









天狗久の頭



戦時中のこと、中富村(現在の山鹿市鹿本町中川)の、直井キクという人から「文楽の一座をやっていけなくなり、頭一式を買い取って欲しい」との申し出がありました。
一座の名前はわかりませんが、戦争が激しく公演どころではなくなり、一座の頭をすべて売却することになったということでした。
「物好きで金を出してくれて、手に入れてもすぐ売り払わない」と考えたのか、松見呉服屋(現在の山鹿市鹿本町来民)に行き話しをまとめました。
店主松見達雄は、毎日新聞に勤めていた兄勝海と相談してすべてを買い取ったようです。
お金は勝海が出したららしく、すべての頭はあとで門司の勝海のところにに送られたようです。
昭和21年、戦争が終わって、松竹が復興してきたので、頭を「返して欲しい」と、勝海に申し出がありました。
下がそのときのいきさつの手紙。
桐竹門造という名前が出てきますが、このことからも田舎芝居というレベルではなかったことがわかります。
「乙女文楽」との関係はどうなのでしょう。
戦災で多くの頭が焼けていった中で、辺地で25個の頭は残りました、そこまで計算していたのなら門造師匠はすごい。
頭を売り渡した直井キクという女性は何者? 桐竹門造との関係はとても興味があります。
鹿本町の歴史には、一座のことの記録はあるのでしょうか。
: 現在も桐竹門造直系の劇団があるようです。
上が松見勝海から松見達雄宛に出された手紙です、この後、興行に一座から招待を受けた時の手紙もあります。「門造師匠お喜び、見物席に何べんも挨拶に来る、ご機嫌取りに来る、外のお客は小生を何サマだろうかと見ている仕上げた人形の頭を見物席に持ってきたので、外の見物客はいよいよ舞台を見ずにこちらを見ている」とあります。
この頭のほうがきれいで痛んでいません。
眉も目も動きます。
この頭にはなにも刻印はありません。.
昔、紐を引くとバケモノに変身する頭があったそうすが、今はありません。
このほか、太鼓があります、買ったときはのぼり旗まであったそうです

「売渡證」には「熊本県鹿本郡中富村 人形師 直井キク」とあります。
これは直井キクが書いたものではなく松見達雄が書いたもので多分、印鑑だけ押したものだと思われます。
中富村に本拠地を置いていた一座があったという話は本当なのでしょうか。
当時は日本全国に数多くの一座があったらしいので、あったとしても不思議ではありません。
当時、山鹿市の八千代座や来民町の城北座など本格的な芝居小屋がすぐそばにあったのですが、地元の一座の公演があった話は聞いていません。

昭和二一年九月二十日に差し出されたもの、この封筒は2回目のものかもしれません
生地は分厚く重いので使うのは大変だったろうと思われます。
銀糸を丁寧に縫いこんであり、手が込んでいます。
最初は大層きれいだったはずです。

21.6.26撮影

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2010−05−03更新