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沖縄・宮古島に 陸自ミサイル部隊がやてきた!

【 ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会】 清水早子

2015年5月 11日、当時の左藤防衛副大臣が来島、下地敏彦宮古島市長に「陸上自衛隊ミサイル部隊の配備」を告知してから約4年、2019年3月4日早朝から宮古島市の商業港である平良港に、私たち市民数十名は結集し、大きな山場を迎えた。

前夜から岸壁に留め置かれた100台にも上る軍用車両の車列。いよいよ《軍備》した部隊が宮古島へ、戦後 74年経って再び上陸し、駐屯する序章が始まる。悪夢の再来である。

急に入った情報であり、 しかも平日の朝6時半、多くの市民に呼びかけることもできない。港湾関係者や隊員がやって来る前に私たちは車両の出入り口に車を並べて封鎖した。やがてやって来た港湾労働者が「軍用車両の陸揚げ以外の荷役作業があるから、通行を止めないでほしい」と言う。私たちは仕方なく車での封鎖を解き、出入り口に人間が並んで軍用車両だけを止めることにする。

そのうちに、市役所港湾課の職員とパトカー、警察官、自衛隊隊員が集結。3者は協議している。「なぜ、市民の安全を図るべき役所職員が、自衛隊、警察と一体となって市民を弾圧するのだ?!」「港湾の軍事利用をどういう経緯で許可したのか?!」とマイクで訴える。港湾の作業用車両だけを通して、出入口に並んで軍用車両の前に立ちはだかる私たちとの膠着状態は約8時間に及び、パトカー3台の他、 警察のカマボコがやって来た。カマボコから降りてくる制服警官たち。午後2時頃、強制排除が始まった。私たちは抵抗し激しく抗議した。

こうして、港から市内を通り、千代田の陸自警備隊の新基地内に車両は入った。しかし、その2週間後には秘かに「中距離多目的誘導弾や迫撃砲」までが「弾薬庫」に搬入されるとは誰も考えなかった。3月 21日、私たちは「ミサイル配備抗議集会&市内デモ行進」を開催した。 2.5キロの市内デモ行進。マイクでコールし、ときには三線や鳴り物で歌い、市民にミサイル基地ができることの問題点をアピールしたが、基地建設現場での監視の眼がお留守になったこの日を選んでミサイルが持ち込まれたことが後日わかった。



3月 26日には、警備隊先遣部隊380名(やがてミサイル部隊800名に ) の「編成完結式」式典が行われた。私たちは駐屯地正門前で抗議行動を展開した。これまで、沖縄防衛局は私たちの追及に「千代田には《弾薬庫》は作らない。ミサイルは置かない」と何度も答え続けてきたことがウソ偽りであったことが、この日ばれることになる。

隊員は、「弾薬庫があり、その中にはすでに多目的誘導弾が入っている」 ことを認めた。 そして、4月1日、全メディアが天皇代替わりによる「新元号」発表で一色の中、東京新聞には、「宮古島民だまし討ち」「保管庫実は弾薬庫」と一面トップに記事が出た。

隠蔽し続けてきた背広組防衛局と制服組自衛官の間に、どのような齟齬が生じたのかわからないが、こうして岩屋防衛大臣が「謝罪」する羽目になった。

私たちは、2017年 11月6日以来、工事の続く基地建設現場で、ほぼ毎日500日を超えて抗議と監視の行動を続けてきた。その目視と、防衛省へ開示請求した工事関係資料の分析活動で、様々な問題点を洗い出した。弾薬庫以外にも重要な課題がいくつもある。ヘリパッドは作らないと言っていたが、グラウンドはヘリパッドになることも認めさせた。給油施設に備蓄される燃料がジェット燃料であることもわかった。これはオスプ
レイがやって来る可能性を示している。

その給油施設の下の地盤は、空洞があり、軟弱であり、さらに断層が走っていることも明らかにした。全島地下水の島である宮古島で、地盤改良事業もしないでこのような施設を作ることは、地下水汚染の危険性があり、島の死活問題である。

4月7日、防衛大臣が来島、その訓示は私たちの抗議の声でかき消され、「隊旗授与式」祝賀式典は「めでたくないぞ!祝うな!宮古島の平和が死に近づく日だ!」と喪章をつけた私たちによって、不発も同然だった。



防衛大臣は、国会で弾薬庫の説明を住民にしなかったことを「謝罪」し、式典では、基地誘致の筆頭の市長と容認の地元区長にのみ「謝罪」したらしい。大臣来島の直前に、また「秘かに」弾薬を持ち出したのだと言うが、一切、信じることなどできない。

すでに、隊員家族の生活は始まっている。高級マンションの佇まいの隊員宿舎。与那国島の基地宿舎は1軒あたりの予算が1億円だというから、宮古島でも同様だとすると、隊員は《億ション》住まいになる。遊具を並べ子供を遊ばせる小公園のようにした場所が、わざわざ道路のフェンス沿いに作ってある。子どもの安全から考えれば、宿舎建物の内側の見えないところに作りそうなものであるが、地域の島民に家族連れのアピールをするかのように見せつける。隊員家族の私生活も国策に利用される。

先だって行われた野原基地航空自衛官と島の女性たちの“集団お見合い”もそうである。個人の性も生活もすべて国に管理され、利用されていくのだ。

一方で、市内の歓楽街には、「夜の観光案内所」なるものができている。独身隊員による性被害や暴力事件が懸念される。これからやって来る陸自隊員は、日本版海兵隊として再編された部隊である。戦争訓練、殺しの訓練をする戦闘部隊、暴力を本質とする組織である。

宮古島を含めた琉球弧の島々の軍事要塞化は、島々を南東アジアでの戦時の前線基地とすることである。が、平時においても私たちの日常に《戦争の空気》が流れ始める。

子どもの学校付き合い、保育所付き合い、ご近所付き合いを通して、顔と名前を持った個人としての自衛隊員と向き合うことを余儀なくされ、やがて反対しにくい空気が醸成されていく。しかし、「基地を受け入れるということは、軍隊と共に心中することを覚悟することだ」という元自衛官の言葉を忘れてはならない。

今後は「基地建設を止める闘い」から、「基地を無くす闘い」へと長い道程かもしれないが、私たちは歩み続けるしかない。戦争へと繋がることを止めなければならないから。


関西共同行動ニュース No80