リマの日本大使館前にある
故加藤明氏(1965年ペルーに渡り
無名だったぺルーの女子バレーボールを
世界的なレベルにまで高めた名コーチ。 
49才の若さで逝去された) を讃える
バレーボールの記念碑。

南米紀行 エピローグ

スーパーツアーコンダクターの資格を持つ添乗員さん
英語、スペイン語、中国語ペラペラの正にキャリヤウーマン。
どんなトラブルもテキパキと処理し、ハプニングを想定しての 
準備は万端。公私を見事に切り替える彼女。「困っている中国の人を 
同じアジア人としてほっておくわけにはいかないでしょ。」と言う彼女。 
世界を飛び回っているベテラン添乗員さんのグローバルな
プロ意識に脱帽でした
。 

リオの現地案内人
ブラジルの国花が
イッペイだと教えて
下さいました。

イグアスの滝の現地案内人
ビショビショに濡れながら
各々のデジカメを次から次へと 
引き受けて撮ってくださいました。
 

イグアス滝の遊歩道を
早朝掃除なさっていました。
”Good morning."と挨拶すると
親指を立ててブラジル風OKの 
合図を返して下さいました。

リマの現地案内人 
お料理の名前を沢山
教えて下さいました。 

ペルー放送局のアナウンサー 
パチャカマ遺跡の近くで音楽祭に 
遭遇し、日本にも行ったことがある 
とかで昴を熱唱してくださいました。

クスコの現地案内人 
財布を紛失して大変
ご迷惑jをお掛けしました。 
有難うございました。 

高原列車ビスタ号で曇りを拭いて 
くださったお兄さん。早朝はすごく 
冷えるのです。 

グッバイボーイ(あいにくのシャッターチャンス)
バスよりも早くマチュピチュ遺跡から駆け下りて 
角々でバスに手を振り、最後にバスに乗り込んで来て
チップを稼ぐ少年達の一人。チャスキ(インカ時代の飛脚) 
の子孫かと思いきやバスの運転手の息子だとか? 

イカのミニ動物園で木に登って 
ナタマメを取ってくださったお兄さん。 
言葉は通じなかったけれどはにかみなながらも 
どこか純朴で誠実な感じの青年でした。 

ビスタ号の車掌さん兼
ウエイトレス兼、
アルパカのモデルさん。
髪型の変化一つで
雰囲気がガラリと変わります。

サンパウロのアドミラルズ・クラブ・ラウンジ

アドミラルズクラブ(Admirals Club)は、アメリカン航空が提供する 空港ラウンジサービス。  
ちょっとセレブな雰囲気でスイーツやソフトドリンクは無料。トイレの金具もなんと金(メッキ)  
さらにランクアップしたエグゼクティウブ・ラウンジ と言うのもあるそうな。。 

”Welcome to our restaurant"
僕を撫でる代わりに僕の背中で
靴の泥を落してね〔ブラジルにて) 

バッグの盗難防止用ベルト
(リマのホテルの食堂にて)

クスコのホテルでは
軽度の高山病のせいか
頭痛のため一睡も出来なかった。 

クスコのお祭りの山車
ペルーでは5月半ばから6月の
インディ・ライミ=太陽の祭りまで
各地で祭りが続く

ペルーは常に建築中?

ペルーではほとんどの建物や家々の屋根から
鉄筋の柱がむき出しで突き出ています。
建築中の物件には5年間家屋税が掛からない
ので税金対策のためなのです。

抜き取り防止の安全パック 
ロシア行きのスーツケースには
念のため。1パック15$也。 
(リマ空港にて)

MRS.岩鶴は本日19/06/'07, 
わが社のセスナ機に搭乗し神秘的且つ、 
伝説的なナスカの地上絵の上空を飛行 
したことを証明する。(Aero Condor社) 

I'll  コース番号JA5502A のお仲間。
旅の徒然の世間話にも花が咲く同世代
の良きお仲間でした。

旅に出て世界の事情垣間見る。

皆様 大変お世話になりました。おかげさまで心に残る旅ができました。
有難うございました。お父さん今年は南米に行ってきました。感謝です。

お世話になった人達

旅のあれこれ