タイ 3
 娑婆と極楽


■アユタヤ・・・廃墟の美学
3日目。起床してテレビのスイッチを入れるとNHK衛星が7時のニュースを流し始めた。ぴったり。体が時間を憶えているのだ。もうタイ料理はごめん。甘さが辛党の私には合わないということがよくわかりました。今日はフリー。さあ、田舎をみてみよう。

タイ最大の駅ファランポーン駅。駅でチケットを買う。どおにかなるもんだ。3等席。地元のおばちゃんに席を聞いたりして座る。

席を教えてくれた親切なおばちゃん。案内は間違っていたけれど楽しい。

ホテルから駅まで乗ったタクシーの運転手は英語ができた。世間話をする。「私の子どもたちはアメリカで働いている」 ほーう、そりゃ、すごい。「私はANAに乗って、東京経由でワシントンD.C.まで行った」 ほーう、そりゃ、うそだ。そんな高い機に乗るはずない。そう思っていたら「どうだ、アユタヤまでタクシーで」ときた。きっぱり断る。駅にと言っていたのに、駅近くの旅行代理店前に下ろされる。外はたちまち代理店員に取り囲まれる。やれやれ、観光地駅前には、カスみたいな奴らが集まっている。
列車が駅を出る。しばらくビルが続き、スラムが続き、そして外資系企業の工場と社宅らしきものが延々と並ぶ地域をぬける。国王も判断に苦悩した事だろう。

そんな風景が続いた後に、高床式の住居が点在する田舎に出た。豊かさを感じる光景だ。広大な平野部は見事に区画整理されていた。こんな風景が消え、農民が最も貧しい階層になったとき、この国は死ぬだろう。

国際経済に,自国の経済をリンクさせることは,大変な危険を伴う。そんなことはずっと昔の経済学者だって言ってる。だけど,援助にあたる国際機関の連中も,当事国の為政者も,「ま,それは分かるけど,一応おいといて」という立場をとってきた。ホントにいいのか。
やっと日本では,田舎暮らしのライフスタイルも,再び憧憬が抱かれるようになってきた。知を求める人が,都会にだけ流出する時代は終わろうとしている。タイや東南アジア諸国の人たちが,そんな近代化と田舎暮らしをバランスよく受け入れて,それが「カッコええ暮らしや」と思うようになるのはいつなのだろう。
車窓からの風景があまりにも面白くて、なんだかんだと話していたら何時の間にかアユタヤ駅に着いてしまった。こりゃいかんと下車。例によってまたトゥクトゥクに乗って行かないかと、何人も寄ってくる。歩いていくというと、なんてこったいと口説かれ続ける。

渡し舟で対岸へ渡った後も、4`ほど遺跡まで歩いて行くことにした。
市場を突っ切る。四方から売りこみ。どうにかならんかと一案を考えつく。お坊さんのあとを付いていこう。この国では僧侶に対する畏敬は並外れている。お坊さんのあとでは声もかけにくいだろう。このアイデアは抜群の成功を納めた。

お坊さんは途中でバスに乗車。私達は後ろから拝んで彼と分かれ、歩きつづけた。途中から広い公園に出る。やっぱり途中から迷う(笑)。炎天下をふらふらと歩く。



今回、何人かのバックパッカーの日本人の若者と出会った。総じて感想。女性はしっかりした目的を持って旅している。男性は小汚い甘えん坊野郎が多かった。どうしてこうなったのだろう。


高校生に道をたずねた。はにかんだ顔がいい。
庶民の間で英語は通じない。英語がタイで通じないのはなぜか。それは植民地になったことのない国だからだ。日本も植民地になったことがない。というわけで日本人も英語が下手だ。アジアで植民地にならなかったのは,タイと日本ぐらいだ。

たどり着いたアユタヤの遺跡。
廃墟。
静かだ。
中国人集団が行ってしまった後は、巡る観光客も無口にそこにたたずんでいた。時折、異国の鳥が鳴いていた。廃墟は静かだった。


木陰のたもとの草わらに寝転ぶ。歩き回り疲れていたのか、しばらくうたた寝をした。犬がどこからかカラカラに乾いた飯をくわえてきて、私の足元で音を立てて食う。
帰りの列車は満席。
立って帰る。すぐに前の席の4人の地元の方と親しくなる。若い男性1人、女性2人、おばさん1人。英語は通じない。私達を中国人だと言っている。いえいえ違います。日本人です。タイの人たちは優しい。心からそう思えた。こんな田舎をタイは大切にしたがいい。青年は別れ際、はにかみながら握手を求めてきた。うれしい。


タイ式マッサージ ジャズライブ
ホテルに帰りついて、フロントの日本人スタッフAKIKOさんにタイ式マッサージの場所を聞く。
ホテルの向かいの病院2階にあるという。
病院の待合室を抜けて2階に上がり、受付をする。1時間200バーツ。換算すると600円。会長さんと並んでマッサージを受ける。日本の整体に似ている。ただし揉むスピードがタイ式だ。ゆっくりゆっくり。

夕食後、AKIKOさんにジャズのライブハウスを案内していただいた。
「サクソフォーン」。昔から評判を聞いていたジャズライブハウスだ。比較的若い腕のいいバンドがやっていた。キーボードが独特のノリをもったプレイヤーだった。満足。

「ブラウン・シュガー」1996年ニューズウィーク誌で、「世界のベストバー」に選出。見栄を張っていない本当に音楽好きの店だ。渋いバンドが淡々とやっていた。演奏の曲目でこちらの店に軍配。カルロス=ジョビンの曲もやってくれた。南国で聴くジョビンはいいなあ。

旅の終わりをスペシャリストに締めくくっていただき、合掌。おかげさまでいい旅になった。



AKIKOさん。聡明な女性だ。
「会長さん、今回の旅で一番思い出に残っているシーンはなんですか?」
「アユタヤからの帰りの列車で、私がコーラの缶を開けたら飛び散って、タイの高校生ぐらいの女の子にかかったんだ。あ、ごめんと誤ったら、とっても優しい顔をして許してくれたシーンかなあ」

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