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私たちは東京オリンピック・パラリンピックにいかに立ち向かったのか  
【オリンピック災害おことわり連絡会】宮崎俊郎


パラリンピック閉会式が9月5日に終わって、喧噪の1か月半を反芻しながら小さな映画館で「東京オリンピック2017都営霞ヶ丘アパート」という映画を観た。

静かな映像の中で64年と今回で2度も強制移転を余儀なくされた方の憤りが引っ越しの風景を通じて伝わってきた。普通に暮らしてきた人々の生活を突如破壊したうえで成立する「祝祭」とは何なのだろう。それはコロナパンデミックにおける強行開催で明らかになった「人の命よりオリパラ開催を優先した」異常さと地続きなのだと思う。

そういう意味から、強行開催されたことによって、よりオリンピック・パラリンピックの「災害」としての側面が多くの人々に可視化されたと言えるだろう。多岐にわたる「災害」をここで詳論するゆとりはとてもないが、少なくとも強行開催によって人流が増加し、感染爆発が起こったという因果関係は明白だ。IOCバッハ会長は「東京五輪は安全な大会だった」というコメントを発表したが、これは安倍元首相の「アンダーコントロール」発言とともに東京五輪についての二大大嘘として語り継ぐとともに、私たちは強行開催によってもたらされた「災害」に対する責任を曖昧にせずに徹底追及すべきだ。「大嘘」を「正史」として歴史に刻ませないためにも。

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私たちの反オリンピック・パラリンピックの取り組みを大きく三期に分けて振り返ってみたい。

第一期は7月23日の五輪開会式まで。

4月からは毎週金曜日18時30分から20時まで「金曜行動」として晴海トリトンビル前行動を開会式に至るまでほぼ貫徹した。この行動は当初10人程度で始まったが、最盛期は40人を上回るものとなり、中止を求める行動のベースとなった。

5月9日には新国立競技場を2周する「グルグル」デモ。17日にはバッハ来日に抗議する銀座デモを行った。

第一期行動の特徴は、「即時中止」をスローガンとする行動を様々な場所や時間で多様に展開したことだった。その中でも最大の行動が開会式1ヶ月前の「オリンピックは私たちを殺す!やらせるものか「犠牲の祭典」6・23新宿デモ」だった。参加者は850名。1ヶ月前が中止を求める行動としては頂点だった。残念ながらその後中止に向けた人々のテンションは徐々に萎んでいった。宣伝不足も手伝ってか、1週間前の築地市場からトリトンまでのデモの参加者は100人程度だった。それでも7月23日開会式当日は、採火式の行われた都庁広場行動に300人、原宿からの開会式に向けたデモには700人が参加した。

第二期は五輪開会期間中。

開会期間中は分散型行動となった。中止一択を目指しての行動だったので、開催された場合の行動配置まで準備する余裕もなかった。しかし様々な会場に出かけて行ってアピール行動を試みた。私は横浜市在住だったので、野球とソフトボール会場となっていた横浜スタジアムとサッカー会場の日産スタジアムへ抗議スタンディングを行った。また有明近辺の会場を巡ってアピール行動を行ったときにはちょうど男子テニス決勝戦で、「抗議の声をなんとしてほしい」と苦情が選手から出されるほど私たちの声が会場内に届いていた。

会場内に届かせないということでは、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の歩道も含めた封鎖と過剰警備は酷いものだった。開会式にはナルヒト天皇が閉会式には秋篠宮が宣言しに来訪していたことも手伝って異様な排除の構造が作られていた。

8月6日にはIOCバッハ会長は広島へコーツ副会長は長崎へ「平和の祭典」を偽装するために訪問したことへの抗議と福島・広島・長崎と連帯する反五輪アクションをJOC前で行った。そして8月8日閉会式には新国立に近いJOC前で抗議行動を行おうと試みたが、かなり手前の青山高校あたりで大群の警察に封じ込められた。参加者150名。

第三期は8月24日から9月5日のパラリンピック会期中。

ここでは開閉会式への抗議行動と9月3日の東京体育館・新国立などの会場前アピールと多様な行動は展開しきれなかった。しかし、NoParalympics TV として北村小夜さん、岡崎勝さん、増田らなさんにパラリンピックの問題性を展開してもらった。より商業化し障害の程度も細分化した東京パラリンピックの差別性は深化したという認識は共有化できたと思う。私たちは反五輪の取り組みを様々な観点からより広く届けるメディアとしてNolympics& NoParalympics TVを14回にわたって放映した。アーカイブとしておことわりンクのブログで視聴できるので本稿で展開しきれなかった点を観てほしい。

9月5日にはパラリンピック閉会式に抗議する私たちのトーチリレーを行った。原宿から千駄ヶ谷駅に向けて大量の警察官に監視されながら歩道を駆けた(実際は歩いた)。その後反五輪の会主催で「オリパラ廃止式」をコーツや菅や小池に扮した役者が思い思いの廃止宣言を交えて行った。



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最後に五輪弾圧について報告したい。

「聖火」リレーへの抗議の取り組みは全国で多様に展開された。公道リレーはほとんど中止となったが、トーチキッスなどのセレモニーは行われ、抗議行動はあまり妨害なく展開された。目立つ形での排除や弾圧は避けたいという判断があったようだが、一線を越えたと見なされた行為には厳しい弾圧がかけられた。茨城ではおもちゃの水鉄砲をランナー目掛けて発射したことで逮捕。東京武蔵野では「聖火」イベント会場近くの歩道で爆竹を鳴らしたことで「威力業務妨害」で逮捕。その後起訴まで持っていかれ、現在も勾留が継続されている。救援カンパを下記にお願いしたい。郵便振替00150‐8‐66752(口座名:三多摩労働者法律センター)(「7・16弾圧救援カンパ」と通信欄に必ず明記してください。次ページ参照)また、8月24日パラリンピック開会式に対する抗議行動では警察が勝手に設定した「抗議エリア」に私たちを押し込めようとしたことに抗議した仲間を「公務執行妨害」で不当逮捕した。幸いなことに早期釈放を勝ち取ることができた。

いずれも断じて許し難い弾圧であり、最大の五輪「災害」であることを明記しておきたい。

東京オリンピック・パラリンピックに対する私たちの取り組みに対するトータルな総括はこれからであり、本稿はそのための一つの材料に過ぎない。しかし大阪では2025年に万博というメガイベントが予定されている。オリンピック・パラリンピックは来年北京冬季、その後もパリ、LA、ブリスベン、そして何より2030年札幌冬季招致問題も待っている。今回の取り組みの総括を是非とも今後の反メガイベント、反五輪の闘いに活かしていってほしい。

世界のどこにも国家的メガイベントやオリンピック・パラリンピックはいらない!廃止を求めて闘いを継続していきたい。







関西共同行動ニュース No88