山野と人間 本原〜丸善団地ルート2


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ウォーキングに関わる記事は難しい。考えてみてほしい。ただ歩くだけなのだ。そのままでは他者が読んで面白かろうはずがない。
だからやおら美味い店の紹介などを絡めて書いてみた。読者にとって有用な情報を盛り込むわけだ。……なさけない。これを禁じ手とした。
するといよいよ書くことに窮する。
こうした自虐的な条件を文章に課しているうちに、不思議な変化が起きた。文章の行間が詰まってきはじめたように感じた。ものを書く人間は言葉を並べることはできても、行間を満たすことはできない。対象に対する愛着なくしては満たされるものではないのだ。内心は露呈する。文章はそんな表現ツールだ。
行間の変化は、歩くことそのものを私が好きになったことに起因する。

橋を右折して出る通り。


しばらく進むと、道の中央に川が流れる場所につく。

ここを赤いラインのように進み、階段を登り始める。


歩きが楽しめるようになった。
体重も減って体が軽い。ピーク時から6キロダウン。この1か月で1.5キロダウンだ。自慢じゃないが、これまで6キロのウエイト背負ってエクササイズを重ねてきたようなものだ。ぶら下げていた2リッターのミネラルウォーター3本を捨てて歩く。そんな爽快を味わっている。


エクササイズに効く坂。

細く急な坂だ。これまでの平坦さのツケをここでまとめて払い、谷を抜ける。巡礼の坂と名づけよう。


歩くのが楽しい。足を運んでみようという気になる。すると改めて長崎は歩き回る楽しみに満ちていることに気付く。
坂の街のアップダウンは、景観を劇的に変化させてくれる。多くの映画がこの町で撮られている理由が分かる。歴史の深さは今更言うまでもない。


本原教会に至る。

ここは250年間のキリスト教信仰をつないだ秘密の森だった。歴史は古く信徒の信仰も篤い。

左折し、三叉路を右折して登り始める。
この地のキリスト教の歴史は1584年、キリシタン大名の有馬晴信によって、浦上がイエズス会に寄進されたことに始まる。1587年、秀吉は伴天連追放令を発布したものの、南蛮貿易振興策もあり浦上のキリシタン信仰は続く。しかし1614年、徳川幕府の禁教令によって約250年間の潜伏時代に入った。

幕末、長崎港が開港されれ、居留地に外国人のための教会堂が建つ。1865年3月17日、信徒が大浦天主堂を訪れ信仰を告白。奉行所の知るところとなり取り締まりがはじまる。世は明治となったが浦上キリシタンは総流配となる。その数、3千人超。これを「浦上四番崩れ」と呼ぶ。信徒たちは帰郷が許される1873年まで待たねばならなかった。
1945年、原爆によって再度の受難。1952年、本原教会が仮聖堂として設けられる。本原教会堂の裏山には、潜伏時代にキリシタンたちが密かに集まって祈りを捧げていた一本木山がある。


坂を上りきって左折。

すると三原小学校に至る。左手斜面に広がる団地が丸善団地だ。

本原教会から三原小学校へのルート。

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丸善団地。

坂だ。壮大な坂だ。
天下を見晴るかすような坂だ。
ここでキャッチボールをすればどうなるのだろう。

この通りが映画『いつか読書する日』のオープニングに使われた坂。

縦方向に積み重なる風景も映画向きだ。カメラも多様な方向から狙える。

この通りが、本通りとなっている。

すべての筋が長崎の斜面を満喫できる。特に本通りは自動車で体感したいという方にこの道はお勧めだ。長崎を訪れたが、それほど時間的余裕のない客人を案内するには理想的坂だろう。


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降りきると、浦上橋の袂に出る。