モダニズム住宅の入門のために。巨匠の人間くさい側面を添えながら綴ってみます。





 ミース・ファン・デル・ローエのファンズワース邸

モダニズム建築の巨匠を挙げるように言われたら、最初にミース・ファン・デル・ローエ。「レス・イズ・モア」を具現化したファンズワース邸は、当時の愛人ファンズワース女医の依頼で設計した別荘です。実に美しい。






 フィリップ・ジョンソンのグラスハウス

この作品は前述のファンズワース邸からインスピレーションを得て設計されたもの。彼はローエのファンズワース邸のスケッチを見てイメージを湧かせたと語っていますし、室内に使われているイスなどはローエの作品です(ただしファンズワース邸より2年早く完成)。彼は伴侶ホイットニーとともにここを自宅としていました。






 ル・コルビジュエのサヴォア邸

これは保険会社重役ピエール・サヴォアが週末用住宅としてオーダーされたもの。夫婦の寝室、婦人の私室、子ども部屋もあります。ところが漏水など様々なトラブルもあって10年も経たずに持ち主に愛想をつかされ、ほとんど使われることなく家畜の飼料小屋になりました。施主は当時としては進歩的嗜好の持ち主だったようですが。別邸・別荘としては広すぎます。使われなくなる別荘は、広すぎてメンテナンスに手がかかりすぎることから放棄されるケースが多いんですね。

コルビジュエの仕事は女性に助けられていることが印象的です。上の動画にも出てくるコルビジュエソファーも、実際はスタッフであったシャルロット・ペリアンの作品ですし、サヴォア邸もアイリーン・グレイの建築から影響を受けています。どこか鈍重さを感じさせるセンスの持ち主であるコルビジュエは(他の作品をご覧になると分かります)、二人の才能にジェラシーを憶えていたことでしょう。





 アイリーン・グレイのE1027

竣工時期で比べると、これまで取り上げてきた世界の名作建築の関係が推察されます。1951年がローエのファンズワース邸、1949年がジョンソンのグラスハウス、1931年がル・コルビジュエのサヴォア邸です。実はこれらの建築よりもずっと早い1926年に竣工され、ル・コルビジュエのサヴォア邸に影響を与えた住宅があります。それがアイリーン・グレイの夏の家E1027。この建築は近年その歴史的意義が再認識され修復されました。

アイリーン・グレイの生きた時代は1878年 - 1976年。アールデコは1910年代半ばから1930年代にかけて。彼女はアールデコのプロダクトデザイナーとして活動した人物。モダニズム建築の根源には、アールデコが横たわっていたのでありました。

彼女のプライバシーは殆ど謎。98歳で他界するまで美意識の高い服を着こなし、死の直前には私信や写真、私的記録をすべて焼却しています。
アイリーン・グレイとル・コルビジュエは後に決別しますが、当時アーティストの溜まり場となっていたグレイのE1027にぞっこんだったのがコルビジュエで、ここに頻繁に出入りしていました。





 コルビジュエの休暇小屋(カバノン)

コルビジュエはグレイのE1027に通ううち、この地カップ・マルタンに惚れこんでしまい、E1027のすぐ上にあったレストラン「ひとで軒」に隣接する土地を入手。そこに建てたのが自分たち夫婦用の休暇小屋(カバノン)でした。レストランとはドア一枚で行き来できるようになっており、ここのざっくばらんな店主リュビタトを気に入って懇意に付き合っています。休暇小屋はモデル出身の妻イヴォンヌのために建てたといわれています。妻の写真が残っていますが気性の激しい女性だったようです。
1935年、コルビジュエはE1027に無断で壁画を描き、二人は決別。彼が描いた壁画はグレイが同性愛者であることを揶揄する絡み合う女性の絵でした。
しかしその後も彼は休暇小屋を楽しみ、そしてこの風光明媚なカップ・マルタンの地で他界します。






 リートフェルトのシュレーダー邸


モダニズム住宅の象徴とされる小さな住宅。モンドリアンの絵画を立体化したようなこの作品も、愛人のために設計された建物です。リートフェルトと施主シュレーダー未亡人は愛人関係にありました。妻子がいたにも関らずリートフェルトはシュレーダー邸1階に自分の事務所を設け、人生の終盤は家には帰らずこのシュレーダー邸で過ごしました。
居住空間は現在の一般的マンションの広さぐらいで、日本文化の影響もあり各室は引戸で分けられ、様々な工夫がなされたビックリ忍者部屋です。
シュレーダー夫人自身がインテリアコーディネーターでもあり二人のコラボでできたようなものですが、後に彼女は『リートフェルト・シュレーダー邸―夫人が語るユトレヒトの小住宅』という本を出版しています。





 ルイス・カーンのエシェリックハウス


彼には妻と愛人2人がおり、それぞれに子をもうけていました。世の中にこのことが広く知られたのは、二番目の愛人との間の子が、父親の死後、旅に出て父の偉大な仕事仲間、各愛人及び異母兄弟等にインタービューを重ね、父の作品を巡り歩いたドキュメンタリーを製作したことによります。
ルイス・カーンは基本的には都市設計、公共建築をフィールドとしていまして、こうした私邸の作品はめずらしいのです。彼の公共建築はどこか人間界を超えたもの雰囲気を漂わせます。エシェリックハウスも例外ではなく、祭壇のような雰囲気。私はこの住宅にとても惹かれています。下動画は前述の息子がつくった『マイ・アーキテクト ルイス・カーンを探して』から。






 フランク・ロイド・ライトの落水荘

近代建築の三巨匠(コルビジュエ、ローエ、ライト)の一人に数えられるこの建築家。桁違いに異性絡みの話では厚みがある大御所登場です。
結婚。竣工の邸宅施主の妻と不倫。妻に離婚を切り出すも応じられず。ヨーロッパへ駆け落ち。帰国後、発狂した使用人が家に放火したあと愛人と子供・弟子を斧で惨殺。別の女流彫刻家と恋の逃避行。自宅兼スタジオが2度の火災。離婚再婚をめぐる泥沼の諍い。姦通罪で裁判所出廷。経済破綻。4度目の結婚へ……。他の建築家の所業が微笑ましく見えるでしょう?

落水荘はピッツバーグのデパート王、エドガー・J・カウフマンの別荘です。カウフマンの子息が、ライトの弟子であったのが縁で依頼が舞い込みました。

この建物には日本の建築がヒントになっていることが余り知らせていません。ヒントを与えたと噂されるのは,わが国のモダニズム建築家の先駆け藤井厚二の実験住宅「聴竹居」。この「聴竹居」のある敷地にはかつて「落水庵」とも呼ぶべき茶室があり、床下を抜けた水が滝となって池に落ちるようになっていたとか。






 ルイス・バラガンの自宅

バラガンは、ジョンソンのグラスハウスを訪ねたことがあり、落ち着かなかった旨を話していたとか。グラスハウスでは、どこか劇場型のライフスタイルを求められることになるからでしょうね。一転バラガンの作品は静謐さで満たされています。

彼は生涯独身でしたが、美しい女性たちが身の回りにいたことで知られています。
前回までご紹介したモダニズム住宅の多くが別荘というかたちのものであり、そして恋人が関わったものでした。それ以前の因習に満ちた生活様式を脱いだところにモダニズム住宅は成立しています。そもそも玄関という空間がいるのかとか、キッチンとリビングを別にする必要があるのかとか、間取りを細かくする必要があるとか、天井照明が全室にいるとか、そんな諸々の生活スタイルを根源から検証し、解体し、再構築したところに成立しています。
そうしたクリエイターたちには、異性との付き合い方にも結婚と言う従来からの因習を離れたスタイルを求める風土があったのかもしれません。
バラガンは生涯独身でした。今回の建物は自宅。そこに彼が求めたものが静謐さであったことは示唆に満ちています。