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  • 2016_06_26
    猪ノ口屋

    長崎酒場穴場指南ページに長崎のレトロ居酒屋「「猪ノ口屋」をアップしました。
    昨日の散人会のご参加の皆様方、異疲れ様でありました。古代日本語、現代マスメディア論、美術論、介護論、家族論などなど遠慮なくアクセルを吹かせて会話が楽しめる貴重な一時でありました。合掌。




  • 2016_06_25
    おっと、長崎の居酒屋をググると!
    皆さん、グーグル検索は使えない、と思いつつ使ってらっしゃる方が多いのではないかと思います。例えば、長崎のうまい居酒屋を探そうとしても、コマーシャルやヒモ付き店舗のようなのがずらりと上位に来て、ウンザリと。ところがです、ここに来て異変が!
    「長崎 居酒屋」でググると現在こう表示されます(クリック)。
    TV番組「ビフォーアフター」じゃないですが、「なんということでしょう!」。当サイトの「長崎酒場穴場指南」が上位(現在3番手)に出てくるではありませんか。いいのかな、こんなことで。「食べログ」や「ぐるなび」や「ヒトサラ」をおさえる快挙(爆笑)。ここんところ、しばらく居酒屋系の記事が続くことがあったからでしょうかね? と言いますか、「食べログ」などはどこもかしこも平べったく見えて参考にならない状況に落ちるとこまで来たということかもしれません。





  • 2016_06_24
    もっと勉強をしておけばよかった

    • 散人さんのコメント
      よく周りの人から「私もっと勉強をしておけばよかった」と嘆くのを聞きます。
      過去を悔やんでいるのでしょう。この人の後悔の内容は多分に「もっと勉強していれば」現状よりよい職業に就いて収入も多くなっていたに違いない、と言いたいのでしょう。が、現実はこの人は勉強しなかった。また、したけれど世間でいう安定的な職業である(私は云ってない)公務員、医師、弁護士には届かなかったのかも。
      人はみな己の責任を回避したがる。自分の積極的意思?で「勉強をしない」ことを、その人は選択したのであるにもかかわらず。また己の能力(能力は人によって異なる)を省りみることなく、つまらない現状の原因を「勉強しなかった」に求めてしまう。
      もっといえば「勉強したところで大したものにはならなかった」。友人の大工の棟梁は「修行してもものにならないヤツは半分いる」という歩留まりがある。が、それを人はやはり認めたくないから、安易に「勉強しなかった」に原因を求めてしまう。
      そうやって「過去に落としまえ」つけて人は生きていくのであります。

    • まつをのコメント
      ああ、耳が痛い。頭の痛いこの頃。

    • いわさんのコメント
      もう一つ 良く聞く言葉が「学校の勉強は、社会に出てから役に立たない」。
      これを言う人は、まず確実に学校時代にきちんと勉強してません。
      きちんと勉強すれば、役立てることはできる。四則演算は、日々役に立てているわけですが、これは、確実に習得しているからです。確実に習得できていない人(時々いますね)は、やはり日々の生活で役立てられません。
      昔、会社の会議で、在庫調査結果の報告をしましたが、統計処理して、「この数値の差は5%有意で意味がない。1%有意なら意味があるが、それに対応したら在庫数は倍必要になる。命に係わる製品ではないから5%有意で評価しよう」と説明したら、参加者の面々はほぼ目が点でした。別に理系でなくても、経営とか経済とか社会学を勉強していたら、統計は習ったと思うんですけどね。分かるように説明してくれ、と言われましたが、困りましたね。
      医療機関だと、在庫切れして、患者さんの緊急事態に対応できないことが、1%でも起こったらいけないでしょうから、在庫管理は大変でしょうね(過剰に持つしかない?)。
      これは、実は、結構ショックでした。日本の会社は、まあまあ有名企業でも結構どんぶり勘定で経営されている。多分、今は違ってきていると思いますけど。となると、学校時代に統計学をきちんと学んでおかないと、経営企画系の仕事には就けない。もちろん、学校での勉強だけでもダメなんで、まあ大変ですね。
      お前は、良く勉強したのか、というと、そうでもないのですが、まあその分良く遊ばせてもらったわけで、後悔はしてないですね。社会人になってからは、仕事の面で二つ三つ後悔していることはありますが、別段他人に迷惑をかけたということではないので、自分事だけでであります。
      結論的には、おめでたい奴で過ごせていて、幸せ者なのだろうと思っています。もうちょっとお金があったら言う事なしです。(^_^;)

    • しんのじさんのコメント
      いわさんにやや近いですが、強いて申せば、若い人をものすごく甘やかすような意見になるかもしれないけれど、「この学問(分野)は将来こういったことに役立つから、今のうちにしっかり勉強しておきなさい」と言ってくれる先生(小・中・高・大を問わず)がいたら最高ですし、そのような言葉と共に勉強した内容は特によく覚えている印象があります。
      でも、常に今習っていることは無駄ではない、将来きっと役に立つはずだと思って勉強した人は、いわさんのおっしゃるごとく、それを生かせる力がつくものだと思います。
      面白いのは、ちょっと些細なことでも授業中に褒められた科目、先生の話が面白かった(授業自体、あるいは脇道の話でも)科目、先生の態度・生き方が素敵だと思った科目は、どちらかというと得意になり、そう思わなかった科目が苦手になった私(笑)。少々影響され過ぎだったと反省しています・・・。

    • いわさんのコメント
      私は、何かの勉強をしない、ということは、将来の可能性を消していく、行為だと思ってます。今は分からない将来含め可能性を消す。しんのじさんよりも、根暗な考え方かな(^_^;)

    • しんのじさんのコメント
      いわさん、今なら極めて良くわかります。今やっていることも、以前、勉強不足だった部分を埋めるためにエネルギーや時間をある程度とられているのは間違いないですから(汗)。

    • 散人さんのコメント
      「勉強」の語に「強」が付いてるのが気になっていたが、やはりというか、語源辞典を引いてみると、「勉めを強いる」とある。気の進まないことを強いる、とある。
      本人が気乗りしないことをじゃ一体誰が強いるのかといえば、親たちも含めた社会なのだろう。「おれは勉強した」と言う人は語源的に云えば、「俺は周りから学習することを強いられた」が正解だろう。
      じゃ何で強いるのか? 我が子の立身を望んだりという功利的な場合もあるだろうが、一旦獲得した果実(科学的知識等)等を失いたくない、というのもあるだろう。

    • いわさんのコメント
      それは、漢字の意味の通りの所がありますね。 勉強ができた人は、
      ・嫌な事に耐えて、先の成功を思ってこつこつ頑張り続けられる
      ・自分を分析して、良い計画を立て、その通りに実行でき、計画の修正もできる
      という能力を示してます。 サラリーマンとして、欲しい要素であった(である? 依然今も?)ということでしょうか。

    • 大閑道人さんのコメント
      僭越ながら、私の場合、我が心身に起こったことについての探究心でした。それは、まさしく「強いられている」感じを伴っていました。




  • 2016_06_23
    吉呑み
    社会実験の話です。先日、吉呑みというやつをやってみました。
    ある日曜日の夕刻、なぜか無性にとある飲み屋に行きたくなりました。まだ訪ねたことのない店です。一人ふらりとその店に足を運びました(私にとっては年に1度あるかないかです)。店休日でした。戸の前でポカーン。それから小雨降る中、街を徘徊している時、「お!」と。

    ネットサーフィンしていた時に見かけた「吉呑み」が頭に浮かびました。やってみようかい。
    以下、私とそれに辛抱強くお付き合いいただいた山本さんのメール交信記録であります。山本さんの辛抱強いお付き合いに恐縮します。

    まつを「企画『吉野家の吉呑み体験してみよう!』やりはじめました」
    山 本「私は『家呑み』です。香川の純米酒『綾菊』とイタリアワインの両方を相手もなく、ゆっくりと呑んでいます」
    まつを「問題はこの空間にどれだけ長くいられるか」
    山 本「すばらしい!さすが、酒をたしなむインテリゲンチャ、高等遊民ならではのアクションです」

    まつを「最初のつまみは、豚皿、ポテトサラダ、お新香。これに芋焼酎がグッチョイス。ど~んときます。吉呑みメニューに誘導されぬのがキモ」

    山 本「まわりは、食事の客が多いんですか?」
    まつを「全部。酔うほどに気にならなくなります」
    山 本「精神が解放されているのです」
    まつを「これは社会実験ですね」
    山 本「私もそのように生きたいものです」
    まつを「酔ってきました。予定は1時間。なんの我慢もなく行けそう。店員さんも私の領分を認めたみたい」
    まつを「そろそろフィニッシュ。この店で交わされる略語も分かってきました」
    山 本「いい時間でしたね。私も真似をします」
    まつを「締めて2110円。一人ですからずっと呑み食い続けて」




  • 2016_06_22
    雲仙普賢岳「被災民家跡、発掘プロジェクト 2016」

    このプロジェクトは、1991年の大火砕流災害から25年を迎える本年、この地で起こった「火山噴火災害の記憶 を後世に伝え、残す」ことを目的としたものである。1990年の雲仙普賢岳噴火後の翌年、2度の大火砕流に より「被災した民家跡」を南島原市教育委員会と合同で発掘調査し一般公開までを行う火山噴火災害の創造的復興事業である。
    この被災民家跡は、2011 年4 月から5年間、一人で掘り進めてきたものであるが、今回の計画は、美術のフィルターを通して「考古学の目」と「美術の目」を呼応させ、異分野がコラボレーションすることで生まれる、新たな空間の提示でもある。
                                  2016年 5月27日(金) 大浦一志(美術家)




  • 2016_06_21
    半夏生には早すぎる
    いやあ、すごい暴風雷雨でした。外出した家人が言うには、中心街は水に溢れていたとのこと。浸水している店舗も多いようです。
    そういえばこういう懐かしい話題がありました。

    • 捨老さんのコメント(2014年 7月 3日)
      むかし、長崎のお年寄りの中には集中的豪雨を「ハゲ」と称し、その後カラリと明けて夏になることを 「ハゲる・ハゲた」などと言ってましたが、今はない言葉なのでしょうね(笑)。その頃説明してくれる人もなくて、ボクは勝手に 「激しい」から出た言葉か、あるいは重い曇り空を「剥がす」ことを言うのかな~などと、ぼんやり考えていたことがありましたが、随分後になって半夏(烏の柄杓)から出た言葉じゃなかったろうかと思い至りました。「半夏生ず」は季語だったんですね。けっしてペコロスさんには関係なかったんですね。

    • 岡野さんのこめんと(2014年 7月 4日)
      捨老さま、天草出身の母も半夏(ハゲ)雨と言うてました。半夏生の時期に降る、梅雨の終わりの大雨。 漫画のネタにも唄のネタにも(笑)すでに。それにしても昨日の雨は凄かった。

    • ウィキペディアから

      半夏(烏柄杓)
      半夏生(はんげしょう)は雑節の1つで、半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃。一説に、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているようになる頃とも。様々な地方名があり、ハゲ、ハンデ、ハゲン、ハゲッショウなどと呼ばれる。毎年7月2日頃にあたる。 この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。
      農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もある。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりした。なお、七夕にも農作業を休むとする伝承が多くの地域に伝わる。




  • 2016_06_20
    THANKS !

    父の日のプレゼントは里山カバノンのフォトブック。写真セレクトは家人と息子。それからさらにセレクトし、フォトブックにデザインしてくれたのは娘。さすがにプロのテイストです。一番好きなものを贈られました。ありがとう。




  • 2016_06_19
    九州の金曜日を楽しもう

    九州ではこの季節、7時過ぎまで明るい。ですから仕事が終わってひとっ走りして、屋外で一杯楽しむことができます。その時間ですと涼しいですしね。例えばテントキャンピング、あるいは里山道楽を大いに楽しみ、一泊して土曜日を迎える。うまくいけば日曜日までの2泊3日の野遊びがこの時期でしたら楽しめますよね。
    おまけに海や山は近いですしね。ビルに包囲されている都心部とは違います。




  • 2016_06_18
    イラストとは光
    先日、偉大なるイラストレーターであったドーミエを採り上げましたが、皆さん、イラストという言葉の語源をご存知ですか。手元に『高山宏 表象の芸術工学』という散人さんから譲り受けた書籍があります。これから以下引用。
    ----------------------------------


    ショイヒツァー『神聖自然学』より、「出エジプト記」。光は蒙(くら)きを啓(ひら)く神そのものだ。

    ヨーロッパの知識形成史上世界界最大といわれる「百科全書」の第一の特徴は、チェンバースの百科からアイディアをもらったということもあって、一つにはABC検索ですが、言葉で説明できないものはすべてpictureで見せるという編集方針が画期的でした。そしてその頃、挿し絵のことをillustrationと呼ぶようになる。それまでは、たとえば英語で言うとillumination。illuminatio(イルミナティオ)というラテン語は、「光」という意味から出て、聖書やほかの写本の隅に描かれた動物など、今日ではグロテスクと呼ばれるような絵を指しています。飾画、彩飾とか訳す。比喩的にいえばilluminatioがなぜillustrationに変わったのかということです。この説明は絵画全史を語るにも等しい。一つの答えは、聖なるものの喪失です。
    両方とも、「光」を意味し、illustrationの中のillustroは光らせること。illustrationは「光」という意味であり、そしてそれが同時に「絵」なのです。頭の悪いあなたには絵がないとわからないのかもね、ということらしい。




  • 2016_06_17
    舛添知事辞職と同じ世論形成の流れがオリンピックでも
    都民は、舛添知事を巡る一連の動向の最中、彼がオリンピック会場建設コストの高騰に懸念を表明していた人物であることを忘れていたのではないですか? それも今回のキャンペーンは「せこい」でしたよね。民度が試されてます。

    これはYチェアーといいます。椅子の世界では名作の誉れ高いハンス・ウェグナーの作品で一脚11万円ぐらい。
    舛添知事の辞職願提出と時期を前後して、新国立競技場のイスを木製にする案が出ていますね。一脚9万円ですと。眩暈がしました。世界の名作チェアーでも大量生産版は11万円ですのに、屋外で使う椅子が9万円。バカげています。本当にバカげています。屋外で椅子を使っている方はお分かりのとおり、耐久性がありません。なのに世界の名作チェアーと同程度の予算をかけて木製椅子にするなんて、狂気の沙汰です。熊本地震被災地の真ん中に行ってその案を言えるかと問うてみるといいでしょう。
    このようなことをしていては、オリンピック嫌気の世論が広まり、下記時系列で憂慮している問題は防げなくなります。今回の舛添知事辞職と同じ世論形成の流れが、オリンピック問題で起こりませんように為政者は十分配慮しなければなりません。




  • 2016_06_16
    時系列、再び

    次はウィキペディアから要約。「東京オリンピックは、JOC竹田恆和と、東京都知事が、招致活動をした結果、選出された。」
    トップの座の一人が去ることが決まりました。同日、残る一人に報道がフォーカスを当て始めました。中止となれば、この国の国際的信用は暴落し、不況が訪れ、私たちは没落します。また世論はマスコミが焦点化したことに引っ張られるのでしょうか。




  • 2016_06_15
    この人を見よ

    「この人を見よ」 オノレ=ドーミエ作。
    ドーミエは私が中学校の頃憧れた画家でした。本来は新聞にイラストレーションを提供していた作家です。絵筆を武器にして闘った社会的リアリズムの画家と称されていまして、ここをクリックしていただくと他の作品を見ることができます。この「この人を見よ」という作品をドーミエはどんな動機で描いたんでしょうね。

    • ピラトはユダヤ人らに言った、「見よ、これがあなたがたの王だ」。 すると彼らは叫んだ、「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」。 (『ヨハネによる福音書』)

    • 散人さんのコメント(2010年11月25日)
      民主主義は本来「賢人」を前提にして発生した。 しかるに今は真逆の「衆愚」の渦の中に漂ってしまっている。そりゃ確かに、王を倒すにゃ、「衆」を頼みにもするだろう。 だからと云って、「衆」を王にしちゃイケナイ。 それでも30年前まではまだ無邪気な「衆」が多かった。 だが今は、バブル勢いと衆のコンプレックスにつけ込み、大学を大量に増やし、名ばかりに高学歴とあいなった。そのうえ また商売の輩が「お客さまは神様」と神棚に持ちが上げるものだから、衆の鼻は天狗様より高くなった。が、衆は衆である。バブルはじけりゃ鼻が折れた、やれ「給料が上がらない」、やれ「就職がない」など。要するに天狗から元の衆に戻ったのに、気分は 天狗様のまま。鼻折れ天狗がガァガァ言うもだから、「政治」は右往左往、迷走。マスコミという「衆」頼みの輩も右往左往。

    • まつをのコメント
      我々は、マスコミが焦点化したことに引っ張られてはいけません。この対象は叩いていいという空気があると、キャンキャンと吠え叫ぶ犬になってはいけません。
      先の戦争も、このようにマスコミがリードし、 民衆の目がそれに焦点化し、 世論が熱狂し始めてしまったことは歴史が教えるところです。 天災の非常時には並外れた冷静さと秩序を見せる日本人も、 煽られるとこのような視野狭窄症を起こす習性を持つことを見せつけられた思いです。




  • 2016_06_14
    バルコニーバル

    今夜の一等つまみは、しんのじさんご持参の手作りウインナー。極うま。風そよぐ山の頂。よろし。大人の修学旅行「ウインナーを作りに行って、里山で食べよう」が持ち上がりました。そう遠くない日に決行予定。しんのじ師匠に引きつられ、小島くん、私は参戦の意向。来たれ、参加者。日程は追って告知。




  • 2016_06_13
    安楽子

    長崎酒場穴場指南ページには、基本的にシチュエーションのおもしろい酒場を採り上げています。
    マニアックな酒セレクションが揃うカクウチ、日本のパブとも呼ぶべきカクウチ、異空間に紛れ込んだような屋台、のめる超マニアック・チーズ専門店、のめる美術館、魚でのむ隠れ家、のめる長崎県一のうどん屋、中華でのめる隠れ家、イタリアンでのめる隠れ家、フレンチでのめる隠れ家などなど。
    この視点で考えると、あの店を採り上げるのもいいなと改めて思い、安楽子をアップしました。
    そのほかにもシチュエーションのおもしろさとしては、次のような個人宅のような居酒屋もありますが、呑むに向くか否かは別。あかま縁側 missi日本料理 竹生(ちくぶ)




  • 2016_06_12
    時間が止まったような店

    マーケティングで作り出された店は好みません。トヨタの自動車のように、多くが似たようなものになるからです。カフェも出鼻は輝いていましたが、今では。オジサンは同様なことが1970年代にも起こったことを知ってます。喫茶店の繁茂がそうでした。けれどそうしたことは無駄なのではなく、その後の住宅傾向の先駆けがみられるのではないかと思います。一般家屋のインテリアは一層あんな感じになっていくでしょう。
    「そんな動向は置いといて」という店が好きです。上写真はサロマニアン長崎酒場穴場指南ページに採用している写真は、このジャズバーで呑んでいるペコロス岡野さんと散人さんです。差別化という視点では抜群の店ですね。前日に挙げた店も同じ傾向にあるのでしょう。



 
 
   
 




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長崎市で通勤生活に身を窶しています。人生を楽しむ。仕事を楽しむ。人に役立つことを楽しむ。座右の銘は荘子の「逍遙遊」。
「よくこんな事をする時間がありますね」とおたずねになる方がいらっしゃいます。こう考えていただければ幸いです。パチンコ好きは「今日は疲れたから、パチンコはやめ」とは思わないもの。寸暇を惜しんでパチンコ玉を回します。テレビ好きも、疲れているときこそテレビをつけるもの。ここにアップしたものは、私が疲れたときテレビのスイッチを押すように作っていったコンテンツです。次は私の作品たち。

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