集会・行動案内 TOP
 
【巻頭言】GSOMIA破棄を東アジアの 平和に発展させよう! 中北龍太郎

韓国は今年8月22日日韓軍事情報保護協定 (GSOMIA)の破棄(締結は2016年 11月 23日 ) を日本に通告し、これにより 11月 23日に失効することになりました。 今号ではGSOMIA ( ジーソミア ) の破棄問題について訴えます。

■破棄と締結の経過

徴用工被害者に対する韓国大法院の賠償判決にもとづく強制執行手続が進行する中、これに反発した安倍政権は7月半導体ディスプレイ核心3品目を包括的輸出許可対象から除外したのに続いて、8月に入ってホワイト国 ( 大量破壊兵器・通常兵器の開発などに使うことが可能な貨物の輸出などの際、経済産業大臣の許可を受けなければならないが、ホワイト国の指定を受けるとその手続が免除される。 ) から韓国を除外しました。これに対し、韓国はGSOMIAの破棄を通告しました。日韓対立は戦後最悪の局面を迎えることになりました。



まず、GSOMIAの締結に至る経過をふり返ります。2011年1月日韓両政府は、GSOMIAの締結に向けて協議を進めることで合意しました。核開発をめぐる北朝鮮情勢が、両国の機密情報共有体制を重要な課題に押し上げていたのです。米国が日米韓軍事体制を強化するために3か国合同軍事演習とともに日韓双方に提案したことが背景にありました。日本も、軍事同盟関係のない日韓の連携強化として、また3か国の軍事協力体制を強めるために、GSOMIAの締結をしたいとの思いがありました。

12年6月 29日、日韓で口頭合意により日本は閣議でGSOMIA締結を決定していたところ、韓国サイドから急きょ延期の要請があり署名の1時間前に棚上げとなりました。韓国の世論は賛成15・8%に対し、反対が 47. 9%という数字が表しているように、圧倒的に反対が強かった。日本の植民地支配の歴史があり、過去を清算していない日本と初の軍事協定を締結し、軍事分野で協力することに大きな疑問が渦巻いていたのです。また、韓国にとって最大の交易国である中国( 12年度の輸出量は中国 25%、米国 11%、日本8% ) と対立すべきではないといった対中配慮がありました。

16年に協議が再開され、 11月に締結に至りました。この年の8月に北朝鮮が潜水艦発射弾道ミサイルの実験を成功させたことから、米国が重大な危機感を抱き、GSOMIA締結を強烈に働きかけてきたのです。そして、国民の反対にもかかわらず、朴槿恵政権の末期にGSOMIA締結がかけこみで強行されました。


■GSOMIAと日米韓軍事体制

GSOMIAを一番必要としているのは米国です。日米GSOMIAは 07年にすでに締結されており、その中で日本に秘密保全措置を義務づけており、それが 13年の特定秘密保護法として実現しました。こうした延長線上で、米国の働きかけにより日韓GSOMIAが締結されたのです。

日韓の間には軍事協力の条約は存在せず、GSOMIAは日韓の軍事関係における唯一の協定です。GSOMIAは日米韓の疑似同盟を象徴する存在に外なりません。この協定は、お互いから得た情報を第三国・第三者に流さないという取り決めです。これにより、機密度の高い軍事情報をやり取りできるようになり、また日韓が情報を直接やり取りできるようになったといわれています。地理的に北朝鮮にいちばん近い韓国のレーダー情報は、日米ミサイル防衛システムにとって不可欠で、この情報がないと情報ネットワークに大きな穴があくことになります。締結以降破棄に至るまで日韓で 29回の情報交換がなされ、実際その多くが北朝鮮の弾道ミサイルに関するものでした。



日米韓の軍事協力体制は着々と推し進められてきました。 50年~ 53年の朝鮮戦争の休戦直後の53年 10月に米韓同盟(米韓相互防衛条約)が調印され、 韓国内に米軍が駐屯するようになりました。朝鮮戦争の初期の 50年7月には太田協定が結ばれ、未だ米国が戦時における韓国軍の作戦指揮権を持っています。また、米国は北東アジアにおける地域軍事同盟をつくりあげるべく両国に話し合うよう求め、長期におよんだ会談の末 65年に調印された日韓条約は、日米韓の軍事的一体化の基盤になりました。これに先立ち防衛庁統幕が極秘で研究していた三矢研究は、第2次朝鮮戦争を想定し、米軍指揮下に自衛隊も朝鮮半島に出兵し、 38度線を越えて侵攻するという作戦計画で、当時大きく進展していた日韓会談と切り離して考えることはできません。

日韓条約調印後、日韓の間で様ざまな軍事協力の動きが進んでいきました。これと並行して、 69年には、「アジア人どうしを戦わせる」 戦略に立つニクソン大統領と佐藤首相との間で、「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要」とのいわゆる「韓国条項」を発表し、日米安保条約は韓国を共同防衛する目的を有していることを宣言しました。80年代初めにレーガン、全斗煥、中曽根政権が登場し、日米韓の軍事一体化、三角軍事同盟化の動きに拍車がかかりました。

94年には、第1次朝鮮半島核危機が迫り、クリントン政権は先制的な軍事攻撃による北朝鮮の強制武装解除を検討し、日本政府に対し1900項目におよぶ軍事支援を要請してきました。この要請をもとに、 97年に日米ガイドラインが改定され、99年には周辺事態法が制定されました。

そして安倍政権のもとで2015年安保法制が強行されました。これにより、朝鮮有事への対応ができるようになりました。集団的自衛権を行使できる「重要影響事態」 ( そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃のおそれのある事態等 ) は、例えば、北朝鮮がミサイル発射をくりかえし、「ソウルを火の海にする」といった発言や「グアムへの包囲射撃」 を示唆している状況をもって、認定できるようになります。そう認定されると、自衛隊はミサイル防衛にかかる情報協力、米韓防衛、避難民対応、捜索救難、施設・区域の警護、発進準備中の米軍機への給油などの後方支援が可能になります。さらに、重要影響事態が激化し、自衛隊が北朝鮮のミサイル攻撃を抑え込むため米軍との連携が一層必要となると、「存立危機事態」( 密接な他国に対する武力攻撃が発生し、 これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命などが根底から覆される明白な危険がある事態)と認定され、攻撃を排除するための武力行使までできることになります。

安保法制を強行した安倍政権は、日米共同のミサイル防衛体制の完成と沖縄の新基地を建設し、改憲を企てています。 他方、米国は韓国において、先制攻撃戦略にもとづいて、米韓合同軍事演習を実施し、米軍の高高度ミサイル防御体系THAADを配備しています。こうした軍事展開がなされる中で締結されたGSOMIAは、東アジアにおける米国主導のミサイル防衛体制づくりと、日本による集団的自衛権の行使を支え、三角軍事同盟をさらに促進していくものに外なりません。



■破棄と東アジアの平和

GSOMIAの破棄に対して、米国と日本は怒りをあらわにしました。こうした怒りは正しいのでしょうか。その評価は、冷戦体制維持か冷戦の克服か、軍事対立か対話による解決かのどちらを志向するのかによって違ってきます。

文在寅大統領の破棄の決定は、米国との同盟を維持しながらも、米国に追従するのではなく、米日韓の三角軍
事同盟の強化に加担せず、その一角に風穴をあけたところに大きな意味があります。文在寅大統領は「誰も大韓民国の同意なく ( 北朝鮮に対する ) 軍事行動を決めることはできない」「すべてをかけて戦争だけは阻止する」と明らかにしています( 17年の8・ 15光復節記念演説) 。こうした平和への強い決意が 18年4月の南北首脳会談として実践され、6月の米朝首脳会談に発展していったのです。こうした動きによって、朝鮮半島の非核化と恒久的平和体制の流れが作られていきました。こうして北朝鮮の脅威が低下し、これに伴ってGSOMIAの実効性も下がりました。情報共有することで、北朝鮮との緊張関係が増幅されるというGSOMIAの本質的な問題点を解消することになったのです。さらに、南北の和解と協力が進展し、米朝交渉が進み、朝鮮戦争終結宣言や平和協定締結が実現すれば、北朝鮮は脅威でなくなり、GSOMIAは無用の長物となります。文政権はその最初の一歩を踏み出すことを決断したのです。

文在寅大統領は何よりも南北和解を最優先し、東アジアの冷戦を解消し、新たな平和秩序を築こうとしています。GSOMIA破棄は、朝鮮半島平和プロセスを進めるため、日本との軍事協力は必要ないとする政策の一環に外なりません。日韓の疑似同盟を解消し、 米国の三角軍事同盟の強化、さらにはインド太平洋戦略に日韓両国を取り込もうとする思惑にNOを突きつけたとも評価できます。文政権の南北統一の動きが進展すればするほど戦後政治の土台をなしてきた東アジア冷戦体制=日米韓軍事協力体制の根幹が揺らぐことになります。日韓関係の戦後的枠組みが大きく揺らぐ時代が始まったのです。

歴史の真実に目をつぶり日韓対立をどんどん強める安倍政権は、何としても9条改憲を実現しようとしています。こうした安倍のスタンスは、朝鮮半島平和プロセスに敵対し、東アジアの軍事対立を深めるばかりです。日韓の民衆連帯により平和憲法を守りいかし、東アジアの平和を構築しなければなりません。GSOMIA破棄の先鞭に学んで、国境を越えた民衆連帯により、あらゆる軍事協定の破棄を実現しましょう。


関西共同行動ニュース No81