集会・行動案内 TOP
 
コロナ禍で注視される医療従事者の「専門家自治」  【佐久間病院内科医師 】  色平哲郎


日本の新型コロナウイルス感染症による死亡者数が1万人を超えた。地理的、生物学的環境が近い東アジア・オセアニア諸国の中で、日本の死亡者数は突出して多い。各国のコロナによる死亡者数を並べてみると、中国4636人、韓国1813人、台湾12人、香港209人、ベトナム35人、豪州910人、ニュージーランド26人(ロイター「COVID-19 TRACKER」2021年4月26日による)。人口の違いを勘案しても、日本の数字の多さは目立つ。近隣で日本よりも多いのはフィリピンとインドネシアぐらいだ。

昨年末から今年初めにかけてのコロナ「第3波」で、東京都では感染者が激増。発症しながら入院先が見つからず、自宅待機を強いられ、容体を悪化させて亡くなる人が相次いだ。「第4波」の到来で大阪府でも同じような悲劇が起きている。世界に冠たる国民皆保険の国の実態である。保険証1枚あれば、いつでも、どこでも、誰でも、医療機関にかかれるはずではなかったのか。医療提供体制が追いつかない背景には様々な要因があろうが、根本で何かが歪んでいるような気がする。そんな思いを抱えつつ、先日、法学者で九州大学の内田博文名誉教授のオンライン講義に参加し、目からうろこが落ちた。日本で「患者の権利」が法的に担保されていない事情を解説してくれたのだ。

まず、「法の役割」とは「国民の権利と利益を保障すること」。そして「国家による国民の管理・統制を根拠づけることは法の役割に矛盾している」と内田氏は述べ、患者の権利に踏み込んだ。医学生時代、こういう医事法学の講義を受けていたなら、もっと身を入れて聴いたことだろうに、と思う。以下、私なりの解釈を記してみたい。



■注目すべきリスボン宣言の一節

そもそも「患者の権利」とは何か。

1981 年の世界医師会総会で採択された「患者の権利に関するリスボン宣言」が的確に示している。そこには「良質の医療を受ける権利」と明記され、「すべての人は差別なしに適切な医療を受ける権利を有する」と規定。多くの日本人医師がハッとするのは序文の次の一節だ。

「法律、政府の措置、あるいは他のいかなる行政や慣例であろうとも、患者の権利を否定する場合には、医師はこの権利を保障ないし回復させる適切な手段を講じるべきである」※リスボン宣言(→https://bit.ly/3dUZdOa

医師は患者の権利を守るためには法律、政府の措置に対しても「適切な手段」を行使しなくてはならないと断言している。そのためには医師と患者の連携が不可欠、と読み取れる。患者の権利=人権を擁護するためなら「お上」に物申せと、「世界医師会」は自律的な職能団体としてメンバーに命じているのだ。この趣旨に沿って、1990年代から2000年代にかけて欧州諸国では「患者の権利法」が定められた。

しかし、日本の医事法制にはこうした考え方は見当たらない。日本病院会が「病院憲章」、全日本病院協会は「行動基準」を定め、「患者中心の医療」とか「患者や家族との信頼関係に基づいた医療」を標榜しているが、心構えの域を出ない。世界医師会が患者の権利にここまで踏み込んでいるのだからと考え、公益社団法人・日本医師会はどうなのかと調べてみると、日本医師会の「職業倫理指針」では「医師は患者の利益を第一とし、患者の権利を尊重し、これを擁護するように努めなければならない」と規定してはいるものの、患者の権利が否定された場合に「保障ないし回復させる適切な手段」を講じなさいという文言はない。

それどころか、リスボン宣言にはない「患者の責務に対する働きかけ」という項目があり、「医療は医師と患者の共同行為であり、医師が患者の意思を尊重しなければならないことは当然であるが、患者も相応の責任を果たさなければならない。たとえば、患者は医師に対して自らの病状や希望を正しく説明し、同意した療法上の指示を守る責務がある」と言い切っている。「法律、政府の措置」への言及は全く見られない。「医師と社会」の項目で、「公的検討機関への医療事故の報告」や「社会に対する情報の発信」「公衆衛生活動への協力」などが並んでいるが、権力に対する健全な批判精神が皆無なのである。

■ 国が医療従事者と患者・家族を 支配する構造

どうして、このような「お上意識」が定着してしまったか。勉強会で内田名誉教授が指摘した「日本の医事法のいびつな構造」で説明がつく。その構造とは、「A:国・自治体」「B:医療施設および従事者」「C:患者・家族」の3面関係をさす。

A―Bの関係は、AがBを一方的に監督・支配する関係になっていて、医療従事者の「専門家自治」(Autonomy of Profession)を認める規定はない。

B―Cの関係は、医療契約関係に委ねられているが、国の監督権などの影響を受け、医療従事者は「国の監督に従うか」「患者の利益を優先するか」の葛藤の中に置かれる。

そして、A―Cの関係に、「当事者参加」を保障するような規定はないという。つまり、この3面関係は、国が上で、医療従事者と患者・家族を支配する構造になっている。

戦前から戦中にかけて、国家総動員体制のもとで医療従事者は戦争という国策を遂行する歯車に組み込まれた。その名残りとしか言いようがないのだろう。医師法、医療法などの個別法を束ね、医療の基本理念や患者と医療提供者の関係などを規定する「医療基本法」を制定しようとする動きがあるが、現状の3面関係に変化をもたらすものとなり得るのか、今後の議論を注視したい。

(この原稿は、日経メディカル電子版2021.04.30 掲載論文をご本人の了解を得て転載させていただきました。)

※色平哲郎(JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長)

●いろひらてつろう氏。東大理科1類を中退し世界を放浪後、京大医学部入学。1998年から2008年まで南相木村国保直営診療所長。08年から現職。





関西共同行動ニュース No87