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グアムにもアメリカ海兵隊はいらない 私たちも、戦争と基地に反対する沖縄・日本の人々と同じ思いです。

ビクトリア・レオン・ゲレロ(チャモロ・ネーション)

10月12日、大阪で開催された「戦争あかん! 基地いらん! 09関西のつどい」での発言

今日、みなさんの前でお話しする機会を与えていただいたことに感謝します。それは私にとって大変に光栄なことであり、みなさんが私たちの島について、また、みなさんと私たちを結びつけている共通の災いについて関心を示していることに敬意を表したいと思います。

私はチャモロの草の根の団体、「イ・ナシオン・チャモロ」、チャモロ・ネーションを代表してここに来ました。チャモロ・ネーションは、グアムの先住民であるチャモロの人々の民族としての存在を宣言するために、1991年に設立されました。チャモロ・ネーションは、私たちの島におけるチャモロの人々の4000年の歴史を誇りとし、私たちの島、私たちの水、空気、精神性、言語、文化、人権を守ることを誓っています。私は私たちの女性リーダーであるデビー・キナタから、ここでみなさんにお話しするよう言われました。[キナタさんは、一昨年のこの集会で発言された方です]彼女からのみなさんへの連帯の気持ちを伝えておきたいと思います。私はまた、私たちの島で今も続く植民地支配と軍事化と日々闘っている私の家族・親戚や先輩達の声や考えを代表して発言したいと思います。

日本とアメリカ合州国とグアムを結びつけている歴史について話すのは、簡単なことではありません。それはグアムの人々にとって、今も忘れられない災いの苦痛に満ちた記憶で彩られています。1つの民族が、自分たちが起こしたのでもない戦争の犠牲になり、しかもそのことについていまだに歴史の教科書にも記述されず、犠牲に対する補償も受けていないのです。しかし、私は、この歴史は語られなければならないと思っています。今私たちの島で何が起こっているかを正しく理解するためにもです。それは私個人にも非常に関わりのある歴史でもあります。

私の名前は、私のおばあちゃんの妹、ビクトリア・サン・ニコラス・イバネスにちなんで付けられました。この人は、第二次大戦のグアムでの戦闘の中で死にました。私たちの島が日本によって占領されていた時です。彼女はわずか4歳でした。しかし、彼女の精神は、私のひいおばあちゃんのナナン・ビハがそう願ったように、私の中で生きています。ひいおばあちゃんは私の母に、最初の娘にはビクトリアという名前を付けてほしいと頼みました。その戦争と、そこで失ったものの記憶が、いつまでも生き続けているようにです。私が今この日本に来て、このお話をしていることに、私は言葉にできないぐらい強い力を感じています。

第二次大戦の中で多くのチャモロ人が死にました。1941年12月8日にアメリカ合州国が私たちの島を、日本帝国の軍隊の前に何の防備もない状態にして撤退した後のことです。グラムはわずか2日間で日本に占領されました。アメリカは一戦も交えることはありませんでした。しかもアメリカ海軍の司令部はチャモロの人たちに、戦争がチャモロの海岸に押し寄せていることを知らせませんでした。チャモロの人たちには、アメリカは世界最強の政府だから、グアムはいつでも守られているのだと説明していたのです。

しかし、チャモロの少女、タン・アルフォンシナさんを守ったのはアメリカではありませんでした。1944年7月19日に彼女は暗い、湿った洞窟で、おにいさんの体の下に隠れていました。当時13歳だった彼女の痩せた背中に日本兵の銃剣が突き刺さり、彼女は激しい痛みを感じました。彼女はじっとしていました。痛みをこらえて、死んだふりをしていました。このとき彼女の近くでは、彼女のいとこや、友達や、家族が残忍にレイプされ、殺されていました。彼女の19歳の兄、盾となって彼女の命を守ったニコラスさんは銃弾と日本兵が洞窟に投げ込んだ手榴弾によって殺されました。65年後の今、タン・アルフォンシナさんや、私のおばあさんの妹のビクトリアや、そのほかの多くのチャモロの年配の人たちが受けた苦痛を、アメリカ合衆国はいまだに全面的には認めていないのです。グアムは合衆国の下院に議決権のない議員を選出できるのですが、グアムから選出された下院議員たちは皆、第二次大戦中にグアムの人々が経験した災禍に対する補償を要求し続けてきました。アメリカは日本に対してそのような補償を免除する一方、チャモロの人々に対する福w)€竢桙「まだに行っていません。また、世界を変えたこの戦争の中でグアムが担わされた役割について、完全には認識していません。

先週、アメリカの議会は再び、第二次大戦中のチャモロの人々の犠牲に対する補償に道を開く法律の制定を拒否しました。チャモロの人々は、私たちの犠牲や私たちが体験したことが、正当に認識されるべきであることを長年にわたって説明しようとしてきましたが、徒労感と苛立ちが増しています。アメリカはチャモロの土地そしてチャモロの人々を、常に自分たちの好きなように利用しており、私たちは年々自分たちの尊厳と権利が失われているのを感じています。

第二次世界大戦以降、グアムにおける米軍基地の存在は、チャモロ人の言語と文化の存続、自分たちの政府を確立する権利、祖先から受け継いできた土地を所有する権利に破滅的な影響を及ぼしてきました。米軍が私たちの島の約30%を占領しているにも関わらず、私たちはその軍隊の最高司令官たるアメリカ大統領や、そのほかのリーダーの選挙に参加する権利さえ持ってはおらず、私たちの生存のための基本的人権は、この米軍基地の存在によって脅かされてきたのです。

グアムにおける米軍の存在は、核廃棄物やそのほかの発癌性廃棄物による私たちの土地と周囲の海の汚染をもたらし、その結果チャモロの人々の間で癌の発生と癌による死亡の数が増えています。また、米軍基地への依存を強制されているために、他の経済的な選択肢がほとんど残されておらず、その結果チャモロの人々の息子や娘たちは生まれ育った土地を離れることを余儀なくされます。チャモロの若い人たちには、まともな収入を得られる仕事が足りないため、若い人々の一部は米軍に志願します。軍に入れば明るい将来があると勧誘されるからです。しかし、第二次大戦以降にアメリカが闘ったすべての戦争、つまりベトナム戦争でも、湾岸戦争でも、現在の「テロとの戦争」でも、チャモロの人たちの戦死者の数は、人口比ではチャモロ以外の人々を上回っています。では、チャモロの人たちは、自分の息子や娘を戦争で失ったときに、何を得たのでしょうか? 私たちが二十数年をかけて
育て、将来への希望を託してきた命を失ったときに、何を得たのでしょうか? わずかなお金と、アメリカの国旗と、戦没者墓地の1つの区画だけです。失われた命はどうなるのでしょうか? どうすれば取り戻せるので
しょうか?

私たちはどうすれば失われた生活を取り戻せるのでしょうか? 生まれ育った土地から出ていくしかなかったチャモロの人々が帰ってくるために、そしてこの人たちが帰って来られるための基盤となる土地を取り戻すためには、どうすればよいのでしょうか? この島の米軍の存在が拡大するなら、人々が帰ってくることも、土地を取り戻す
こともできなくなります。グアムは自治権のない領土、あるいはアメリカの植民地ですから、私たちには何の権限もありません。現在の米軍基地拡張計画、これには日本の国会で60億ドルの支出が承認されていますが、私たちはこの拡張計画を止めるいかなる法律上の手段もないのです。

ここで、あなたがたの税金が何のために使われるかについてお話ししておきましょう。この軍事基地拡張計画の重大さを、よりわかりやすく説明するためです。アメリカはすでにグアム島の約3分の1を占領していますが、さらに2014年までに沖縄からグアムに17000人の海兵隊とその家族を移転させることを計画しています。さらに、この計画のほかに、アメリカ海軍はその関連施設、兵站能力、上陸施設の拡張を開始しています。海軍基地への核兵器搭載空母や戦闘用資材輸送艦、潜水艦、水上戦闘艦、高速輸送船の寄港を支援するためです。アメリカ空軍は、アンダーソン空軍基地における全地球規模の情報収集、監視、偵察のハブとしての機能を強化するために、戦闘機、爆撃機、空中給油機、無人偵察機などあらゆる種類の航空機を配備することを計画しています。陸軍は、グアムに弾道ミサイル防御タスクフォースを配備することを計画しています。

グアムでは、今後5年間に、19000人の兵士と20000人の家族、20000人の外国人契約労働者がやってくることになります。グアムの人口は現在、173000人ですが、今後5年間に合計59000人、つまり34%の人口増加となります。このように人口が急増すると、62900人のチャモロ人は、私たちの生まれ育った島で、少数者となってしまいます。それでなくても私たちは現在、アメリカの教育方式を強制され、チャモロの言語や歴史よりも英語とアメリカの歴史を勉強するよう強制されており、私たちはそれに対して私たちの文化と言語を守るために闘っています。

グアムの軍事化の目的の1つには、日本人や沖縄の人々に対する米軍の負担を軽減することがあります。それならば、グアムにも同じような敬意が払われるべきです。しかし、グアムはいまでもアメリカのものであり、私たちがアメリカへの依存をやめ、自分たちの文化と言語を守るための経済的、社会的な基盤を作り出していく権利は、意図的に無視されているのです。

グアムの社会における軍事基地の負担は数倍にも増大するでしょう。軍はすでに軍事基地に関連する建設工事の契約の発注を開始しています。正式な計画が決定も承認もされていないにもかかわらずです。環境への影響の公式の調査についても、私たちには何も知らされていません。これほどの大規模な人口増加と軍の拡張がグアム島の人々に及ぼす社会的、文化的、政治的影響を想像してみてください。それにもかかわらず私たちは、その計画の内容について正確なことを知らされていません。なぜなら、アメリカ国防総省は2年間で大急ぎで実施した環境影響調査の結果をまだ発表していないからです。しかも、もっと屈辱的なこととして、この調査ではチャモロの人々の意見はほとんど聴取されていないのです。私たちはこの計画のプロセスからほぼ完全にシャットアウトされており、現在に至るまで一度も、基地拡張に賛成するかどうかを尋ねられていません。

私たちは、軍の拡張は私たちの苦しい経済を助けるといわれてきました。しかし、そうなることを証明する何の具体的な根拠もありません。明らかなことは、アメリカ国防総省もグアムの政府も、このかつてない規模の軍事力強化の必要性を説明するのに多くの困難に直面しているということです。その大きな理由は、計画のプロセスに大きな不安定要因があることです。グアムはこの軍事力強化のための施設・設備に関わる巨大な負担を負うことを期待されています。グアムの政府は、外国人労働者が流入すれば、緊急医療サービスや医療施設、水光熱、交通網、住宅の拡充が必要になると報告しています。

国防総省もグアムの政府も、この島のインフラは軍の増強に伴うニーズの拡大に対応するには不十分であると言っています。たとえば、島の中心部の下水道システムについて言えば、すでに多くの開発事業が実施されていますが、処理能力の限界に達しています。昨年行われた議会の公聴会で、グアムの知事はインフラの整備のために61億ドルが必要であると証言しました。この費用は、国防総省が算定した基地内部における計画に必要な150億ドル、つまり日本の国会が一部負担を決定した費用には含まれていません。アメリカも日本も、グアムにおいて必要とされるインフラ整備の費用を負担することは考えていません。グアムの政府は現在5億ドル以上の赤字を計上していますが、アメリカ合衆国のニーズを満たすために、さらに膨大な債務を負うことになります。この債務はチャモロの未来の世代に受け継がれることになります。この世代は、この債務に何の発言権も持っていなかったにも関わらずです。

この軍事基地強化の計画のプロセスの中で、私たちの意見が聞かれることもなかったし、私たちに敬意が払われることもなかったことから考えれば、この計画が私たちによい影響をもたらすと想像するのは不可能です。海兵隊が沖縄から追い出されるのは、その存在が良い影響をもたらさなかったからです。グアムでならよいことがある、ということがありえるでしょうか? 私は皆さんに、皆さん
の政府がこの動きを支持することに反対するよう訴えます。皆さんには発言権があり、皆さんの政府はそれを聞かなければなりません。今年の前半にアメリカのヒラリー・クリントン国務長官が日本に来て、みなさんの国との間で、海兵隊をグアムに移転するという協定に署名した場に、私たちはいませんでした。私たちには発言権がなかったのです。再び私たちの尊厳と権利が損なわれたのです。しかし、この計画を止めるのに、まだ遅すぎることはありません。私たちは協力して、チャモロの人々と日本の人々が、この協定に反対して闘う必要があります。私たちが、私たちの共有する歴史から何かを学んだとすれば、それは、戦争と軍備拡張がすべての人々を傷つけるということです。この歴史を繰り返してはなりません。

この美しい国に招待していただいたことに、もう一度お礼を言います。皆さんの心には純粋なやさしさがあり、皆さんの人間性には深い誠実さがあります。私はみなさんと手を携えて、グアムと日本と、沖縄と全世界に公正さを実現するために、これからも闘っていきたいと思います。

09/10/13  K

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