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●日本人はなぜアジア人を虐殺することができたか 【関西共同行動】 古橋雅夫

 「天皇制のくびき」とは一体何だろうかと考えることがあります。「くびき」=自由に何かをしようとするときにそれを規制するもの=ということですが、戦後78年の現在、その戦争責任をとることになおざりにしてきたことが、私たちのアジア人に対する、あるいは世界の差別され抑圧されつづけている諸民族への冷淡さ、傍観者的立場を今なお堅持し、あるいは名誉白人として西欧に認められたいという卑屈さから解放されないのはなぜかということだと思います。

 その背景には、日本はアメリカに負けたのであって中国には戦争では勝っていたという事実誤認が私たちの中に浸透し、中国に対し、不当な侵略戦争を仕掛けて負けたという歴史認識がないからに他ならないと思います。

 40年も前ですが、かつて小田実は「ファシズムと民主主義はつながっている」と警告したけれども、まさしく6年前の麻生現副首相が語った「ある日気づいたら、いつの間にかみんなが納得してナチス政権を支持したようにして憲法改正すべし」という内容と双璧をなしていると思って聞きました。

 とすれば、その時からすでに私たちは民主主義社会にいながらファシズムにさらされ、ないしはファシズム社会にいながら、民主主義が生きていると信じているということでしょう。

世論調査によれば、日経リサーチですが、「ロシアによるウクライナ侵攻について、生活や仕事に悪影響が出ても日本政府はウクライナ支援を続けるべきだと考える人が7割を占め、ロシアへの制裁を強化すべきだとする割合も7割を超え、そのことでの税負担支持が過半数を占めた」と報じています。

 また、麻生はこういうことも言っています。「台湾有事は日本の生命線」などと発言し、どこかで聞いたセリフですが、1931年に「満蒙は日本の生命線」だと唱えて中国侵略を正当化したことを思い出させる発言です。2016年に安保法制が成立し、日本に「存立危機事態」なるものが生じれば、それが「存立の危機」である以上、自衛権の発動として実力部隊の派遣を要請できるということになりました。加えて、論旨理解不可能ですが、アメリカの危機は、「同じ価値観を共有する」がゆえに、即ち日本の危機であり、我が国の自衛権が脅かされたのと等しいと決めつけました。

日本は1868年の明治維新以降、朝鮮半島、中国、ロシアへとひたすら北方へと、それが宿命であるかの如く侵略を深めていきましたが、その背景には、そもそも明治維新が、イギリスの軍事支援によって暴力革命を鼓舞された薩長連合によって達成されたものであり、それはイギリスの当時の植民地政策が他国と競合していく過程で、ロシアのアジアでの南下政策を阻止する必要があったからでした。まんまと日本人に「朝鮮・中国・ロシア」への侵攻が「日本の生命線」だよと吹き込まれたわけです。それが国是とされ、イギリス皇室と天皇家の腐れ縁はここに誕生するのですが、幕府との戦争で使われた兵器の一部は、アメリカが大量に売りつけた南北戦争の終結により余ったものでもありました。奇しくも、今再びアメリカから余った旧式のトマホークを大量に買うという事態を見て、やはり日本のアジアにおける立ち位置は、それこそ地政学的にというべきか、変わっていない、ないし変わりようがないということなのかと思ったりしますが、ここから日本の皇室=天皇の「くびき」が全面的に登場します。

 石飛仁さんは中国強制連行問題を追及した方ですが、その本の中で「戦中には沖縄人を弾よけにして戦後見殺しにし、朝鮮人を戦中には奴隷労働をさせ戦後は差別し、中国人を戦中には虐殺し戦後は敵視するという共通の支配構造にささえられた日本社会の存命によって、いまだにその体質が日本社会の中に継承されている」と指摘していますが、同時に戦争の記憶としてこうした元日本軍兵士の告白があります。

「・・・そうするとなぜ人殺しができるのかというと、それは僕らが受けた教育の中にある〝チャ ンコロ″という考え方です。中国人は犬や猫よりももっと下等な動物であるということです。それを僕らが捕まえ、しかも共産党に通じているとなると、これがさらに倍化するわけです。なぜなら 日本の天皇にはむかう奴だということですから、勇気百倍です。こいつを殺すということは自分の星がふえるということになるからです。」

 なんというか、どうすればこういう考えを持ち、また実行可能な人間となるのか。ここには、天皇に近い程偉いという思想=差別意識の根源があります。しかし、日本兵であれば、ないし日本人であれば、知る限りこうした考えからの例外は限られたように思います。それどころか現在でさえ「おじいちゃんは兵隊だったがいい人だった」という思い出とともに、加害ではなく被害の記憶しかとどめようとしない日本の戦後教育によって、つまるところ国を守るために命を捧げることはやむを得ず、日本人であることは特別なことだという選民意識が育まれています。

 「同じ過ちを日本人が繰り返すことはないと信じている」という声もあります。しかし、戦後日本は、中国に共産党政権が登場して以降、反共の最前線としてアメリカの占領下にあり、朝鮮戦争再開に向けて創設された自衛隊は、制空権・裁判権・基地権を持つ駐留米軍の指揮権下にあって、疑似独立国家として現在に至っています。アジアの国々は、仮に独裁国家であったとしても、「独自」の外交政策を模索するわけですが、日本に限ってはアメリカ追従以外の主体的外交などは期待できない。現政権は、ただ打倒するしかありません。そのために何をしなければならないか。



 2月10日付けの毎日新聞(上記囲み)のインタビュー記事でエジプト考古学者の吉村作治さん(80才)が「戦争とは、国が国民を犠牲にすること」と題して、こう語っています。
私は、実に吉村さんの意見に同感です。戦争のためにお金を使うことは百%意味がないのであって、どのように賄うべきか、ないしどの程度が賄うに値するのかなどという議論は、論ずべき点が違っていると思います。
 あらためてアジア・太平洋戦争で日本人がもたらした戦争犠牲者数を列挙しておきましょう。中国=1千万~1300万人/ビルマ=5万人/朝鮮=21万人以上/モルジブ=数千人餓死/ベトナム=200万人(ほとんど餓死)/ニュージーランド=11625人/インドネシア=200万人/インド=250万人(ほとんど餓死)/フィリピン=110万人以上/ラオス・カンボジア・タイ・マラヤ=不明/シンガポール=5000人虐殺―「餓死」というのは日本兵が食料を奪った結果であり、およそこうして約2000万人の人命が失われました。日本の戦没者は330万人。




関西共同行動ニュース No94