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いま改めて「司法の独立」を考える

 4月30日の毎日新聞によれば、砂川事件の裁判をめぐり駐日米大使と最高裁長官と「密談」があった文書が米公文書館で見つかった。(同日「しんぶん赤旗」もとりあげ、解説で主な「秘密事項」など掲載。)
 砂川事件は57年、米軍立川基地反対闘争で7人が、日米安保の刑事特別法に問われ起訴されたが、59年全員無罪となるいわゆる「伊達判決」があった。しかし「跳躍上告」で逆転し有罪となった。事件は強制測量に反対し、僅か4〜5メートル予定地内に入っただけの極めて軽微なものに過ぎなかった。逆転有罪の背景にこのような密談があったことは「やはり」という思いだ。司法の独立をめぐり、あってはならない圧力・内政干渉だが、政府は「沖縄密約」同様に「そのようなことはなかった」というに違いない。

 イラク派兵をめぐる名古屋高裁判決では、原告側は上告せず5月2日確定した。これに関して5月1日の朝日新聞で、いわゆる「長沼ナイキ訴訟」一審で原告勝訴の判決を行った元裁判長の福島重雄氏が、「司法は堂々と憲法判断を」と題して寄稿している。違憲、合憲にせよ裁判所は「統治行為論」で回避せず、憲法判断に立ち向かえよとするものだ。
 これまで幾つかの憲法・自衛隊にめぐる裁判に関わってきたが、「伊達判決」や「福島判決」は原告側にとって有力な判例だった。しかしながら「福島判決」以後35年間、「裁判に馴染まない」とする統治行為論か、「そのような私法上の権利はない」とする訴訟法手続論で門前払いされるかだった。
 そしてこの間、保守独裁体制のもとで「解釈改憲」が横行し、「最低限度の自衛力」は聖域化した防衛費の下で装備は絶え間なく拡大され、遂には堂々と海外派兵される時代となった。かつての東西冷戦のもとでのナイキミサイル配備は、今や膨大な予算を伴うPAC−3配備に至っている。

 ところで「定年退職前の裁判官はいい判決をだす」という通説がある。今回の名古屋高裁のイラク訴訟判決も担当裁判長はすでに退職し、後任の裁判長が判決文を読み上げた。これがもし若手裁判官で、思い切った判決を出そうとするなら、何かと圧力があることを立証したのは「福島判決」をめぐる「平賀書簡」問題だ。
 この問題は当時の平賀札幌地裁所長が、福島判事に判決内容の変更を迫るもので同判事の告発で明らかになった。最高裁は双方を処罰したが、平賀所長は注意程度の軽いものであった。一方福島判事は判決後、閑職に左遷されるに至る。
 更にその後、裁判官の「青法協」(青年法律家協会)加入をめぐり、宮本康昭判事補の「再任拒否」問題がおき、以後最高裁による思想統制が強化される。これらについて何の反省もない最高裁の体質は今日も続き、箕面忠魂碑訴訟の神坂直樹君のように「任官拒否」のケースもある。
 一方、箕面忠魂碑訴訟一審で原告勝訴を判決した裁判長が、右翼に斬りつけられるという事件もあった。このトラウマか、その後の小泉靖国訴訟で裁判所は「荷物預け」と金属探知機を設置するようになった。つまり思い切った判決には、当局の圧力と同時に右翼の脅迫・迫害も覚悟しなければならないということだ。
 住基ネット裁判で違憲判決した大阪高裁裁判長は、判決後に何故か自死したが、遺書もなくその理由は不明のままである。勝手に判断できないが、原告勝訴の判決文を書くにあたって相当の心労があったのではなかろうか。
 太宰治の小説だったかに「家庭の幸福は諸悪のもと」という言葉があった。役人は役人らしく「鳴かず飛ばず」、あたりさわりなくやっておれば、左遷もされず家庭の幸福は保証されるというのである。裁判官よ勇気をもって正義に立ちむかえ。

◆追伸
 憲法記念日の日の朝日新聞に「ゴンドラの唄」を作曲した中山晋平の記事があった。ご存じ映画「生きる」のなかで、志村喬が公園のブランコで「命みじかし恋せよ乙女」うたいます。余命幾ばくなないことを告知され、「人間どう生きるか」の感動的な映画でした。太宰の短編小説もたしかそんな役人の話だったようです。

08/05/08  W

反戦・反基地ブログ