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●安倍国葬とは何だったのか 【元日本民主法律家協会事務局長・弁護士】 澤藤統一郎

 2022年7月8日、元首相・安倍晋三が銃撃を受けて亡くなった。あれから既に半年余。同年9月27日の「安倍国葬」からも4か月が経過した。「憲政史上最長の政権」を維持した安倍晋三とは、いったい何者であったのだろうか。そして、その「国葬」とは何を目的に強行されたのだろうか。岸田政権の本性が表れつつある今、振り返ってみたい。

 常識的に「国葬」といえば、国家体制の如何を問わず、国民の圧倒的な多数が敬愛する人物を対象とするものであろう。国民的な敬意と弔意を確認することによって、全国民の一体感を高揚させるに足りる人物。国葬というセレモニーを通じて偉大な被葬者の意思に沿った国家運営の正当性を確認し、国民を鼓舞することにもなる、国家を象徴する人物。

 安倍晋三は、そのような国葬対象適格者像とは対極にある。公平な目で見て、この人物に「国葬」に値する業績があったはずはない。彼自身が分断した社会の一方からの哀惜の声はあっても、国民的な人望には乏しかった。むしろ、すこぶる評判の悪かった人物と言うべきである。

 彼は、性格的な問題を指摘されこそすれ、けっして人格者ではない。政治家稼業3代目のボンボンで庶民の苦労とは無縁の人。歴史修正主義者・国家主義者として知られ、復古的保守主義と新自由主義の相反する両面を併せ持ち、経済政策の失敗は覆うべくもなく、コロナ対策では「天下の愚策・アベノマスク」で嘲笑された。その政治姿勢は「嘘とゴマカシの政治」「政治の私物化」「忖度政治」と、最大級の酷評を受けてもいる。改憲を呼号する立場から、右翼・右派からの支持はあったにせよ、とうてい国民多数から、尊敬され愛される人物ではない。この人物の葬儀を通じて、国民の一体感を確認し高揚することなど、夢想だにできない。



 生前から悪評芬々の人物だったが、さらに、その死後に、その死因と絡んで統一教会との癒着が問題にされるに至った。岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の3代にわたって、反社会的なカルトと保守政治の接着役を果たしてきたその一端が明らかとなった。統一教会とは韓国のナショナリズムを基礎とし、安倍晋三は日本の排外主義に立脚している。本来相容れない両者だが、「反共」という黒い糸で結ばれていたのだ。
 岸田文雄は、どうしてこんな安倍晋三の国葬を思いつき、なにを獲得しようと強行したのだろうか。そして、その目的は達成されたのか。あるいは、目算外れだったか。

 おそらく、岸田はこう考えたに違いない。

 「安倍国葬は、全国民の一体感や連帯ではなく、保守陣営の一体感や結束には役立つのではないか」「安倍国葬実施は、安倍政治の支持層であった自民党右派や右翼への「貸し」を作ることにもなる。これは、政治基盤の脆弱な岸田にとってはメリットになるはずだ」

 岸田は「聞く耳」をもつことをキャッチフレーズとしていた。「聞く耳」とは、柔軟な政治姿勢を意味する。安倍政治が頑なに岩盤支持層である右派右翼の声しか聞かなかったことに対するアンチテーゼである。その岸田が、国葬反対の声が高まっても、その声に耳を傾けようとはしなかった。岸田にしてみれば、国葬反対の声の高まりは安倍支持派に対する「安倍国葬反対の世論を押し切って国葬実施に漕ぎつけた」というアピールの効果を高める材料と映ったのであろう。

 こうして、安倍国葬は、国民全体の一体感獲得や国民的結束ではなく、党内右派あるいは安倍支持層を、岸田政権の支持につなげるための目論見として位置づけられた。

 であればこそ、国葬の是非は国論を二分した。世論調査では、およそ6割の国民が安倍国葬反対の意を表明した。独裁国家ではいざ知らず、民主主義を標榜する国家において、国民の過半が反対する国葬の強行はあり得ない。

 常識的な「国葬」のあり方から見れば、大失敗というしかない。しかし、岸田の目論見に照らせば、安倍国葬強行はけっして失敗ばかりとは言えない。そのことを教えてくれるのが、岸田の式辞である。

 「従一位、大勲位菊花章頸飾、安倍晋三・元内閣総理大臣の国葬儀が執り行われるに当たり、ここに、政府を代表し、謹んで追悼のことばを捧げます」から始まる岸田の式辞は長文でしかも平板、感動に欠けると評判は悪かった。それでも、十分に彼のメッセージは盛り込まれている。たとえば、次の一文。

 「『日本人であることを誇りに思い、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか』。戦後最も若い総理大臣が発した、国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。戦後レジームからの脱却。防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省に昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けられました。教育基本法を、約60年ぶりに改めて、新しい、日本のアイデンティティの種をまきました。…これらはすべて、今日に連なる、いしずえです」
 岸田による安倍政治礼賛であって、リベラル陣営には挑戦の言葉。その後大軍拡路線に舵を切った岸田である。単なる右派へのリップサービスではない。

 そして、最後はこう締めくくられている。

 「あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします」
 この式辞の全体構造は、安倍政治の反憲法的姿勢を全肯定して、その路線を承継する誓約となっている。あらためて、「安倍国葬」の罪深さを嘆かざるを得ない。が、この国葬強行が岸田政権への支持率低迷の大きなきっかけとなったことも忘れてはならない。




関西共同行動ニュース No93