長崎の鬼門を守る神社や寺

表題をテーマにして、息子が数年前に自由研究に取り組んだ。
私も車の運転などで付き合った。面白かった。
かつて長崎の奉行所は現在の長崎歴史文化博物館にあった。
調べた結果、ここの鬼門を守るため、神社、仏閣そして御堂が幾重にも配されていることがわかった。下図はその配置を示す。




はじめに

鬼門とは丑寅の方角(北東)の方向のことだ。災いが来やすい方角といわれている。昔の街づくりはこの鬼門に配慮してつくられている。ということは、長崎の中心にあった長崎奉行所にも、鬼門を守るためのお寺や神社があるのではないか。そう思い調べてみた。
1万分の1の地図上で昔の長崎奉行所があった長崎歴史博物館からの鬼門の方角の線を引き、現地に行って調査した。


結果

研究の結果、次のことが分かった。
① 多くの神社や寺そしてお堂が配置され奉行所を守っている。
② 最も近いのは有名な諏訪神社だ。最も力の強い神様が最も近くで奉行所を守っている。
③ 山頂の七面山妙光寺と七面山大菩薩は、とても立派なお寺だった。鬼門を守る最初の砦のような感じがあった。鬼門を守るところがこんな遠くにまで配置されていることに驚いた。
④ 他の神様や仏様は奉行所だけではなく、近くに住む人や森なども支えているような感じがした。
⑤ 妙法寺などは最近出来たものであった。

これから、それぞれの神社や寺を紹介する。



1 長崎奉行所
立山1-1-1
奉行所は1633年まで江戸町(県庁のあるところ)にあった。しかし火事でなくなったため、奉行所を2つにした。それまでの奉行所を西屋敷とよび、新しく東手に東屋敷を造った。さらに1673年に、東屋敷が立山(現在、長崎歴史文化博物館がある所)に移された。
今回の研究では、この立山の奉行所(現在、長崎歴史文化博物館がある所)の鬼門を守る神社やお寺、お堂を調べる。



2 諏訪神社
上西山町18-15
鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様。諏訪・森崎・住吉の三社がおまつりされ、 厄除け・縁結び・海上守護の神社として崇敬されている。神社の大祭(長崎くんち 10月7・8・9日)は、絢爛豪華で異国情緒のある祭として日本三大祭の一つに数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

感想:一番力がありそう。だから奉行所に一番近くに置かれているのだと思った。



3 玉園稲荷神社
諏訪神社の境内にある。鳥居をいくつかくぐった奥まった場所にある。商売、漁業関係の方々など多くの人々から信仰されている。例大祭日は4月9日で、毎月(十二支)午の日が祭り日になっている。

感想:木などに隠れているが、影ながら支えていらっしゃる様だった。



4 祓戸神社
諏訪神社に続く階段の途中にある神社。様々な罪を祓い清めてくださる神様が祀られてる。諏訪神社参拝の際には、まずここにお参りし、身を清めるのが正しい参拝方法だそうだ。祠前には河童のような狛犬がいる。

感想:諏訪神社を下から支えていらっしゃる、土台のような神社だと思った。



5 松ノ森神社(松森天満宮)
上西山町4-3
諏訪神社に続く階段の途中にある道を右に曲がりまっすぐ行ったところにある。松の森神社は、1626(寛永3)年今博多町に菅原道真を祀って創建され、1656(明暦2)年諏訪神社が移転した事で、現在地に移された。

感想:木や植物がたくさん生えていたため、自然を守っていらっしゃるようだった。



6 西山神社
西山本町8-18
長崎聖堂の学頭が中国からいただいた北辰妙見尊星と村田四次郎を祀っていた妙見尊神を祭るために、1854(享保4)年に社殿を完成し、西山妙見社とよばれた。明治2年、に西山神社と改称され、地元の人からは「西山の妙見さま」と呼ばれ、親しまれている。

感想:階段を何段も登ったところにあったため、皆を空から見守っていらっしゃるように思えた。



7 左近稲荷神社
西山二丁目15-36
人々の衣食住を司る保食大神(お稲荷さま)をお祀りするおやしろで、古くは神殿が巨岩の上に建てられ、この岩を「鉄砲岩」と呼ぶところから「鉄砲岩神社」とも称された由緒ある神社。

感想:余り人が通らないところだったが、そこでも見守っていらっしゃるんだと思った。



8 深廣寺
片淵4丁目6–1
浄土真宗のお寺。もともとは西浜町の方にある正覚寺というお寺の近くにあった。近くのお墓には納骨堂がある。この近くでは、1番大きなお寺。今はお住職が体を壊しているため、弟さんが手伝っている。これは偶然合ったお住職の弟さんから聞いたことである。

感想:大きな鐘と、大きな仏像があったので力が強いと思った。



9 観音堂
片淵3丁目6-1
長崎西国三十三ヶ所霊場・二十四番霊場。長崎西国八十八ヶ所霊場と長崎西国三十三ヶ所霊場があり1部は両方に入っている。ここは三十三ヶ所霊場のみに選ばれている。長崎大学経済学部の裏にある細い道を通った住宅街の中にある。ここの横にあった石碑に「山下組有志によりこの地に観音堂を設置して早百星霜」と書いてあった。

感想:雨にぬれないために、屋根を作っていたから雨の日でも参拝に来る人がいるほど、親しまれていらっしゃると思った。



10 お城谷観音堂
片淵3丁目19-1
長崎西国八十八ヶ所霊場・四十八番霊場。片淵3丁目の墓地の中にある。270年の歴史があるそうだが平成16年に改装された。

感想:戸が開いていたため、気軽に入れそうなので近くに人に愛されていらっしゃると思った。ここは見つけることに苦労した。



11 浦川観音堂
片淵4丁目12-12
長崎西国八十八ヶ所霊場・七十六番霊場。お城谷観音堂から100mあまり小道を下った角ある。

感想:住宅街を入りこんでかなり上のほうにあったから近くの人を上から見守っていらっしゃるようだった。



12 天寿庵
夫婦川町12-38
長崎西国八十八ヶ所霊場・五十六番霊場。長崎甚左衛門の庵があったところといわれ、現在は中川氏所有のお堂としてお祀りされている。また、この中川氏は中川という地名の由来ともなった家系で、長崎甚左衛門の流れを持っているともいわれている。

感想:個人の家の奥にあったからその人を守っていらっしゃるようだった。住宅街の奥にあり見つけることに苦労した。



13 片淵2丁目東部公民館のお大師様
片淵2丁目3
弘法大師とお地蔵様が祀られている。もともとは個人の家にあったものだったが、その方がお亡くなりになったさいに、その方の家があった場所に公民館が建てられたため、公民館が引き継いでいる。

感想:ここのお大師様は僕が天寿庵から帰っている途中に見つけた。水変えをしていたおばあさんから、近所の戸が閉まっているお堂は水変えなどをしていた方が歳をとられ、水変えなどができなくなったため閉まっていると教えていただいた。



14 薬師寺教会
西山3丁目1-26
長崎西国八十八ヶ所霊場・四十番霊場。
長崎大学経済学部の前を通り立山方面に上がる交差点を斜め左に入る旧道を少し行ったところの左側の露地に入ったところにある。以前は「西山町十善講薬師堂」という名前だったが平成14年に名称を変更して今は「薬師寺教会」が正式名称になっている。

感想:右にある家を守っていらっしゃるようだった。



15 上西山町上の切地蔵堂
上西山町12-1
長崎西国八十八ヶ所霊場・六十三番霊場。日銀から諏訪神社を通り越し松森神社の上を通る道の途中左側の道沿いにある。
右の写真は、お堂を少し下ったところにあり、水が溜まっているところの上には「八大龍王」と書いてあった。八大龍王は、天竜八部衆に所属する竜族の八王。法華経(ほけきょう)に登場し、仏法を守護する。 霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。

感想:学校や学校があった跡、大学の宿泊施設があったので学校に関係したものを守っていらっしゃるようだった。



16 月玉神社
鳴滝2丁目17-5
片淵中学校の裏の細い道を通っていくとある神社。参拝をしたとき2人の女性が中へ入っていったため近所の住民に愛されていることが分かる。

感想:民家の真ん中に建てられていたから、民家を守っていらっしゃる様だった。



17 室生寺
西山4丁目133
昭和中期に建てられ、西山トンネルの左側の道を進むとあるお寺。仁和寺を総本山とする、真言宗御室派に属しこの宗派の寺院では、雨乞いや病気平癒の祈祷が行われている。ここは、第15番霊場にもなっている。

感想:パワーが強そうだったので、軽い気軽な気持ちでは入らないほうがいいと思った。



18 妙法寺
片淵3丁目1108
仏舎利塔がある。これは昭和45年に完成したものである。仏舎利塔とは、お釈迦様の遺骨を納めているとされている仏塔である。日本山妙法寺により各地に建設されている。核兵器の被害が繰り返されないように、被爆25周年にあたって建設された。

感想:最初は、行き方が分からず、ただ仏舎利塔を見に行こうとして見つけたから、仏舎利塔が妙法寺にあるとは、知らなかったので驚いた。雰囲気がいつでも綺麗にしているというような感じだったので、それほど仏舎利塔を大切にしていると思った。早朝にもかかわらず、お坊さんがいらっしゃった。



19 日向平観音堂
木場町796-1
長崎西国八十八ヶ所霊場・六十五番霊場。
西山水源地を回った、谷の高台にある。山間にあるが石道路などがある立派なお堂である。

感想:この谷や集落を守っていらっしゃるようだった。



20 七面山妙光寺
鳴滝3丁目420
ここ七面山はお寺だが、神社造りになっている。啓翁桜という桜がたくさん咲いている。1696年大きな石に七面大明神のご神体を刻んで開かれれたのが起源。その後、法華経を拝む寺となる。大阪府から開運の妙見大菩薩が勘請された。
明治40年、千葉県の妙光寺を移転して日蓮宗七面山妙光を創立し、開山となる。堂内には上段神殿中央に七面大明神、右側に妙見大菩薩、左側に清正公大尊祇、拝殿には、右側に三宝尊、日蓮聖人、左側に子安鬼子母神、十羅刹女を安置。御堂右上には、艮稲荷堂、左上に行学堂がある。

感想:ここから長崎が見えたから、長崎自体を守っていらっしゃるような感じだった。奥に見える丘が奉行所の丘だ。さらにその奥に女神大橋が見え、その向こうには長崎湾の出口が見える。このように、一直線に奉行所の鬼門を守っていただいている、最初のお寺だと思う。だからこんなに大きなお寺が山の中に創られているのだと思う。



21 七面山大菩薩
江戸時代に大阪府から勘請された開運の妙見大菩薩が祀られている。
七面山妙光寺のこけむした急な階段が何段も続いた先にある。

感想:階段を何段も何段も登ったところにあるにもかかわらず、城壁がある立派な神仏混合の霊場をどうやって昔の人は創ったかが分からなかったため、謎が多いところだと思った。さらに岩清水がお手水場に流れ込んでいた。
 知人の散人さんから次のような、コメントをいただいた。
 「地名はもともと縄文語があり漢字は後付けだといわれている。
 七面→situーmen
 意味、走り根の泉
 水が湧いてるところがあった筈です。」
すごい。確かに、七面山妙光寺と七面山大菩薩には湧水があった。これは七面山がある七面谷から中島川に流れ込む馬込川(現 鳴川)の源流となっていた。



最後におまけ

七面山に行くまでの話を聞いて欲しい。
これは、家を早朝6時に出発したことから始まる。
起きたばかりで寝癖もなおっていない僕は、車に乗り込み七面山に出発する。

七面山に行くためには1つ問題点がある。
それは、日本1狭い車道を通らなければならないことである。

早朝6時に家を出たのは、反対車線から車が来ると片方がかなりの距離の狭い道をバックで通らなければならないため、車と余りすれ違わない時間に行く必要があったからだ。
日本1狭い車道がどれほど狭いかというと、
車のミラーと壁の間がこれだけしかないのだ。わずか数cmしか離れていない道を進むのだ。時速10kmも出せないほどの道を進んでいくと広間に着いたためそこに車を留めた。そこはひとけがなく、いるのはヤギ1頭。
そんな道を進むと、七面山妙光寺が見えてきた。参拝をした後、左側の階段を上り七面山大菩薩にむかった。
階段を上る僕と父は心の中で1つの言葉を発していた。「長い」 そう。この階段が長いのだ。この急で長い階段を上り終わったときは2人はヘトヘトであった。




参考資料
『長崎四国八十八ヵ所霊場』岩永弘 著
ホームページ『長崎ぶらぶら』
グーグルマップ他