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「表現の不自由展・その後」展示中止をめぐって 山本みはぎ  【「表現の不自由展・その後」をつなげる愛知の会】


8月1日から開催された、あいちトリエンナーレの企画展、「表現の不自由展・その後」が、抗議や脅迫を理由に開会からわずか3日で中止に追い込まれ、会期終了間際の8日間の再開が実現できた事件から、早くも2か月以上が経った。国際芸術祭という世界が注目する芸術展で、脅迫や抗議によって展示が中止になるという前代未聞の事件の後遺症は今も続いている。一連の経緯を改めて振り返りながら、この事件の影響や問題の本質は何かを改めて考えてみたい。



 「表現の不自由展・その後」は過去に表現の場を奪われた作品を含め、16組23点の作品がされた。とりわけ、韓国の作家、キム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん作の旧日本軍「慰安婦」を表現した「平和の少女像」と大浦信行さん作の天皇制をモチーフにした「遠近を抱えてpart2」が攻撃対象になった。電話やファックス、メールによる抗議や脅迫は1万件以上に上り、学校などへも脅迫が起こるという事態になった。8月2日には河村名古屋市長が会場を訪れ(平和の少女像は)「日本人の心を踏みにじる行為で行政の立場を超えた展示が行われている」「慰安婦は事実ではないという説も強い」などという発言をし、電凸に拍車をかけた。河村市長だけではなく、大阪の松井市長や神奈川県の黒岩知事など、行政に携わる者から検閲に値する発言が相次いだ。そして、菅官房長官は文化庁の補助金の見直しを示唆する発言をして、後にそれは現実のものとなった。
 これに対して、展示の中止に抗議し、再開を求める市民の動きがすぐに始まった。展示中止の直後、電子署名change.orgが開始され3万筆余りの署名が集まった。また、翌4日には会場の愛知芸術文化センター前で、抗議のための市民集会がもたれ、「表現の不自由展・その後」の再開を求める愛知県民の会が結成された。その後、県民の会は、会期終了まで毎日再開を求めるスタンディングを継続し、トリエンナーレ実行委員会への再開を求める要望書の提出や河村市長への発言の撤回と謝罪を求める要望書の提出、最終的には182団体の連名の共同要請文の提出、2度の集会・デモなど連日の行動を行った。
また、海外の出展作家の対応も素早かった。韓国のイム・ミヌクさんとパク・チャンキョンさんが抗議の意味で作品を封印し、日本と海外の作家72名が共同のステートメントを発表した。12日には、海外作家11組が主催者の中止の決定に抗議をして再開まで作品の展示中止を表明した。日本人の作家もRe-FreedomAichiを結成し再開に向けての動きを開始した。
8月9日、中止を決めた実行委員長である大村知事は、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の立ち上げを発表した。山梨国立国際美術館館長を座長に、上山信一慶応大学教授が副座長というメンバー6名からなる。検証委員会は3回の会合を開き、9月17日に「中間報告」発表し、21日は「表現の不自由展・その後」について考える国内フォーラムを開催した。参加者は抽選が行われ、私もこのフォーラムに参加したが、当該の不自由展実行委員会のメンバーは招待すらされておらず、3時間余りのフォーラムの大半が検証委員会の結果の発表の時間に充てられるといういびつなものだった。
事前の相談もなく一方的に展示中止の知らせを受けた「表現の不自由展・その後」実行委員会は、トリエンナーレ実行委員会(大村知事)との協議による再開を求めていたが、実現しないまま、9月13日に展示場を塞ぐ壁の撤去と再開命令の仮処分申請を申し立てた。結局、9月20日、27日と予定外の30日の審尋の期日で大村知事より再開準備の協議の申し入れがあり、和解が成立し再開に向けて動き出した。和解の条件で再開の期日が10月6日から8日を想定するとなっていたので、私たちは早期の再開を心待ちにしていた。しかし、再開をされたのは10月8日、それも抽選による人数制限、金属探知機を使ったチェックや手荷物の預かり、SNSでの拡散の禁止と誓約書の提出など制限され、更にはマスコミの取材制限というおよそ私たちが求めていた無条件の再開には程遠いものであった。そして、こともあろうに河村名古屋市長は、再開当日に会場の敷地内で右翼と共に「陛下への侮辱を許すのか」というプラカードをあげ再開に抗議をする座り込みを行った。また、文化庁は予定されていた補助金を必要な申請の条件が満たされていないという理由で不支給にした。公権力を持つものが、文化や芸術に対しての「検閲」を公然と行うという許しがたいことが起こっている。また、KAWASAKIしんゆり映画祭での「主戦場」の上映中止(のちに開催)や、伊勢市の市美術展で慰安婦像をコラージュした作品の展示中止、オーストリアの国交150年記念事業として首都ウィーン芸術展の公認撤回など、負の影響が広がっている。
検証委員会から名称を変更した、「あいちトリエンナーレのあり方検討委員会」は12月18日、「表現の不自由展・その後」に関する調査報告と、

第1次の提言書を提出した。その内容は一言でいえば、中止原因にとされる脅迫や恫喝による展示の中止の根本原因には一切触れず、不自由展の展示の内容やトリエンナーレ自体の運営のあり方の問題に終始している。
「表現の不自由展・その後」の中止の本質的な問題は、現在、とりわけ安倍政権のもとでの歴史改ざん主義や天皇制をタブーにする問題を指摘してきた。そのことに確信を持ちつつ、いま改めて、イム・ミスクさんが作品を封鎖した際の「検閲は、違法な行為です。「違法」にも拘わらず「表現の不自由展・その後」は撤去されてしました。(後略)」というステートメントを読み直して、「表現の自由」とはなにかを検証し、深めていかなければならないという想いを強くしている。


展示中止の告知が貼られた扉や壁面を
埋め尽くす来場者のメッセージ




関西共同行動ニュース No82