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8.5〜8.9 ヒロシマ、ナガサキ反核行動報告 多彩な取り組み、参加者の減少、どうする!

 原爆投下から63年目の今年も、ヒロシマ、ナガサキでは多くの記念行事、反核・平和集会がもたれました。ヒロシマでの「8・6ヒロシマ平和のつどい2008」と、ナガサキでのピースウィーク」の取り組みの報告です。
 「8・6ヒロシマ平和のつどい2008」は、8月5日「平和を求めるなら9条を鍛えよう−核・基地・グローバル化」の集会に前だって、岩国コース、「原民喜と歩くヒロシマの『夏の花』」、平和公園碑巡りの3コースのフィールドワークが行われました。
 ヒロシマ市民交流プラザで行われた「8・6ヒロシマ平和のつどい2008」のつどいは、約100名が参加しました。第1部のスピーチは原発はごめんだヒロシマ市民の会で被爆者2世でもある木原省治さん、長崎ピースウィーク実行委員会の船越耿一さん、在ブラジル原爆被爆者協会理事の盆子原国彦さん、『ヒロシマナガサキ』共同プロデューサーの繁沢敦子さん、ピースデポ代表の湯浅一郎さん、ピースサイクル全国ネットワークの新田秀樹さんが行いました。
 船越さんは、大学での授業の経験から、学生の中で、国際情勢や今日の凶悪事件をとらえ「やられたらやり返せ・報復だ・死刑だ」という風潮が強まっているいることを警告し、「ノーモアナガサキ、ノーモアヒロシマ」の原点をふまえることの必要性を訴えました。盆子原さんは、「2005年はじめてヒロシマにきたときは、在外被爆者は日本に来て申請しなければ被爆者健康手帳を取得できなかった。それ以降の被爆者が起こした裁判の結果その裁判に関する分だけ、認められるようになった。ブラジルをはじめ在外被爆者も高齢化しており、一刻も早い対応が必要だ」と訴えました。湯浅さんは、北東アジア非核地帯構想、世界の非核地帯化をめざす積極的運動が必要だと訴えました。
 第2部では、英国のアニクロニム軍縮外交研究所所長のレベッカ・ジョンソンさんが「ファスレーン、ヒロシマ、アクション」と題して講演しました。ジョンソンさんは、「核廃絶を山の頂上と考えるなら、頂上に近いあと3段階くらいのところにきている。国連安保理で決議案を出し、核兵器の使用は人道に対する犯罪だと宣言すべきだ。はじめは核を持つ常任理事国が拒否するだろうが、説明を求めつづけるべきだ。広島市民や被爆者のこれまで以上のリーダーシップと参画が必要だ」と述べました。このあと、ファスレーン365日本代表の豊島耕一さん(佐賀大学教授)が、昨年夏スコットランドで行われた反核、非暴力直接行動について説明・報告しました。
 集会では、6日に平和公園での式典参加者に配布される「市民による平和宣言2008」も採択されました。
 6日は、早朝から、平和公園の各入り口で、「市民による平和宣言」と「9条意見広告」を配布し、原爆投下の8時15分直前から原爆ドーム前でダイ・インのあとグランドゼロのつどいがもたれ、主催者代表の湯浅さんは、「あってはならないこと(原爆投下)をした大国が世界を牛耳っている現実」を変える必要を訴えました。そのあと生活クラブ生協・神奈川の子どもツアーの参加者、長崎の高校生一万人署名運動、船越さん、ピースサイクル、関西共同行動・原田さん、劣化ウラン弾禁止市民ネットワーク、宇治の被爆者の米沢哲志さんなどが発言しました。長崎の高校生は、「わたしたちは微力ではあるが無力ではない」という彼女・彼らのねばり強く力強い合い言葉を紹介し、船越さんや米沢さんは、戦前に回帰していくような状況に注意を喚起していました。
 集会のあと、中国電力前までデモし、中電前では、中国電力の祝島など原発推進に反対して座り込みと集会を行いました。参加者は約200名でした。
 午後4時からは、前日の市民交流プラザで「核兵器廃絶への道 今こそNGOの出番だ!地雷・クラスター 次はDU そして 核廃絶」と題してヒロシマ国際対話集会〜反核の夕べ2008が開かれました。問題提起者は米国フレンド奉仕団のジョセフ・ガーソンさん、英国アクニロム研究所のレベッカ・ジョンソンさん、ヒロシマ平和文化センター代表のステーブン・リーバーさん、韓国のフォトジャーナリストの李時雨さんでした。
 それぞれが、核廃絶についての意見を述べましたが、ジョセフ・ガーソンさん(米)とレベッカ・ジョンソン(英)さんが、核廃絶の観点からはアメリカ大統領選挙で民主党候補のオバマ氏の勝利に期待を寄せたのに対してステーブン・リーバーさんは、民衆の運動の攻勢的イニシャティブの必要性を強調しました。李さんは、米軍の軍事行動にとっては、韓国と日本の間に国境などないことを指摘し、原子力潜水艦の少なくとも4分の1には核トマホークが搭載されていることに注意を喚起しました。
 7日の「海から見る!被爆地、呉基地クルージング」は、燃料の高騰をうけ今年で打ちきりになるということでしたが、満席の状態で運行されました。
 
 長崎の「ピースウィーク2008 in NAGASAKI」は、8月2日の講演集会「教育基本法の改悪で何がかわったか」に始まり9日のピースバスで終わりました。3日には香山リカさん、7日にはきくちゆみさんの講演会が、8日には「端島・高島ピースクルーズ」と「被爆体験を語り継ぐ会」、9日午前中は「ピースウィーク2008市民集会」ももたれました。「被爆体験を語り継ぐ会」では高校生1万人署名運動に取り組む高校生たちが在韓被爆者との交流の経験を語り、韓国の被爆3世高校生が祖父の体験を語りました。またフィリピンの高校生も参加し高校生の間での交流が着実に進んでいることを示しました。
 9日、早朝、長崎在日朝鮮人の人権を守る会などによる長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼集会が犠牲者追悼碑の前で行われました。
 10時から、爆心地公園で「ピースウィーク2008市民集会」がもたれました。実行委員長の船越さんは、漁船清徳丸を沈没させたイージス艦「あたご」は、長崎の戦艦「武蔵」を造った船台でつくられたことを指摘しながら、戦争をなくす・許さないまちづくりが大切だと訴えました。その後、ピースサイクル、ヒロシマからの7名、ハーバード大学生でシンガポール人の廬詩霖さん、ドイツの兵役拒否の学生で岡記念館ボランティアをしているロマンさん、鹿児島大学で平和学を教えている木村さん、元慶応大学の藤田裕幸さんなども発言しました。また東京の山本英夫さん、クラブ生協北海道の森田さん、関西共同行動の古橋雅夫さんも報告・発言しました。今年も星座保育園の園児たちが手話を交えた歌を歌いました。
 特に今年は、水俣病互助会、被害者互助会などから16名が参加し、水俣病患者と被爆者に対する国の扱いの共通性にふれ、力を合わせていく決意を述べたことが印象的でした。
 最後に、鈴田さんが「ピースウィーク2008市民集会 市民宣言を読み参加者で確認し、その後爆心地の追悼碑を人間の鎖で囲み取り組みは終わりました。

 今年の、ヒロシマ・ナガサキの取り組みは、「原爆投下はしかたない」と発言した久間元防衛相の謝罪もないままの式典参加、シーハー米大使の原爆投下正当化発言、核武装論者麻生の自民党幹事長就任などがあったなかで、広島でも長崎でも、式典も運動側の取り組みも参加者が減っていました。これをどう理解し、克服するかは、広島、長崎の人たちだけではなく、全国の反核・平和の運動に係わるものの課題だと思います。

08/08/21 H



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