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表現の不自由展かんさいの成功と闘うことの意味 
【表現の不自由展かんさい実行委員会】 おかだだい


21年7月16日から18日まで、大阪のエル・おおさかにおいて表現の不自由展かんさいを開催しました。大阪では無事3日間やり遂げることができましたが、多くの方のご協力なしには実現できませんでした。そしてかんさい展も他の地域と同様、様々な攻撃にさらされました。

その最大のものが、エル・おおさかに会場の利用許可を取り消されたというものでした。



■裁判闘争

突然の利用承認取消処分を聞いたのは、6月25日のことです。処分の理由は、約70件の抗議電話とメール、そして3件の抗議街宣のために、大阪府立労働センター条例第4条第6号に規定する「センターの管理上支障があると認められるとき」に該当するというものでした。もちろんあいトリで見られたような「ガソリンをまく」等の強迫はなく、警察を呼ばなければならないほどの事件もありません。私たちは裁判に訴え出ることに、
迷いませんでした。

大阪地裁に提訴したのは、処分を知ってからたった5日後の6月30日のことです。通常、裁判には時間がかかるものですが、不自由展の会期は7月16日~18日です。会期に間に合わせて裁判所に決定を出してもらわなければ意味がありません。そこで私たちは「本訴」と併せて「執行停止の申し立て」も行いました。緊急を要するから、きちんとした是非は「本訴」で争うにしても、とりあえず会期までに会場の利用を認める仮の判断をして欲しいという趣旨です。

大阪地裁から「施設の利用認める決定」を受けたのは、10日後の7月9日でした。裁判所は展示会について「憲法で保障された表現の自由の一環として開催が保障されるべきものだ」と指摘しており、100%私たちの主張を認める内容でした。

大阪地裁の決定を受けて、私たちはすぐにエル・おおさかへ開催実現に向けての協議を申し入れしました。エル・おおさかが即時抗告をするというのはニュース報道から知っていましたが、1週間後には不自由展開催を控えています。しかし9日の時点ではエル・おおさかは、係争中を理由に協議を拒否しました。

そこで弁護士に相談し、土日を挟んだ12日にはエル・おおさか側の弁護士に協議に応じるよう申し入れをしてもらいました。その結果、13日には無事に協議を実現することができました。判決を実現させるアクションが重要です。

■市民の連帯

この裁判闘争によって、私たちは表現の不自由展かんさいを支持する大きなうねりを実感することになりました。エル・おおさかは、大阪での労働運動、社会運動の拠点です。右翼の攻撃を理由に、あるいは政治的な攻撃によって、エル・おおさかをはじめとする公共施設を利用できないということになると、それは運動全体にとって大きな後退になります。政府や権力に批判的な集会等は、今後、エル・おおさかをはじめとする公共の施設では一切できないということになってしまうのです。その事に対する怒りや危機意識が多くの人に共有されました。自発的にエル・おおさかや大阪府に抗議してくださった方もたくさんおられます。

会期当日も「手伝えることはないか」と言ってくださった友人たちにずいぶんと助けられました。友人たちとは、普段から運動を通じて繋がっている人たちです。

そして最大の市民の連帯は、路上にありました。表現の不自由展かんさいは、コロナ禍のために50分50人の入場制限を行いました。3日間で1300人です。妨害者は会場に入れない、それがかんさい展の基本方針でした。そのために、大阪での反ヘイトスピーチの運動の蓄積が大きな力となりました。ヘイトスピーチに対抗するための、いわゆるカウンターの人たちに当初より実行委に参画してもらい、警備計画に参画してもらいました。どのような人物がヘイトスピーチを行っていて、私たちの不自由展の邪魔しに来るのか。その顔まで知っているのは、日常的にレイシストに対峙しているカウンターの人たちだけです。

その結果、レイシストの会場侵入を阻止することができました。会場から退去させた妨害者は3人だけです。会場内での大きな騒ぎはほぼなく、静謐な環境を保つことができたと言っていいと思います。

もちろんカウンターの方たちだけではありません。9階ギャラリーのフロア警備等に、関西の労働組合に結集した労働者にお願いすることになりました。また1階路上には、私たちの呼びかけに応じた多くの市民がプラカードをもってスタンディングしてくれました。これだけたくさんのひとの協力があって、平穏な鑑賞条件が成立しえたということができます。



■吉村知事の関与

エル・おおさかが「利用承認取り消し」という処分をせざるを得なかった背後に、吉村大阪府知事がいたことは明白です。吉村知事は担当部局から、6月7日、16日、23日の3度にわたってレクチャーを受けていたという事実が、情報公開請求により明らかになっています。

6月7日の時点で、吉村知事は「今回は、行政が主催になって公金を投入して自ら実施するものではないので、中身自体に踏み込むつもりはない」が、「保育所があるようなこの施設で、こういったことが行われて本当に大丈夫なのか」「取消事由に該当するのではないか」と述べ、後の取消処分への基本的なレールを引いています。16日には「指定管理者は取り消しすべき」、23日には「指定管理者の(取消処分という)対応方針を支持する」と述べ、事実上ここで取り消し処分が決定されていることがわかります。

もちろん、形式的にはエル・おおさか側がお伺いを立て、知事がそれを承認するので、知事の主体的関与の「証拠」とまでは言えません。そもそも知事レクの文書の内容そのものが、情報公開請求に堪えられるようなものとして残されているということも前提です。しかし私たちにとって知事の主体的関与は疑いようもありません。7日のレクで申込者が展示会を公表したら報告をするよう指示し、23日のレクで「苦情や抗議活動は始まっているのか?」と担当者に問うているところから、吉村知事は苦情や抗議活動を待ち望んでいたかの
ようにさえ読めます。

サンフランシスコに建てられた「慰安婦」像に対して吉村市長(当時)は徹底抗議し、友好都市関係を解消しました。今回の「表現の不自由展かんさい」の件でも吉村知事の犯罪性は明白です。

わたしたちが企画したのは、美術展です。美術を鑑賞するためにここまでの抗議や弾圧をはねのけなければならないというのは、やはりどこか「異常」です。作品と出会うために、本来必要でないはずの裁判を闘い、路上でレイシストの罵声に耐え忍んで抗議しなければならないというのは、「異常」です。

誰もがアクセスできる環境で、「表現の不自由展」というタイトルさえ冠する必要のない自由な環境の中で、〈平和の少女像〉たちに出会いたかった。しかしそれが不可能なのが今の日本の現実です。それでも作品に出会いたければ、闘うしかありません。

日本の社会が〈平和の少女像〉たちを忌避する限り、私たちは私たちの「不自由」と闘うしかないのです。それが本当の民主主義の獲得へつながっていくと信じています。




関西共同行動ニュース No88