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年頭にあたり

 先日新年会に参加した。むかし反公害運動に関わっていた団塊世代の人たちで、私は友人を介した便乗参加だった。待ち合わせは阪和線の北信太駅。このあたりは葛の葉町の町名で近くに葛の葉稲荷神社がある。
 急行の止まらない同駅舎に「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森のうらみの葛の葉」と、色あせた歌と絵の看板があった。
 安倍安名に助けられた白狐は女人に化け、その子どもがかの陰陽師・安倍清明。歌舞伎などで知られる「信太子別れ」話の実在と伝説が混在する。大阪ではきつねうどんを「しのだ」とか「けつね」などと言う。
 新年会は「寄り合い酒」風の持ち寄りで近くの鶴山台団地の個人宅。政治の話から誰彼の消息など話ははずんだ。地元の住人もいて信太の子別れ芝居上演や、信太の森の保護運動にも関わりを持つ。勤め先も退職、子供たちも自立するなかで余生を模索する世代だ。都市部の旧団地も今や「限界集落」が迫っている。

 信太山界隈には古墳も多く渡来人に関わる遺跡も発掘されている。初詣で賑わう伏見稲荷のルーツは渡来氏族の氏神だったが、稲作豊穣を願う農業神としてお稲荷さんは全国に広がった。現在では商工業の神様としてビルの屋上に祭ったりする。
 私の住む近くにも瓢箪山稲荷神社がある。渡来人族長級の古墳に稲荷を祭ったもので神主はハタ姓を名乗る。明治大正期には「辻占」で有名だった。
 そのお稲荷さんの「お使い」が狐とされ、子どもの頃狐に化かされた話をよく聞いた。それだけ狐は身近な動物だったのだろう。年老いた狐は白狐となり霊力をもつとされ、狐自体を本尊とする稲荷神社もあるらしい。

 泉州の地場産業は織物でタオルなどが知られる。綿花栽培普及以後のことだろうが、はるか古代「いまきのてひと」と呼ばれた渡来人が、すでに織物技術を伝えていたのかもしれない。その後被差別部落が形成されたが、渡来人同様何らかの技術に関わる貧しい民衆だったようだ。信太伝説はこうした階層別化がすすむなかで起きた出自をめぐる因果因縁話ともいえるのではないかと思う。

 以前行ったこともあるが近くに自衛隊普通科連隊駐屯地がある。グァム島で特別訓練を受けるなど近畿では精鋭とされる。70年代には隊内部落差別事件があった。戦前は第4野砲連隊のあったところで玄関前に馬魂碑がある。
 「兵二万馬六千」と言われ帝国陸軍の動力は馬だった。従って野砲や弾薬など牽引は総て馬力だった。「貴様らは一銭五厘でなんぼでも調達できるが、馬はそういかんぞ」と新兵は古兵に怒鳴られたと言い、馬は大切にされたようだ。
 駐屯地に隣接して信太山演習場がある。以前は、演習のない日は自由に入れ、起伏の激しい地形はライダーたちの穴場だった。だが今はフェンスで囲まれ入れないと地元メンバーは言う。演習場内には池あり谷あり、都市ゲリラ訓練所もある。演習が激しくなったのか、自衛隊の秘密主義のせいかは良くわからない。

 その駐屯地近く黒鳥町の公園に、反戦水兵・坂口喜一郎の記念碑がある。長くなるのでこの件は次回にしたい。   08/01/10 W



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