Design Literature Music Picture
Collection Favorite works Favorite bar Camp
Links Mail BBS for camp







  • 2.23 Bar指のつけねトーク! 今回のテーマは「酒場」。
    酒場にまつわる心に染みる話です。

    田屋敷酒散人
    いつもの塾開催、と言ってもいつもの飲み会。「くれたけ」に行く。生簀にまるまると肥った「ふぐ」が泳いでいる。亭主に聞くと「四キロはある」という、四万円という。東京では三倍の十二万円取るらしい。
    塾生と話す。
    棟梁はまだ子供が幼いうち奥さんが亡くなった。二人の子供は後妻に馴染まず、間で苦労したそうだ。三十過ぎの先妻の子がこのほど結婚するという。祝辞を頼まれた。
    自動車屋の姉は近隣の農家に嫁いだが、義父にいじめぬかれ自死したそうだ。つらかったろう。が、ここも忘れ形見の長男が結婚するという。
    みな心の中に溶けない瘤の二つや三つ抱えながら生きている。しかしそんな泣きの瘤が次世代の喜び事で少しずつ溶けるのだろう。
    自動車屋は初孫の為に四本の鯉のぼりを挙げた。「みーんな 吹き流せ!」と鯉のぼりに呼びかけるがいい。

    捨老
    うすら酔いで船大工町を歩いていると 酒屋のあたりに一見袋小路のような路地がある。突き当りに小さな祠が祀ってあるのが他の路地とは違う。小さな石段が右手に上っていて、忍び坂と言うそうだ。祠までの短い路地に 昔から数件の看板が犇めいている。何時だったか昔、そのどん詰まりの「花代」と言う看板の店に入った。
    ドアを開けると椅子が五・六個並ぶ程度のカウンターがあって、若づくりして四十がらみに見えるママが愛想良く迎えてくれた。這入り口の席に座ったのは、奥に先客が居たからだ。どの町でも出くわす暇な店の背後霊のようなアノ手の客だ。そのジトッとした視線を出されたオシボリで拭き落とし座ると、間にもう客は座らないだろう席が三つ四つ残った。水割りを一杯飲んで早々に店を出た。
    二ヶ月ほどして、うすら酔い気分でふと同じ路地を一瞥すると、どん詰まりの看板は「洋子」となっていた。よせば良いのにまた入ってみた。内装は以前のまんま。ママだけが少し若く元気がよさそうな別人だったが、奥の背後霊はそのまんまジトッと壁際に張り付いていた。
    近頃 またちらっと路地奥を見たら「美鈴」とか「綾子」とかになっているようだった。怖いもの見たさと言う気分もないわけじゃなかったが、やめといた。こうなると 次回は何という名か気になったりもする。

    しんのじ
    銅座・銀鍋ビルにほど近いある街角にひっそりと立つ某雑居ビルの一角に、Mさんの店がある。
    Mさんは僕と年齢がほど近い、屈託のない明るい姉御肌の女性だ。体調のいい時はいつも周りを明るくしてくれたし、少々辛い時も、常に相手への気配りを欠かさない魅力的な人間だった。
    ある日、彼女は非情な決断を迫られることになる。病が進み、ついに気管切開をしなければ危ない状況となった。そうなると、普通に話をすることは諦めなければならない。気丈にも、彼女は声を捨てる覚悟を決めた。それから数日後、彼女の首の中程には直一センチの穴が開き、そこから息をするための「く」の字に曲がった短い管を入れて生活することとなる。
    その後、やりとりは携帯の画面に彼女が打ち出す文字を介してとなった。まさに今で言う「筆談ホステス」の走りみたいなものだ。そんな大変な状況になっても、彼女は依然として彼女のままであり、明るく強く、常に前を見ながら過ごしていた。
    痛みや発熱やいろいろな症状と闘いながら、奇跡的に某年末、小康状態を得ることができた。彼女は、その頃には気管の穴を時々塞ぎながら、小さな声でささやくように話すことが出来るようになった。病室を訪れた僕に、明るい顔で、しかし毅然と囁きかけた。「私、ボーナス時期に一稼ぎしたいから、一度お店に戻りたいのよ」
    常識ではとても考えられなかった。本当にびっくりしたが、彼女ならその決断もあり得るという気がしてきた。おそらく彼女自身、死期がそう遠くない先に待ち構えていることを感じていたに違いない。
    本当に彼女はやってのけた。僕は彼女の一時退院が決まってからというもの、ハラハラするやらワクワクするやらで、すごく複雑な気分になった。少し自宅療養し、体調と相談しながらカムバックすることは知っていたが、退院数日後にはもらった名刺に書かれた住所に足を向けていた。少々煤けてはいたものの、彼女のお店はひっそりと主の帰りを待ち構えていた。
    それから一週間ほどして、彼女はお店を再開した。元常連さんたちは感無量で、連日お店を訪れたらしい。超人的なエネルギーを発散しながら、ほとんど声も出ない、いわんや立って水割りを作るだけでも限界に近いはずの彼女は2週間、自分の店で勤め上げた。
    疲れ切って、ぼろぼろになって病棟に帰って来た彼女は、しかし清々しい笑顔で最期の数ヶ月に及ぶ療養生活を終えた。彼女は独身だったが、熱烈なファンが再入院後しばしばお見舞いに訪れていたと聞く。
    また看板が煤けてしまっているが、あるじのいない彼女の店は、今もビルの一角にひっそりと残ったままだ。彼女のあっぱれな仕事っぷりを、無念にも僕は見届けることが叶わなかった。もう少し先のことだとは思うけれど、Mちゃん、僕がそっちに行ったら、ちょっと旨い肴を食べさせてね、頼むよ……。



  • 2.22 Bar指のつけねトーク! 今回のテーマは「食」。
    2010.1-6の書き込みから。

    焚き火
    佐世保の泉福寺洞窟の土器は世界最古らしい。世界最古の鍋で何食っていたんだろう。

    代治朗
    北大路魯山人が好んだすき焼き法。
    一、鍋に日本酒と昆布だしをブレンドしたものを、一センチほどの分量だけ入れて熱し、それに牛肉を軽く浸してから、取り皿にとり、特製醤油を1滴垂らして食す。
    二、もうひとつのすき焼きは、ちょっと甘辛めの割り下で、軽く肉をあぶる程度に煮て食す。こちらのすき焼きは、ときたまごに付けて食べる。

    しげ@させぼ
    最近湯豆腐を良くします。豆腐一丁を4つに切って、ちょうど入る大きさの鍋に入れ、ひたひたに水を注ぐ。重曹小さじ一杯ほどを全体にふりかけ、火にかける。沸騰したら、とろ火にし10分ほどコトコト暖める。トロトロの温泉豆腐のできあがり。これを、鰹節、しょうが、ねぎの薬味とお好みで、ポン酢、しょうゆ、ゴマダレなどで頂く。

    田屋敷酒散人
    江戸時代、「鶴」の肉は滋養強壮の効果大と信じられ、大いに高値で売買されていたという。先日、「吉兆嵐山」の料理本をながめていたら、「鶴のテリヤキ」が載っていた。それも長い首のところだ。
    鶴の効率いい取り方は、明け方氷の張った干潟に行くと、鶴が足を氷に固められて、抜き差しならぬ状態になってるそうで、鎌を手に、稲刈りするがごとく、鶴の両足を手に握って、「バサ バサ」やると面白いように捕れる。と落語で聞いたことがある。

    捨老
    かつては日本国中の松林という松林に群れ飛んでいたという丹頂鶴の激減が、その貪食のゆえだとしたら、いまだに顧みられない日本史の何と無慙なことだろう。ほおっておけば 人は何もかも喰らい尽くすのかも知れない。
    山椒魚と呼ばれ今はオオサンショウウオの名で天然記念物とされる奇生物も、かつてはハンザキ(小さな山椒魚)とは区別され、その味に山椒の香りがあることを知る何者かによって高貴な長寿の食物として皇室はじめ華族達の間で食されていた時期がある。いまではハンザキがその名を譲り受け、辺鄙な山里の貴重な観光資源として、長寿の踊り食いや目刺干しとなって老人たちの収入源となっている。かくいうボクも三州足助の老人たちの勧めで、生きたやつを飲みこんだから、十年は長生きさせていただくことになる(笑)。
    とは言うもののカラスまで喰らうことはあるまいと思っていたが、先年ノルマンディーでカラスのれっきとしたフランス料理を食わされた。美味であった。
    雉や鹿ならば放埒に喰らうひとびとが、今更クジラを食うなという理屈もこうなっては笑えてくるばかり。

    チャイカップ
    リシケシのアシュラムでの話。1週間ほど2食菜食を続けているとどうしても動物性蛋白がほしくなってくる。まだまだ若かりしころなのでよけいである。町の食堂まで行っても、チキンカレーはおろかエッグカレーすらない。聖地なのである。その聖地を流れるガンジス川の支流には捕る人がいないからか、気持ちが悪いほど魚が住み着いている。

    田屋敷酒散人
    大の大人が「おいしいもの食いたい」など、放恣なことを云うのはいかがなものか。散人、朝昼は病院食であります。ここ30年体重は変わらず、が大酒を飲むので「通風」は治らない。偉そうなことは云えない、とフト思ったので止める。

    しんのじ
    池波先生、開高先生、壇先生、柴錬先生……。美食家の文豪諸氏のエッセイ、大学時代に百冊位読み耽ったのを思い出します。
    中でも、開高先生の豪胆かつ繊細な食道楽ぶり、壇先生の、「宵越しの金は持たない」的な昼夜を問わぬ大宴会。自ら厨房で包丁を手に陣頭指揮を執られていたお姿は、叶うならば一度拝見したかったものです。
    学生時代、大いに感化されたことが元になってか、齢四十を過ぎた頃より、再び料理の楽しさに目覚めました。病膏肓に入った今では、50人分とか時には100人分の料理を作って野外で振舞うのが、自身の人生の楽しみの一つとなるに至りました。

    まつを
    長崎県農業生産の4割は島原半島で収穫される。取れたての野菜がうまい。魚もうまい。スタンダードでない地の魚が特にうまい。海草もうまい。肉もいける。後は料理という文化だ。しかし松平の殿様は大政奉還の際、さっさと向こうに行ってしまった。

    田屋敷酒散人
    「呉竹(くれたけ)」でやる。「ふぐ」の湯引き。「これが フグです」と女将がきっぱりと言う。ゆたーっと水槽に4、5キロの「フグ」様が泳いでいる。これを食わずに何を食う。「竹の子とフグは同じ時期」と女将が言う。生き物を食うて我が命ありけり、「フグ」に感謝、感謝。













since1998.5.28
無断リンクOK
Copyright(c) Matsuwo Tatsunobu





松尾龍伸
長崎市で通勤生活に身を窶しています。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。
「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから,パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも,疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。


Twitterボタン
まつをはTwitterを「長崎インターネットラジオ」名でやってをります。よろしければフォローをお願いします。上のボタンをクリックし、表示された画面にあるをクリックしてください。