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編集後記

―我が代表:中北龍太郎さんを失う―

 ふと、今中北龍太郎さんはどうしているだろうかと思う時がある。さらに2年前に亡くなった菱木康夫さんもまた、今どうしているだろうかと感じる時がある。そして同時に、この2人が今は何も感じることもなく、思うこともなく、語りかけることもないという事実が不思議で仕方がなく、そんなわけがない。それはおかしなことだという憤りさえ感じる。ある意味、昨日まで「あーだこーだ」と語っていた人間が、ある日をもって何も語らず、姿を見せることもないなどということがあるのだろうかとも。

 思えば、2022年10月14日に関西共同行動の大事な仲間である菱木康夫さんを突如として失い、そしてその年の12月11日に彼を偲ぶ会を開催した際、当然のことながら会を代表して中北龍太郎さんに冒頭あいさつをしていただきました。実はその時も中北さんには始終咳込む様子があり、「どこか体に悪いところがあるのではないのか?」と心配する声も聞かれましたが、それ以上の詮索はしませんでした。もとよりそれから1年後に、中北さん自身が急逝することなど誰が想像し得たでしょうか。

 それ以降「中北さんの最近の体調はどうか?」という問い合わせが次第に増え、そうした中でもいつものように中北法律事務所で昨年の5月17日には「とめよう改憲!おおさかネットワーク」の定例会議が開かれ、中北さんはいつものように自身の机の前に座り、あれこれ次の集会(小林節さんの講演会)の手順について、私たちに説明していました。その時こと、「古橋君、僕の健康の事で不確かなことをあまり他で話してもらっては困るな」との注意を受け、以後自身も中北さんの健康状態に関してあれこれ詮索しないようにしていました。しかし、この日が中北さんと直接に会話できた最後の会議となりました。

 その後しばらくして中北さんは入院加療中だという話が届き、以降の予定された様々な集会を中北代表不在のままに、またその理由もあまり説明できないままに開催しなければなりませんでした。

 そうこうしているうちに昨年10月7日にイスラエルによるガザ侵攻が始まり、私たちは新たな闘争課題を抱えつつ、2024年以降の諸課題の新年度の活動方針を策定しなければならない状況に追い込まれていました。その議論の最中でした。12月8日に中北龍太郎さんが亡くなったという訃報が届き、私たちは茫然自失するのでした。

 ともあれ、いましばし関西共同行動の活動によろしくおつきあいの程お願いいたします。中北さん、長い間ありがとうございました(古橋)。





関西共同行動ニュース No95