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(講演録抜粋)天皇制の現在 -問題を解決するのは私たちだ 渡辺 治【一橋大学名誉教授】

※これは、2月23日に行われた講演会の内容の一部を要約したものです。


同じ天皇代替わりであっても1989年と2019年を比較すると、時代は対米従属の小国主義からアメリカ追従の軍事大国へと変貌する政治的変化が起きており、より大きな天皇批判の声が沸きあがるはずであったのにそうはならなかった。それはなぜでしょうか。

アキヒトを保守本流はヒロヒトでは困難であったアジア大国への「謝罪の特使」として利用しようとし、それに対し安倍に代表される保守反動派は、あくまで軍事大国化のシンボルとして利用しようとした。その対立の中で反安倍を戦うリベラルにとって、憲法に言及し先の大戦への反省を述べるアキヒトは、「反安倍」の象徴と化し、そしてついに「生前退位」の「お言葉」によって「平成」の時代を保守本流とリベラルが共に礼賛する事態を引き起こしたからです。そして、たとえば沖縄の問題について、なんらか天皇メッセージによって事態を解決できるのではないかという期待感を、「象徴天皇」として「君主制」のごとくにアキヒトから新天皇ナルヒトへと引き継ぎ、体現するに至るわけです。そのことが戦前の残虐な天皇制の専制性の忘却へとつながり、憲法9条改憲への道筋となろうとしています。

こうした「象徴天皇制」が持っている日本の「君主制」の問題には二つあります。

一番目は「象徴」という立場であっても「君主制」は、最も民意を腐食させるということです。たとえば2013年、山本太郎が原発問題で、アキヒトに直訴した事件がありますが、二重に大きな問題を残しました。一つは、原発問題を解決するのは天皇ではありません。私たちが政治を変えて、民意でもって解決することです。二つ目にもっと深刻なことは、山本太郎は民意を代表すべく当選した議員であることです。つまり、原発政策を変えることは、彼自身の責務であったはずであり、非民主主義時代のかつての天皇直訴とは比較できません。こうした行為によって、彼は主権者としての民意を台無しにしたのです。

二番目に大事なことは、「天皇制」とは差別の体系であるということです。例えば、マスコミは天皇が被災地にいって跪いている様子を礼賛し、一方菅直人首相が行くとまわりから「帰れ!」と罵倒されるのを見て、だから「天皇はすばらしい」などと報道しました。しかし「陛下」といわれる天皇が跪くのは、まさに「天皇」という権威を持って民衆の前で跪くことでありがたく思わせるからであって、この差別構造を批判することなく再生産するのが「君主制」の恐ろしさでしょう。根本は天皇制を無くすことですが、わたしは当面あらゆる差別、反憲法的な天皇の行為については、どんな小さなことに対しても批判していきます。

そして最も言いたい事は、沖縄、慰安婦、原発、戦争責任、強制労働、徴用工などの問題を解決するのは、私たちだという自覚を持つことです。そして事態を政治によって変えていくという民主的な力量を付けることなくして、天皇に依拠しようとして存続する「天皇制」を無くすことはできません。日本には残念ながら、「共和制」に関する議論がありません。これを創っていくには、私たち自身の運動が「民主主義」をどれだけ強めていけるのかという点にかかっています。沖縄の問題を解決するのは、「我々」しかいないのです。もちろん、天皇にはそれを解決する資格もなければ能力もないし、させてはならない。しかし、同時にそういう政治を許している私たちの政治的力量が問われています。こうした「君主」にたいするある種の期待と依存を無くしていく運動なくして、この事態を変えることはできません。

(文責・古橋)



関西共同行動ニュース No90