タイ 2
 娑婆と極楽


■暁の寺(ワット・アルン)・・・東洋のサグラダファミリア
2日目。午前中はガイド付きで寺まわり。タイの案内本に掲載された極彩色の寺院にはうんざりしていた。会長さんと「早めに切り上げましょう」と話し合う。愚かだった。遠景に寺院が見え出した途端、私達は声を上げた。想像を超えた築物が現れ始めたのだ。


早朝、チャオプラヤー川を渡り、暁の寺に至る。会長さんの腕には鳥肌が走り、私の目には涙が溢れて仕方がなかった。まるで違う。写真で感じていたそれをはるかに超えていた。恐れ多い。びっしりと張りつけられたタイルを光らせそそり立つ塔。これを構想した人々と作業に従事した人々の精神におもいをはせると、眩暈がした。ここを読まれている皆さんに行かれることをお勧めする。出会うと人間に対する考え方が少し変わるような感動を味合える。この寺のことをもっと語りたいが、言葉が感動に追いついて行かない。
ガウディのサグラダファミリアだけがメディアに取り上げられることに、日本の西洋カブレ度を確認する。いずれにしろ、植民地にならなかった国が、いかにすばらしい文化を伝え得ているかがわかる。逆にいえば、植民地政策がいかに多くの民族の誇りが破壊されたかも推測できる。


私達は学校で,メナム川と習った。でも本当は,メナム・チャオプラヤーという。チャオプラヤー川という意味だ。チャオプラヤーとは偉大,メナムとは川の意味である。


川はこんな具合に濁っていた。
この後、巨大涅槃像のワット=ポーと、国家の第一級寺院ワット・プラケオ(エメラルド寺院)、そして王宮を巡る。エメラルド寺院本尊のオーラはすごい。

エメラルド寺院はこんな2センチぐらいの色付き鏡片でびっしりと埋め尽くされている。

仏教の寺エメラルド寺院にある半身鳥の神ガルーダ。バラモン教の神だ。タイ国王旗にはこれが描かれている。仏教寺院の屋根の両端にも,ガルーダがモチーフと言われる飾りがついている。

タイの仏教はバラモン教と融合している。タイのアユタヤ朝の都アユタヤの地は,カンボジアに属してた時もあったので,カンボジア文化は現在でもタイに深く浸透しているのだ。バラモン教もカンボジア経由。
バラモン教というのは,日本で言えば神道のようなもの。これが今のヒンドゥー教(インド教ということだね)につながってる。神道にも八百万神(やおよろずのかみ)といって多くの神がいるように,バラモン教にも多くの神がいる。ブッダ入滅後から,仏教は徐々にバラモン教の中に取り込まれていったのだ。


インドシナ半島は,インドと中国(シナ)の中間にあるからインドシナと呼ばれる。文化もこの両大国の影響を受けている。ところがタイは直接インドからじゃなく,おもにカンボジア経由で影響を受けている。カンボジアは古い国だ。民族には寿命のようなものがあり,カンボジアは繁栄期が過ぎ衰退していっている国だ。
タイは,若い国だ。老舗は,カンボジアやインドネシア。たとえば8世紀にはカンボジアにはアンコール=ワットを作った王国(クメール)があったし,インドネシアにはボロブドゥール遺跡を残した王国(シャイレンドラ,シュリーヴィジャヤ)があった。タイ族が,中国南部から南下してきて最初の王朝を建てたのは,13世紀のことにすぎない。日本に元寇がやってくる少し前の鎌倉時代である。そしてこのタイが,インドシナ半島では一番経済繁栄をしている。
■考えない胃袋、まつをの冒険
料理の殿堂タイでの美味いものを探求する。

タイ式焼き飯=なんだかなあ

タイ式ラーメン=まずまずかな

タイ式ソーメン=激辛

グリーンカレー=まずまず

辛いスープ=アウト

再び春雨=アウト

マンゴーにプラム=うまい

平たい麺=味がない麺だ

サラダとシュウマイ=美味い

トムヤンクン=甘く酸っぱい

シーフード、ドレッシングがタイ

シーフードグリーンカレー=ココナッツミルクの味。う〜ん
結論。辛党の私にはタイ料理はどうにも合わないようだ。好きになろうとがんばったんですが誠に残念無念。


午後ショッピングに連れまわされそうになったので、早々に買い物を済ませて打ちきってもらい、2時ホテル帰着。ここから帰国時まで、ガイドなしの行き当たりばったりプランが始まる。


■タイダンス

伝統舞踊を見ようと資料を探す。タイダンスは元来ハイソな階級のものだった。ならば思いきり投資しようということになる。最もしっかりしたものをやっているというロイヤル=オーキッド=シェトラン=ホテルの「タイランド・トゥナイト」へ。
屋外。チャオプラヤー川を時折、定期船やなにやが通り過ぎ、みごとな演出となっている。
音楽はトランスミュージックだ。まわりまわり螺旋を描いて、高みへといざなう。女性ダンサーの上品な民族パラパラのあとには、ラーマキエン(タイ版ラーマヤ-ナ)のダイジェストが舞われた。会長さんが「素晴らしい、これが極楽」と絶賛。同感です、同感です。

最高級ホテルのチャオプラヤー川に面したテラス席。宮廷料理を食しつつダンスを鑑賞。国立舞踏劇場はないのだろうか?すばらしい自国文化を最も伝えているところが、外資のホテルという状況に一抹の危うさを感じる。


水上の定期船が時折やってきては去って行く。



■バンコクの裏町
始めに書いておくが、私達のような初心者は、一人では裏町歩きはやめておいたがいいように思う。私達も二人だからできたようなものだ。バンコクの裏町を歩く。

貧しい。着いた日の夜に見たジャンクさの根源を垣間見る。ホテルのある通りには高級住宅街が並んでいる。バンコクの一般人と,金持ちの収入は何百倍離れているんだろう。
タイは1961年から過去30年の間に年平均7%という経済成長を達成し,「貧しい国ではない」数字を実現した。 にも関わらず,この惨憺たる街のいびつさと、人々の荒廃はなんだ。チャオプラヤー川の汚れはなんだ。

とぐろを巻くように張られた電線。窓には鉄格子がはめられている。

タイの高級官僚さえ,こう言いだしてる。「現在タイが直面している経済危機は,…過去30年〜35年間続けられたきた経済政策の破綻であるといってもよいであろう。…天然資源の縮小や環境破壊といった社会的損失コストは省みられなかった。生産面からのみ人間が評価され,人間性は無視された。」
それでも地方からバンコクに人は流れている。タイがカッコばかりつけていては,伝統を忘れ固有の文化は失われるだろう。富裕層には子供を幼少の時から留学させるところが多いという。そうしたライフスタイルを身につけ,国家のエリートになった奴らに,伝統文化なんてうっとうしく写っているのかもしれない。

屋台。街のいたるところにある。少なくともバンコク庶民の住宅には、台所がなく、食事はこうしたところでとる事が多いという。


全身にイレズミを入れた酔っ払いのオヤジが近づいてきて、なにかをまくしたてた。なにを言っとるのか、皆目わからず。中国の元旦で朝っぱらからずっと飲んでたのだろう。


東南アジアに来ると,いかに華僑が力を持っているかがわかる。彼らは,基本的に商人であり,都市生活者であり,金持ちが多い。
その歴史は15世紀にまで遡る。明の鄭和が帝の命で,船団を率い7回の遠征を行った。遠くは東アフリカにまで及ぶ遠征だ。バスコ=ダ=ガマがカリカットに到着するよりも,約1世紀前の話。鄭和は華僑社会で神様扱いされている。現在,ヨーロッパのそれを大航海時代と一般に称するが,これはいつの日にか訂正されることになると思うな。というのも,これからは華僑とメインランド(中国)を結ぶチャイナネットワークが,歴史の表舞台に現れて来るだろうから。
華僑がどっと増えたのは,19世紀にヨーロッパ人が植民地に労働力としてつれていったころから。当時,彼らは現地人の3倍働くとされていた。さらに彼らがチャイナネットワーク構築へと向かい始めたのは,辛亥革命を前にした孫文の遊説から。1911年,辛亥は資金不足を補うために東南アジア華僑をまわり,彼らを「革命の母」と呼んで民族意識を煽った。これと前後して華僑弾圧の動きもおこる。タイのラーマ6世は,華僑を「東洋のユダヤ人」とさえ呼んでいる。華僑はいろんな方法で対処した。現在のバンコクは,華僑の現地への融合が最も進んでいるといわれてる。これは,この時代への対応の賜だ。
郊外はどうなっているのだろう。地方を見たい。
ということで次の日出向くことになる。

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