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トランプの番犬化する日本― 奄美大島における軍事要塞化報告- 
【新聞うずみ火編集部】 栗原佳子

鹿児島県の大隅半島から沖縄県の与那国島まで全長約1200㌔に及ぶ南西諸島。ここでゴリ押しされているのが陸上自衛隊部隊の新設・強化、いわゆる「南西シフト」だ。2016年の与那国島に続き、昨年は宮古島と奄美大島で駐屯がはじまった。石垣島でも造成工事が強行されている。住民たちの反対と不安の声を置き去りにして、出鱈目な手法で既成事実が積み上げられてきた。ここでは、大規模なミサイル基地が2ヶ所開設された奄美大島に絞って報告したい。



■2つのミサイル基地

奄美大島は鹿児島県に属し、離島としては佐渡島に次いで大きい。奄美市、龍郷町、瀬戸内町、大和村、宇検村の1市2町2村からなり、人口は約6万8千人。

この奄美大島に昨年3月 26 日、陸自駐屯地が2ヶ所、開設された。北部の奄美駐屯地(奄美市名瀬大熊)と南部の瀬戸内分屯地(瀬戸内町節子)である。奄美駐屯地は地対空ミサイル部隊と警備部隊350人、瀬戸内分屯地は警備部隊と地対艦ミサイル部隊200人が配備された。地対艦ミサイル部隊は島嶼部への侵攻を洋上で阻止し、地対空ミサイル部隊は航空機や巡航ミサイルに対抗する。警備部隊は初動対応を担う実戦部隊だとされる。

奄美駐屯地は奄美空港から車で1時間あまり。名瀬港を見下ろす山上のゴルフ場「奄美カントリークラブ」の一部を造成した。広大な敷地に隊舎や体育館、整備工場など緑色の建物が立ち並ぶ。崖にせり出すように作られたヘリポート。駐屯地に隣接した脇道からは、ずらりと並んだミサイル車両も見える。

もう1ヶ所、瀬戸内分屯地は奄美駐屯地から車で約1時間半、亜熱帯の森林が8割を占めるという奄美大島の中でも、も深い原生林のなかにある。トンネル開通で交通量が減った旧道沿いの町有地を2地区に分け、片方は隊舎やグラウンド、もう一方に弾薬庫が建設されてきた。林道沿いの駐車場にはミサイルを搭載した軍用車両が並ぶ。

駐屯ははじまったが、弾薬庫は未完成。山をまるごと弾薬庫に仕立てるような計画で、来年度末までに5本のトンネルを掘削するという。

■隠ぺい重ねて

これほどのものが構築されてきたにも関わらず、工事は、住民にあまり知られることもなく進められてきた。旧道の利用者が極端に少ないこともあるが、そもそも、まともな説明会すら開かれなかったことが大きい。瀬戸内分屯地の場合、節子地区と隣接する小さな集落で1回。奄美駐屯地の場合も大熊地区で1回開かれただけである。それも、リスクには触れず、災害派遣などが強調される方式。しかし、車載式のミサイルは、発射しては相手に感知されないよう移動を繰り返す。万が一の場合は島中が標的になる。粘り強く住民説明会の実現を求めている市民らもいるが、いまだ実現していない。

また、奄美駐屯地、瀬戸内分屯地周辺はともに絶滅危惧種のアマミノクロウサギの生息地で、多様な希少生物の宝庫でもある。防衛省は独自の環境アセスを実施したとするが、市民団体「戦争のための自衛隊配備に反対する奄美ネット」(城村典文代表)が情報公開請求したところ、開示された資料は黒塗りだった。

隠蔽体質はこれだけではない。防衛省は昨年3月の開設式典に合わせ基地の概要を公表した。奄美駐屯地は約 50 ㌶。それまで報じられていた 30 ㌶から大幅に膨れ上がっていた。瀬戸内分屯地も開設前は 28 ㌶とされていたが、倍近くの 48 ㌶に「上方修正」された。そのうち弾薬庫は 31 ㌶。東京ドーム6つ分に相当する規模だ。「南西シフト」の問題に早くから警鐘を鳴らし、現地を取材してきた軍事ジャーナリストの小西誠さんは防衛省の隠ぺい体質を批判、「南西諸島に投入されるすべての部隊の武器・弾薬を中心とした兵站基地になるのではないか」と案じる。



■日の丸で歓迎

奄美大島で陸自配備が具体的に動き出したのは6年前だ。2014年8月、当時の防衛副大臣が奄美市、瀬戸内町を訪問、 「防衛の空白地域を解消する」などと正式に配備を要請した。自衛隊誘致を進める瀬戸内町は応諾。奄美市も朝山毅市長が翌月市議会で「民意は浸透している」として受け入れを表明した。その「民意」の根拠とは、観光協会など 12 団体が「活性化」 「災害派遣」 「過疎の歯止め」などを理由に誘致を求める意見書を上げたこととされた。

昨年3月の開設行事は官民こぞっての歓迎ムードが演出された。奄美駐屯地の場合はブルーインパルスが曲芸飛行を披露。瀬戸内分屯地は瀬戸内町中心部の古仁屋で開設パレードを行った。「歓迎」ののぼりが林立するなか、音楽隊の先導で隊員たちが制服姿でメインストリートを行進。沿道の住民たちは日の丸の小旗を振っていた。古仁屋はかつて海軍の基地があり、激しい空襲にもさらされた。不安を抱える住民は少なくないというが、それを声にする困難さが頷ける光景だった。古仁屋には海自の分遣隊が駐屯するが、瀬戸内町ではその拡充を防衛省に要請する動きもある。

■小銃片手に集落行進

陸自西部方面隊が毎年秋に行う「鎮西」という実働演習がある。奄美大島は駐屯地開設以前からその舞台だった。 14 年には大島海峡に浮かぶ江仁屋離島で「離島奪還」を想定した陸海空の統合訓練が行われた。一昨年秋の「鎮西」では観光地の真横でミサイル部隊が物々しい展開訓練を行った。駐屯が始まれば、さまざまな訓練が生活圏を脅かすのは必至で、それは今年に入ってすぐに現実のものとなった。1月 24 日、奄美駐屯地の警備部隊が初めて外で行軍訓練を実施したのだ。目的は有事に備えた道路や地形の把握。奄美市に隣接する龍郷町の集落を起点に海沿いの県道を歩き、山間の林道を経て駐屯地に戻るという 30 ㌔、約 10 時間のルートだが、 迷彩服に迷彩ヘルメット、 背のう、弾は入っていないとはいえ小銃を手にした隊員が100人、隊列を組んで歩いた。

金曜の午前中。近くには学校もあり、登校中の小学生も見ていた。 奄美ネット代表の城村さんは 「小銃を持った隊員たちは子供たちの目にどう映ったでしょうか。訓練は戦争が近づいているのではないかと危機感を抱かせるものでした」 と振り返る。

■我が物顔の米軍機

駐屯がはじまり顕著に増えたのが米軍機の飛来数だという。米軍普天間飛行場所属のオスプレイは以前から奄美市の上空で日常的に訓練してきたが、いまでは奄美駐屯地周辺の民家や幹線道、小中学校や病院の上空までも低空飛行するという。奄美大島の一部は訓練ルートの 「パープルルート」をかすめているが、この周辺はルート外。お構いなしに飛んでいる。

また空中空輸機KC130も奄美市内でたびたび目撃されるようになった。沖縄と鹿児島県の鹿屋基地を結ぶルートにあるとみられ、時には高さ50 ㍍ほどの超低空で巨体が飛ぶこともあるという。「市街地に米軍機の監視カメラを早期に設置してほしい」という市民たちの願いは切実だ。

奄美大島では昨年9月、初の日米共同訓練も行われた。奄美駐屯地のヘリポートに降り立った米兵と隊員が、地対空ミサイルが攻撃された事態を想定しての訓練をしたという。もともと「南西シフト」は、中国の海洋進出を封じ込めるという日米共同の軍事戦略に基づいている。

また、奄美大島には航自分屯基地があるが、防衛省は島高峰の湯湾岳に空自通信施設の配備も目論む。「陸、海、空」の基地強化、日米の一体化の波。そんな中、城村さんら市民 20 人は今年2月、弾薬庫建設差し止めを求め、鹿児島地裁名瀬支部に仮処分を申し立てた。押し寄せる流れに対し、奄美大島の人たちは、それぞれのやり方で粘り強く抗っている。



関西共同行動ニュース No83