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<訃報、池田正枝さん>

生駒市在住の池田正枝さんが12月4日亡くなられました。享年85歳でした。

詳しくは分かりませんが、池田さんは一昨年から体調を悪くし、昨年10月頃は持ち直し、12月亡くなられる前に、年賀状も準備されていたようです。

植民地朝鮮に生まれ育ち、教員になられて教え子を「女子挺身隊」として送り出したことを、日本に引き揚げて教員をしながらずっと考え続け、様々な関連市民運動に関わり続けた方です。自ら韓国に赴き、オモニたちと対談されたこともあります。私生活のうえでは恵まれず、晩年は独身アパート暮らしでした。
その自伝的な内容は『二つのウリナラ』(解放出版社)に書かれています。

私が始めて池田さんに会ったのは、茨木の「ベ平連」の活動家の追悼の集まりでした。その時H君がアムネスティ案内書を配っていて、それ以後池田さんはアムネスティにも関わったようです。八尾の小学校教員を辞め、高校通信教育の教員をされていた頃かも知れません。
筆まめな方で、運動関係文書を送ると必ず手紙と切手カンパをいただきました。
関西共同行動でも池田さんをゲストに呼んで、お話を聞いたこともあります。
会えば、いつもながら「もう私なんかいくらも生きられない、あなた達こそがんばってほしい」などと言われていました。
そんな池田さんもとうとう亡くくなってしまい、とても残念で悲しい。

インターネットで、同じく生駒市在住のジャーナリスト川瀬俊治さんが、コラムで「高潔であること−−池田正枝さんの死」を書いておられます。

2007/01/16 W
反戦・反基地ブログ