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石崎昭哲さんを惜しむ

 北九州で「福岡ベ平連」や「三里塚闘争に連帯する会」などの「代表」をされていた、石崎昭哲さん(享年79歳)が今年9月6日ガンで亡くなられた。今月23日、その石崎さんを「偲ぶ会」(福岡リーセントホテル)が行われる。
 関西の私たち周辺でも、7月17日「三里塚闘争に連帯する会」の上坂喜美さん(享年83歳)、7月30日には、かの小田実さん(享年75歳)が相次いでガンで亡くなられた。小田さんの追悼会(東京、神戸)には、石崎さんは追悼の言葉を寄せておられたが、追うように逝ってしまわれた。

 私は石崎さんとは会ったことはないが、福岡の石崎さんの名前は昔から知っていた。
福岡ベ平連と言えば、69年8月の大阪城公園「反戦バンパク」に、九大構内に墜落した米軍ファントム戦闘機の残骸を持ち込み、展示したことが印象に残っている。このほか、北九州の米軍山田弾薬庫撤去闘争や、佐世保「エンプラ闘争」の取り組みでも知られている。ちなみに、石崎さんは「福岡ベ平連の発足」について次のように書いておられる。
▼すでに、母体として、1965年10月10日以来「福岡10の日デモ」があった。更にテト攻勢によって、ベトナムで倫理的、経済的に破れつつあったアメリカが軍事的にも敗北しつつあることが明らかになり始めていた。エンプラ闘争、
 山田弾薬庫撤去闘争の中から、福岡ベ平連が誕生したのは自然であったといえよう。「われわれは、単に行動の面においてラディカル(急進的)な抗議形態をと るばかりでなく、現在アメリカのベトナム侵略に対して深く加担していく日本の支配層に対して"ノン"を言い続けていくという原理面においても、もっともラディカル(根底的)なのだ」というこの当面の確認は、現在に至るさまざまな多様な行動の中に生き続けてきたし、今後も失うことはないだろう。(石崎昭哲)
      ※小田実・鶴見俊輔・吉川勇一編『市民の暦』(73年、朝日新聞社)

 石崎さんの「偲ぶ会」には出席できませんが、心より冥福を祈り、「逝きし人々の生きよう」を胸に秘め、これからの取り組みに励みたいと思っています。

2007/11/8 W
反戦・反基地ブログ