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『日常の中の戦争遺跡』を読む

●大西 進『日常の戦争遺跡』(2012年6月30日 アットワークス社 本体2600円)

 同書の帯に「旧陸軍航空兵力の一大拠点 八尾・大正飛行場の全貌」とあり、読売・
河内地方版7月22日、同著を取り上げている。
◇「住民が見た戦争 伝える」「230人の証言、遺構資料収集」「爆撃、軍事施設の
 日常 再現」「八尾の郷土史家 大西さん出版」~などとなっている。

 著者の大西さんは1940年八尾市黒谷に生まれ、今年72歳。大阪府立大を卒業し近鉄に
入社。父親は東部ニューギニアで戦死。2002年に退職し翌年「遺骨収集団」に参加した
ことなどが同著をまとめるきっかけとなった。河内の地方誌『河内どんこう』に2008年
から19回にわたり連載したレポートを今回同書にまとめたものである。
 これまで近畿八尾を中心とした旧陸軍航空戦力に関する著作はなく、例えば八尾市史
などはわずか四行しかなかった。

 戦時の状態を追体験・復元・検証するため、公文書その他膨大な資料を当たると同時
に、これらを実証するため250人以上の体験者からの聞き取りが行われた。これらの
中には度重なる聞き取りのうち鬼籍になられた方もいる。
 旧陸軍航空基地は大きく分け、戦闘司令部と木ノ本地区の陸軍航空廠に分けられる。
米軍の爆撃が激しくなるにつれ部隊編成も刻々と変転・移動し、専門家でないと分から
ないこともある。航空機を温存するため場内には大小の掩体壕が19ヵ所、場外に21
ヵ所作られた。(現存するのは高安地区に1ヵ所残り、個人所有地として農機具倉庫に
使われている)。高射砲・機関砲・聴音機などはどのように配置されていたか図柄入り
で説明される。対空監視哨も八尾中学屋上その他に設置され青年団員らがどのように勤
務していたか分かる。また、実際には使用されなかったが直線道路が予備滑走路として
確保され障害となる建物は禁止され。久宝寺緑地のように現在公園として使用されてい
るが、戦時に対空緑地と確保されたことを知る。
 建物の強制疎開をはじめ基地拡張は「特高」監視のもと、有無を言わさず強制された
証言などで裏付けされる。八尾の空襲(爆撃や機銃掃射で95人死傷、消失戸数130
戸)。なども日を追って綿密に記述される。松根油生産もその工程と共に精製施設が間
に合わなかったことが揚げられる。(私は郷里で松根油工場を見聞したこともあり、兄
が監視哨員で話を聞いたこともある)。
 戦闘司令部の関係では、現在自衛隊が広報室に使用している戦闘司令室が唯一残って
いるだけで、全国的にも珍しい。筆者は高安の掩体壕とともに保存を要請したが、戦争
遺跡としての保存は確かなものとはいえない。片や個人所有、片や自衛隊所有という壁
があり当事者の一存にゆだねられている問題もある。
 同書は筆者の実直さを物語り敬意をはらうものであるが、70年代から始まる私たちの
もっぱらの関心は自衛隊の存在であり、八尾飛行場の戦後史であった。確かに筆者の狙
いである戦時の大正飛行場の再現・検証は貴重な遺産とすべきではあるが、この戦後史
に関しては言及がないことは物足りない。様々な考えをもった人々から聞き取りするう
えで故意に自衛隊を批判的に扱うことを避けたのであろうか、そのあたりのことは不明
である。


2012.07.25 W

反戦・反基地ブログ