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靖国合祀はイヤです訴訟」に寄せて 

今年8月大阪地裁に提訴(台湾原住民を含む遺族9人)された「靖国合祀はイヤです訴訟」の第一回弁論が始まります。

 先の小泉首相靖国参拝訴訟では、台湾原住民原告を含む第二次訴訟の控訴審で大阪高裁は明確に違憲と判決しました。この裁判では小泉首相や国に加え靖国神社も被告にしたことから、「靖国応援団」なるものが発足され「補助参加」の形で裁判への介入が行われ、被告側代理人も二重構造となるなかで、この手の裁判にしてはいつになく賑やかな双方の論戦が展開されました。
 裁判開始当初は右翼街宣車が裁判所周辺を走り回るなど、一時は騒然としていました。その後「呉越同舟」でトラブルもなく裁判所前に行儀良く傍聴抽選に列ぶ風景が見られ、裁判所の「荷物預け」「金属探知」検査は裁判終結まで続きました。(これは、かつて「箕面忠魂碑訴訟」一審で違憲判断した裁判長への右翼の刃傷事件があったことからによる、裁判所側の事なかれ主義とトラウマによるものだと思われます。)

 今回の合祀取り消し訴訟は、靖国神社を被告としたケースでは初めてで、遺族に無断で合祀しA級戦犯と共に英霊として顕彰されるのは人格権の侵害と精神的苦痛に当たる。言わば「祀る自由」と「祀られない自由」の対決です。また、台湾原告にとっては「霊をとり戻して」民族習慣による慰霊をしたい(「還我祖霊」)としています。
 この件ではチワス・アリさんを代表とする台湾原住民訴訟団(原住民ら124人が原告参加)はツアーを組んで再三靖国神社にかけあいましたが、神社側は「一度神と祀られたものは取り下げられない」と突っぱねた経緯があります。
 なお、今回原告となった楊さんの義父は高砂義勇隊員として戦死、祖父は霧社事件で日本兵に殺されています。台湾には親日家も多いとききますが、日本の右翼団体は基金を募って台湾に「高砂族義勇隊慰霊碑」を建設したそうです。ところが県知事の撤去命令があり、関係記念碑や日の丸掲揚台などは撤去されましたが、メインの慰霊碑は大きすぎて撤去できずそのままということのようです。

 ところで、原告の一人古川佳子さんはかつての箕面忠魂碑訴訟の原告で、二人の兄さんは戦死し靖国神社に英霊として祀られています。
 この古川さんの実母小谷和子さんについては、作家・松下竜一氏の『憶い続けむ----戦地に果てし子らよ』(1984年筑摩書房)があります。歌人でもあった小谷氏の歌を織り交ぜながら聞き書きなどによる記録として残しされています。(小谷氏、松下氏はいずれも今は故人)
 ※是れに増す悲しき事の何かあらむ亡き児二人を返へせ此手に
 ※忘れむと務めしことの愚かさよ憶ひ続けむ生きの限りを

 古川さんの長兄はビルマで、次兄はフィリピンで戦死。偶然ながら次兄と同じ部隊にいた竹内浩三(三重県松坂出身、23歳で戦死)は『骨のうたう』などの詩を残しており、ご存知の方も多いかと思います。

   骨のうたう
 戦死やあはれ
 兵隊の死ぬるや あはれ
 遠い他国で ひょんと死ぬるや
 だまって だれもゐないところで
 ひょんと死ぬるや

 ふるさとの風や
 こひびとの眼や
 ひょんと消ゆるや
 国のため
 大君のため
 死んでしまふや
 その心や

 白い箱にて 故国をながめる
 音もなく なんにもなく
 帰ってはきましたけれど
 故郷の人のよそよそしさや
 自分の事務や女のみだしなみが大切で
 骨は骨 骨を愛する人もなし
 骨は骨として 勲章をもらい
 高く崇められ ほまれは高し
 なれど 骨はききたかった
 がらがらどんどんと事務と常識が流れ
 故国は発展にいそがしかった
 女は化粧にいそがしかった

 ああ 戦死やあはれ
 兵隊の死ぬるや あはれ
 こらへきれないさびしさや
 国のため
 大君のため
 死んでしまうや

※竹内浩三については、小林察編「竹内浩三作品集」(1989年新評論)、足立巻一
  「戦死ヤアワレ----無名兵士の記録」(1982年新潮社)、その他があります。
                          06/10/21 W
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