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桜井忠温と水野廣徳

 先頃、NHK<その時歴史が動いた>シリーズで、「軍服を脱いだジャーナリスト〜水野廣徳が遺したメッセージ」を放映していた。日露戦争で、陸軍の桜井忠温(ただよし1879〜1965)は旅順攻略を『肉弾』として、海軍の水野廣徳(ひろのり1875〜1945)は日本海海戦を『此一戦』として発表しベストセラーとなった。ともに愛媛松山の人で、水野は夏目漱石の教え子。これらの作品は当時の国策にそった内容だが、近代戦争記録文学の先駆けとされ広く読まれた。
 水野は軍の命で第一次大戦中の欧州を視察する。そこで惨憺たる戦争の民衆被害を目撃し自らも空襲を体験する。軍国主義者だった彼は帰国後は一転、軍縮論者となり、職を辞してジャーナリストとなり更に軍備撤廃論を展開する。
 国際的には軍縮の時代を迎え、政府は軍縮条約を調印する。軍艦が制限され陸軍も兵員が削減されるなかで軍部は黙っていなかった。「統帥権干犯」を主張、天皇の軍隊を勝手に削減するのはけしからんというわけだ。そして陸海軍将校らが画策して政府要人へのテロ襲撃事件が続発する。一方、関東軍は「満州事件」で天皇の軍隊を勝手に動かしたが、統帥権干犯にならず、政府も天皇も追認してしまった。
 こうした時節のなか、水野は一貫して軍縮・軍備撤廃論を主張し、やがてアメリカとの戦端をひらくことまで予測し警告する。しかし「15年戦争」に突入するなかで言論発表の場を失う。やむなく自らの講演活動を展開する。
 NHK放映ドラマ、早坂暁脚本の『花へんろ』で、富屋商店経営の「大正座」で水野が講演し暴漢に襲われるシーンがある。早阪自身の水野に関する著作もあるようだが、言論発表の場を失った頃を描いたもので早阪の自伝的作品ともいわれる。「その時、歴史が動いた」というのは、水野が憲兵監視下におかれ講演活動すらできなくなった時のことをさす。

 子どもの頃、桜井忠温の『草に祈る』を読んだ。家業を手伝っていた父の遠縁の者が読み残した本だった。のちに海軍志願兵となったが、たぶん『肉弾』も『此一戦』も読んでいたであろう。彼は向学心強く家族でも話題となり、私が海軍を志願する一因ともなった。
 前に呉の反戦水兵のことを書いたが、検挙者の中には大正10年志願入隊の人もいて、海軍では早くから志願兵制をとっていた。私ら15年戦争の時代と違って、貧しい家庭の者にとっては職業選択としての志願だった。大正から昭和初年にかけプロレタリア文学運動も盛んで、これらの作品とともに水野や桜井の作品も読んだであろうし、そういう自由な雰囲気があった。おそらく『此一戦』に続く水野の反戦の諸著作も彼らは読んだであろう。
 桜井忠温の『肉弾』はのち「肉弾三勇士」にも引用されるが、発表当時は陸軍上層部の逆鱗にふれたという。結局は陸軍少将までなって後に予備役編入される。桜井の晩年のことだと思う。陸軍省委託で映画監督・亀井文夫は『戦ふ兵隊』を制作するが上映禁止となり、これが原因で検挙されることになる。桜井はそんな亀井に対し、映画を評価し激励したといわれる。取り調べ憲兵の質問に亀井は「モリジアニが好きだ」と言うと、「お前は根性が曲がっているから、あんなねじ曲がったのが好きなのだろう」と言ったという。桜井は画家でもあり、まさかそんな見方はしなかっただろう。桜井は水野ほど積極的反戦論者ではなかったが、旅順で重傷を負うなど、ともに戦争悲惨の現実を知っていた。
 なおNHK放映では、何故か右派歴史家の秦郁彦がコメンテーターとして登場する。
水野をどう思っているのか知らないが、NHKがこういう「配慮」をするところにこそ現在の問題がある。         

08/03/08 W



          
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