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映画「靖国」を見た

第七芸術劇場で映画「靖国」を見た。上映は延長され18日目だったが約百席は満席だった。色々な意味で「面白い」映画だと思った。敗戦の8月15日、靖国神社境内で繰り広げられる喧噪ぶりを始めて見た。三八銃の隊列やら振りかざす軍刀、厳しいはずの銃刀法規制は、ここではお構いなしの解放区で、おじいちゃん天国である。おぞましく軍隊ラッパが鳴り響く。戦争中「ラッパ鼓隊」員だったので軍隊ラッパは今だ頭の中に残っている。中心は小ラッパで少年向き小振りだったので、いつかは本物を吹きたいと思っていた。「兵隊送り」の日には役場前から駅までの行進などで吹いたが必要以外の軍隊ラッパも覚えた。持ち出しが許されて少年団活動でも集合や登校時などでもラッパを吹いた。
 子どもの頃、町の外れ鍛冶屋(鉄工所)をよく覗き込んだ。何人か職人がいて戦争中はいわゆる「昭和刀」を作っていた。大工や家具・建具屋、鍛冶屋や金物屋が木工組合や鉄工組合をつくり軍需工場を開設した頃だった。軍需に関係ない自営業者は都市工場に徴用される時代だった。珍しく操業していたその鍛冶屋は軍の指定だったのだろう。戦後これら「昭和刀」はだぶついて、私の兄などもどこからか手に入れていた。
 自民党有村治子議員の介入で問題となった、高知の刀匠刈谷氏が全編を通して登場する。東大阪石切に店を持つ刀匠は奈良に鍛冶場を構え、その映像を以前見たこともある。その神聖なイメージもあって、刈谷氏の鍛冶場があまりにも雑然としていて、これではただの「村の鍛冶屋」はないかと思った。
 靖国神社側は「ご神体は神刀および神鏡」と回答しているようだが、刈谷氏鍛錬の刀との関係はよく分からない。たぶん多額献金者への記念品として神社側が利用したのだろうと思う。昭和天皇・皇后の「ご真影」なども記念グッズとされたようで、戦死遺族の親戚で見かけたことがある。
 自衛隊観閲式の行進曲にも使われる「抜刀隊の歌」の曲が流れる。戦争中の運動会で全校男子「帽子取り」競技の始め、「水もしたたる日本刀----」という歌を歌ったことを思い出す。剣道は男子必修科目だった。
 靖国神社境内喧噪の動から静へと一転、大阪小泉靖国訴訟原告団代表の菅原龍憲さん、二人の兄が戦死した古川佳子さん、そして台湾原住民原告代表のチワス・アリさん(女優で台湾立法院議員)らのインタビューへと移る。先ほどまでの喧噪で私らの世代には、かつての時代に連れ戻されたかのようだったが、やっとここらで落ち着く。(右翼サイドでは一方の主張のみ取りあげたと非難するが、監督が稲田氏にインタビューを求めたが拒否されたという。)
 「事前検閲など、そんなつもりはなかった」という稲田朋美議員にとって、これら原告の登場は最も忌み嫌うところで、「この映画のメインキャストはこれら原告である」と断定している。稲田は「百人斬り訴訟」で主任弁護人を務めたが全面敗訴する。その後、徳永信一弁護士と組み靖国訴訟で「補助参加」制を利用し裁判介入を図り、弁論展開の機会を確保した。
 この裁判は「合祀取り下げ」を求め靖国神社も被告としたのが特徴。稲田、徳永氏らは「靖国応援団」と自称、日本遺族会や各種右翼団体を巻き込んだ。原告側は「還我祖霊」を主張するチワスアリさんら台湾原住民百人以上が第二次原告に参加する。これに対抗し台湾人や靖国遺族ら補助参加させたが、裁判所は度重なる申立ては採用しなかった。結局、二次訴訟控訴審で高裁は請求は斥けたものの小泉の靖国参拝を違憲と判断した。
 稲田はその後、小泉チルドレンの刺客として参院選に立候補し当選するが、早くも「伝統と創造の会」を立ち上げ若手議員を束ねる存在となる。徳永弁護士らの次の一手が、いわゆる「沖縄・集団自決」を巡る訴訟で、自由主義史観研究会や「教科書つくる会」などの提携によるものだった。この訴訟も一審で原告敗訴となるが、原告側は稲田を含め36人の代理人を立て、対する被告側は三人の顧問弁護士だった。この裁判も6月25日に控訴審が開始される。一方小泉靖国訴訟は「靖国合祀取下げ」を求める訴訟に継続され、6月10日の第十回弁論ではいよいよ証人尋問
に移る。
 映画「靖国」が特にこれら訴訟に重点をおいたわけではなく「日本人とは何か」の問いかけの部分にすぎないが、これら一連の裁判に関わる者として言及せざるを得なかった。何れにしても「靖国神社と日本刀」のテーマは、中国人監督ならではの着想である。      
 
08/05/30 W


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