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「分かってるか、バカ共、経済だぞ!」・・・ あのバカ経済のことか?(コレクティブ2020より翻訳)

脇浜義明(翻訳家)


 (コロナ禍ロックダウンの中で国境を越えた様々なジャンルの左派活動家や文筆家がネット週刊誌(collective20.org)を立ち上げ(2020年5月1日)、個人発表でなく集団として「コレクティブ20」というペンネームで意見発表している。

 メンバーの中には黒人やフェミニスト活動家やマイケル・アルバートやノーム・チョムスキーなどの著名知識人がいる。メンバーが個人またはチームで草稿を出し、他のメンバーがそれに反論したり修正したりして、最終的に集団の産物として「コレクティブ20」というペンネームで発信する仕組み。

 以下2020年7月の記事《It’s economy, stupid ! Or is it the stupid economy?》から一部を訳出する)

 WHOが伝える新型コロナウィルス感染者の数は依然として多い。とりわけ多いのは米国、ブラジル、インドで、続いてアジア地域、中東地域、カリブ海・南アメリカ地域。感染は収束しそうでなく、しかもワクチンも治療薬もない状態が続きそうだ。

 WHOの数字がロックダウンと警戒の延長を迫るものかどうかはともかく、できればそういう制限をやめるという圧力が働いている。家に閉じこもって命を守れと警告していた国は、今や「新ノーマル」に入ったので、仕事に戻れ、金を使えというメッセージを出している。制限措置を解除している。一応口先では「用心深く徐々に」と言っているが、実際には感染状況を無視して、一方的に、急速に解除している。一体、何が変わったのだろう。何故ロックダウンから「新ノーマル」へ急転回しなければならないのだろう。

 一つには、我々民衆自身が外に出たい欲求を持っている。人間は社会的動物で、身体的・精神的健康のためにも人々との接触を望み、必要としている。しかし、民衆の自由のために政府がロックダウンを解除するわけがない。事実は、政府の関心が国民の健康から経済へと移ったのだ。国民の安全を守るよりはGDPや企業利益を守ることを重視するからだ。

 社会的距離がいつの間にか2メートルから1メートルになり、帰郷や友人宅訪問のための移動は歓迎されないが、買い物、外食、観光、出勤は薦められる。(訳注1:日本でも、被災地熊本県へのボランティアへ行くのは感染を広めるとして制限されるが、熊本県への観光は奨励される)つまり、経済に資する移動は歓迎するが、経済に資さない移動は不要不急として制限される。

 メディアも同じで、パンデミックが経済を破壊、赤字が膨れ上がるので、経済マシーンを稼働すべきだというメッセージを発している。マクドナルド店が開いて店員が喜んでいる映像を伝えるが、その店員が「ゼロ時間契約」(訳注2:登録労働者が事業主の求めに応じて不定期に短期間就労する不安定雇用形態の一つ)で働いていることには触れない。 

 こういう政治家やメディアの行動は想定内のことだ。ただ残念なのは、このグローバル・パンデミックが何も変えず、再生というのは昔通り資本主義に奉仕する状態へ復帰することになっていることだ。これはロックダウン以上に我々にとって不幸なことだ。ほとんどの国はコロナ以前の経済を再起動する方向へ走り、コロナウィルスをほじくり出した文明破壊の経済に変わる新たな経済体制を模索しているところはない。

 しかし、そういう変革こそが絶対に必要なのだ。緊縮財政、公的部門カット、民営化、低賃金、失業、不安定雇用、ホームレス、住宅不安等々の世界、土壌・水質・大気汚染、自然環境破壊等々の世界へ、戻る必要があるのだろうか?

 確かに、ロックダウンは厳しかったし、それが終わってホッとする一面もある。しかし、ロックダウンの中で見えたものもある。多くの地域では一種のコミュニティ感覚が発展し、人々がお互いを気遣うようになった。社会にとって欠くことができない基礎労働の大切さに人々が気付いた。会社のCEOや大リーグの有名選手よりもゴミ収集者や看護師や百姓の方が社会生活維持にとって重要であることが明確になった。社会的富の圧倒的部分が前者に集中し、後者は社会的に低く評価され、貧しいのが従来の状態であったことが、一つの矛盾であることがはっきりと見えるようになった。また、ロックダウンのおかげで、無駄な大規模消費がなくなった。生活必需品の買い物が中心となり、欲望に駆られた浪費や誇示的消費など資本主義的消費文化は、パンデミックの中で姿を消した。ところが、そのバカげた消費文化に戻れというのが、政府が発するメッセージなのだ。また、人々の移動も少なくなった。通勤や観光が減少、満員電車も道路渋滞もなくなった。政府補助金で成長した化石燃料企業の販売量が下落、空が青さを取り戻した。

 ロックダウン解除でそういう良い面は消えた。本来、そういう面を維持するような社会にするべきなのに、政治家とメディアが勧める「新ノーマル」は、コロナ感染者増加の中で、満員電車通勤、観光、飲食・遊興なのだ。

 しかし、資本主義はこの程度の再活性化では満足しないだろう。ロックダウン中の経済停滞のツケを我々民衆に払わせるだろう。災害資本主義の論理が働き、低-中所得層への増税と収奪、公的サービスの大幅削除、雇用削減と労働強化等々、最大級の不況対策の名を使って行うことが予測される。

 しかし、資本主義経済復興という単一選択とそれがもたらす害悪を甘受する必要はない。資本主義は地球人口の1%である少数者を優遇する仕組みで、コロナ後の「新ノーマル」はその1%の短期的利益を目指すもので、そんなものに従う必要はない。それに反対する別の道を目指し、それを要求すべきだ。我々には数の多さという利点、唯一で大切な利点がある。我々が団結し、共通目的で手を組めば、かなり大きい力を発揮できるだろう。

 たいていの場合、我々は黒人対白人、女対男、若者対大人、ゲイ対ストレート、移民対本国人、労働者対専門職・管理職などと対立している。これは理解できる対立で、それが産み出す差別・抑圧は深刻で、それに関する闘いは当然である。しかし、よく煮詰めてみると、究極の敵は我々を支配し従属させる1%であることが見える。その1%の支配が続く限り、対立に基づく個別闘争が終わることは決してないだろう。

 1%とそれを支える支配階層に眠れぬ夜を与えるものがあるとすれば、それは我々大衆が相互に協力し団結することへの恐怖であろう。これを実現するためには、相違や個別闘争を放棄する必要はない。独自性を保ちなら、闘争という実践を通じて相互理解と連帯を実現し、そして共通目的を見つけて協力し合うことである。それを実現できれば、不況対策の名のもとで行われると予測される弾圧・抑圧政策という災害を防ぐことができる。

 1%を富ます経済仕組みを拒否し、一般の人々と地球自然の幸せと健康を優先する経済、資源を共有し、良識的で人間的必要に基づく生産・消費活動をする経済に作り変える道を選択すべきだ。飢えで苦しむ人々、ホームレス、教育や医療を受けることができない人々が存在するのは、資源が不足してみんなに行き渡らないからではない。資本主義経済が「持つ者」と「持たざる者」を作り出す仕組みになっているからだ。






関西共同行動ニュース No84