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●戦時下のG7―核武装の正当化に広島を利用し、再び戦争加害国を目指す岸田政権 
【ピープルズ・プラン共同研究所共同代表】 小倉利丸 

1 運動の分断を図る狡猾なG7

 G7(2014年以前はロシアを含めてG8)は、1990年代の反グローバリゼーション運動のなかで、グローバルな搾取と貧困、武力紛争と環境破壊を主導する先進国の会議体として厳しい抗議の波にさらされてきた。G7は、抗議を逃れるために、会場を辺鄙な場所に移す一方で、運動の分断を図り、政策提言型の団体などを取り込む一方で、反対を貫く運動をテロリストであるかのようなキャンペーンまで展開し、徹底して排除・弾圧してきた。

 今回のG7広島サミットもまた例外ではない。閣僚会合の開催地も含めて厳重な警備が敷かれ、サミット当日の抗議行動は大幅に規制され、私たちの正当な自由な抗議の権利が侵害された。他方、開催現地ではG7を非政治的なイベント並みの扱いで観光客誘致と繋げようとしたり、学校でG7諸国についての文化を学ぶと称した賛美教育が行なわれたり、メディアは会議の本筋とは無関係な瑣末なエピゾードに焦点をあてるなど、厳しい治安監視と能天気なお祭り騒ぎが共存する異様な光景が各地で繰り広げられた。



2 日本政府のサミットへの危機感

 昨年暮に閣議決定された国家安全保障戦略に以下の記述がある。

 「米国や、G7等の国際的な枠組みが、国際社会におけるリスクを管理し、自由で開かれた国際秩序を維持・発展させることは、ますます難しくなってきている」

 日本政府がこのように率直にG7の危機を吐露したのは珍しい。安保戦略は、欧米が自らの国益に沿って構築してきた戦後の国際秩序が維持できなくなっている、という認識を示したのだ。

 この脱欧米の流れのなかで、伝統的な日米同盟そのものもかつてのような磐石な安全保障の枠組とはいえなくなっている。日本の政権は、とりわけ軍事安全保障における欧米の相対的な地盤沈下に対して、日本が主として東アジアにおける軍事力強化=軍事産業の強化によって、この地域の軍事的緊張に積極的に加担しようという態度をとってきた。これは、欧米支配層からも歓迎されており、日本の支配層も、これを衰退する経済からの再生のチャンスとみている。

 G7は、こうした日本の立ち位置を示す絶好の舞台になった。ゼレンスキーを議長国日本が招待したことの意味は、日本がこの戦争において明確に軍事的な支援を念頭に入れた関与へと向かう意思のあらわれとして歓迎されたのだ。

3 核抑止力を肯定する「ヒロシマ」という新たな物語

 G7広島サミットでは、これまでのサミット以上に核の問題が注目を集めた。「核軍縮に関するG7首脳広島ビジョン」では「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべきとの理解に基づいている」として、ウクライナ戦争を背景として、核廃絶どころか、逆に核抑止力の積極的な意義が主張された。

 原爆被爆地の広島は、その被害から核廃絶のシンボル的な役割を果してきたが、今回のG7をきっかけに、日本政府は意図的に、核抑止力を正当化するためのシンボルへと180度その意味を逆転させたといえる。G7を構成する核保有国は核放棄の意思をもつことなく広島入りし、核兵器を正当化する宣言に署名した。核廃絶から核抑止正当化のシンボルへ、という「ヒロシマ」の意味の転換は、意外でもなければ予想できないことでもなかった。

 だからG7に反対してきた私たちは、広島に核保有国の首脳が来ることそのものに反対し、G7にも反対する以外の選択肢はないと主張した。G7の首脳たちは自国の軍隊の最高司令官でもある。彼らは残虐な戦争の当事者であり指導者なのであって平和主義者や人道主義者ではない。彼らに非核も平和も期待することはできない。

4 反対運動はまだ続く

 私も呼びかけ人になっている G7 サミット広島への反対運動「G7 広島サミットを問う市民のつどい」は、昨年暮に、詳細な問題提起の文書を出した。この文書は、「78年前に米軍が原爆無差別大量殺戮という由々しい『人道に対する罪』を犯した広島という都市で、来年5月にG7首脳会談(以下、G7 サミット)を開く政治的目的は何なのであろうか。議長国となる日本が広島を開催地に選んだ目的は何なのであろうか」という問いかけで始まる。

 ウクライナ侵略戦争の歴史的背景から中国・ロシア封じ込めのためのNATOのインド太平洋進出計画と日本の関わりまで、現在の日本とサミット諸国をとりまく状況への批判を踏まえて、「G7を即時解散し、広島でのサミット開催も中止し、あくまでも国連の場での議論と決定に基づいて世界の安定と平和構築を目指すこと」をはじめとして、提案を8項目にまとめた。原爆による被害を強調するだけではなく「日本軍国主義によるアジア太平洋侵略戦争の加害責任を誠実に認め、戦争中に日本軍や日本政府がアジア太平洋各地で犯した残虐な戦争犯罪行為や人権侵害の多数の被害者ならびにその親族に謝罪すべき」点ももりこんだ。サミットの課題は、軍事安全保障だけでなく、ほとんど全ての国家の政策を網羅的に扱っている。私たちの提案文書が言及しているのは、その一部にすぎないが、広島での開催という政治的な思惑との関係でいえば重要な観点は提起できたと思う。

 サミットは広島で終ったわけではなく、その後も大臣級会合が続いており、今年末の内務・治安担当大臣会合まであと半年は日本が議長国として采配を揮うことになる。また、状況次第では臨時の首脳会合もありうる。戦時下のG7は、外交による平和への努力という政府がなすべき最低限の努力が全くみられないものになっている。事実、日本は9条に言及することはまずなく、むしろ9条は他の加盟国と同等の軍事的な取り組みへの足枷としてしか認識していないようにみえる。この姿勢が日本が議長国になってより露骨になった。
 G7の席上で、ウクライナの戦争を背景に東アジアの軍事的な緊張を煽る言説が繰り返されることによって、日本国内の不安感情が煽られてきた。これが改憲と戦争を肯定する世論形成の一翼を担っていることは確かだ。この状況のなかで、反戦平和運動が、民衆の不安感情を払拭して、徹底した戦争放棄、戦争の加害者には絶対にならないという決意を運動化できるかどうかが問われている。





関西共同行動ニュース No94