傷を負い、デンパサールのサンラ病院などに運び込まれた。
バリ州警察対策本部の二日夕の集計では、死者は二十六人、重軽傷者は百二十人に及んだ。
このうち日本人五人が巻き込まれ、新婚旅行で訪れていた八戸大職員の川崎昭雄さん (五一、青森県
黒石市出身)が死亡した。妻の恵美さん(四二)は肩を負傷した。
また、バリの親戚を訪問し、家族そろって食事をしていたジャカルタ在住の松田祐介さん(三五)と妻の
ラティさん(三四)、長女(八)、松田さんの弟、武彦さん(三四)らも爆風で吹き飛ばされ、ラティさんは死亡、
祐介さんと武彦さんは重傷を負って、集中治療室で治療を受けている。
現場はクタ・ビーチ南部のクタ・スクエアにあるマタハリ・デパート脇の商店街。幅二十五メートルの道路
に軒を接して商店が密集し、三階建てのレストラン・ラジャスから一軒おいて右が日本の旅行会社「エイチ・
アイ・エス(HIS)」の事務所になっている。
爆風でラジャスのテラスの屋根ははがれ落ちた。反対側の洋装店のショーウィンドーが破壊され、道路
いっぱいにガラスが飛び散った。
ラジャスは若者の観光客が多いクタで最も人気のある店の一つ。土日には、予約が必要なほど混み、
観光客だけでなくバリ在住の邦人らも頻繁に利用するレストランだった。
ラジャスの二階席で食事をしていた日本人客によると、爆弾の直撃を受けた一階には、日本人らしきカッ
プルが一組がいた。
爆発が起きると同時に停電になり、部屋中に煙があふれ、店内はパニックになった。カップルの女性は
顔から血を流し、一緒にいた男性を捜していた。 二階の客はテラスから店の外へ逃げた。 一階にいた
インドネシア人が机や椅子を重ねて、脱出を助けたという。
一方、この爆発より少し前、クタから南約十キロのジンバランのホテル・フォーシーズンズの前の海岸
に広がるシーフードカフェの客席でも二度にわたる爆発があり、テーブルを囲んでいた観光客十数人が死
亡、多数が病院に運び込まれた。
警察が現場を捜索したところ、他に二つの不発弾が見つかった。 現場は、ホテル・フォーシーズンズ前
の海岸の砂浜に約二百メートルにわたって椅子とテーブルを並べた屋外レストラン。 約十一店が軒を並
べている。
シーフードカフェ「メネガ」の七軒隣のカフェで魚を焼いていたクトゥットさん(二八)によると、土曜の夜と
あって、韓国人のツアー客など多数の外国人観光客が観光バスで詰めかけ、テーブルはかなり混み合っ
ていた。
最初の爆発はほぼ中央部にあるカフェ「メネガ」で起きた。 周りが騒然となった瞬間、レストラン街の南
端のカフェ「ニョマン」で二度目の爆発が起き、ワインを飲み、シーフードを食べていた客が椅子から飛ば
され、砂浜に倒れた。
ばらばらになった死体が数十メートルも、肉片となって飛び散った。 客も店員もパニックになって逃げ
まどった。
クトゥットさんは「最初は驚いて動けなかった。二回目の爆発で急に正気に戻って慌てて逃げた。
家族連れも多い、静かな店なのに、なぜテロの標的になるんだ」と話した。
一夜明けたカフェは、ワイングラスや料理の皿が乗ったままのテーブルやイスが そのまま保管され、
破壊されたテーブルは、波にさらされていた。 近くの樹木の枝に、無数の人間の肉片が ぶら下がり、
警官らが棒を使って肉片を取り除く作業を行っていた。
2006年はいつ? どこで?
不謹慎の誹りを免れないが外国企業が密集する工業団地で土曜の深夜
不謹慎の誹りを免れないが外国企業が多く入所している オフィス ビル?
過去のインドネシアで起きたた大きな爆弾テロは毎年発生しています。
それも、毎年後半に起きている。バリは10月が最も危険? 自爆志願者調達と準備に1年間必要?
2002年10月12日 バリ島クタでディスコ爆破テロ、202人死亡。
2003年 8月 5日 ジャカルタ・マリオットホテル、 12人死亡。
2004年 9月 9日 豪州大使館前で爆弾テロ、 9人死亡。
2005年10月 1日 バリ島クタでレストラン爆破テロ、26人死亡。
Bali クタ 地区の現場
2005年 10月 1日 午後 8時(現地時間) にバリ島の
クタ地区で起きたバリ島2回目の同時爆弾テロ現場
爆破された サリ・クラブ (1)
爆発の起こった場所はバリ島クタ地区のレストラン
『ラジャス』。右画像は今回の爆弾テロで犠牲になった
川崎昭雄さんの遺体とともに帰国、ストレッチャーで搬送される妻の恵美さん。