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「リクツ言うな」

「議論より実を行え、なまけ武士、国の大事をよそにみる馬鹿」幕末、生野の乱(「生野義挙」)で決起に失敗、自決憤死した若手急進派、南八郎(河上弥市)の「辞世の句」です。(壁か岩に殴り書きしたとされる。)

 大和天誅組の乱に呼応し生野代官所を占拠、幕府打倒の烽火をねらったが天誅組敗退で、中止派と決行派に分裂した。七公卿若手19歳の中山卿を立て平野国臣を首謀者とするが京都で政変が起き、どちらの蜂起計画も番狂わせとなった。
 南八郎は高杉晋作の信頼も厚つかったが、奇兵隊総督を捨て、決起にはせ参じたこともあって引くに引けなかった。
 代官所を武力攻撃した天誅組と違って、表向きは攘夷国防のための「農兵組み立て」 を口実とした経緯もあり、幕府軍と一戦も交えず撤退することは、南にとって不本意だった。近隣藩兵の討伐軍が迫ってくるなか「さむらい」らの大激論が交わされたのだろ。一方、天領農民たちは、名主ら村役人の言いつけで集まったものの「どうも話がちがう」と「陰謀」を勘づき動揺が広がる。脱藩藩士や地元郷士ら寄せ集め決起団も結局は四散、多くは捕らえられて処刑された。

 前置きが長くなりました。
 戦争中、この「生野義挙」の顕彰運動があり、旅回りの劇団が「生野義挙ものがたり」を但馬一円で上演して回った。チャンバラ劇団といえど国策に沿わない芝居はできなくなった時代です。珍しい「芝居見学」とあって私ら子供たちは、劇中の仕草にギャグを交えマネするなど、南の辞世とともに印象深く覚えている。
 やはりシナリオのヒーローは若手過激派の南八郎や三玉三平らです。負けを承知で決起貫徹の精神は時局にふさわしく、まさに特攻精神にぴったりでした。
 「不言実行、論より実行」、「文句言うな、ヘリクツ言うな」、「先生や親の言うことを素直に聞け」、「リクツ言う間に一仕事」、「不平不満言うな」、「ぜいたくは敵だ」、「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」、「ものを大切にしろ」、「いらぬとて、捨てる心を捨ててしまえ」----まあ、こんな時代ですので「議論より実行」が芝居のなかで強調されたのでしょう。

 都会から転任してきた教師は、「田舎の子は素直でいい」と口癖のように言っていた。「都会の子はくそ生意気で困る、何かにつけ文句言いよる」とまでは言わなかったがそんな心情だったのだろう。いずれにしても先生や親の言うことを、何でもハイハイと素直に聞く子供が良い子供だった。
 ところが戦争に負け民主主義の世の中となる。親や先生、えらい人の言うことは絶対だったが、「そりゃ、ホーケンテキ」とか「封建主義」だとか言われるようになり教科書も「墨塗り」、先生方も困っただろう。

 そんななかで東北一寒村の中学生生活記録『やまびこ学校』がベストセラーとなり映画化にもされ注目された。戦争中「生活綴り方」運動が弾圧されたが、子どもがものを書いたり考えたりすることは「一億一心」体制にとって不都合だった。
 何でも言われるままに従う価値基準が戦後百八十度転換した。「やまびこ学校」はそうした状況のなかで、生徒自らが考える教育のあり方を示すものだった。
 生徒たちの数項目申し合わせの「誓い」があったが、そのなかに、「いつも何故かと考え、もっといい方法はないかと考えよう」というのがあった。
 戦後教育は平和憲法のもとで、こうした模索が進められ築かれてきた。戦後六十年の現在はどうでしょうか。

 07/01/25 W
反戦・反基地ブログ