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18/7/15 とめよう改憲!おおさかネットワーク年次総会・公開講演から

安倍 9条改憲を食い止める 市民力を 青井未帆(採録)

【学習院大学・憲法学教授】



現在の状況を一言でいえば、政府がやろうと思えば強引にやれる時代になったということ。無理を通したから、道理が引っ込んだ。この状況は、集団的自衛権を閣議決定し、内閣法制局長官の首をすげ替えた時からそうなってきている。でも、法律家共同体の相場観でいうと、 まだグレーだ。 まだ戻れる。しかし、憲法に自衛隊を明記したら、後に戻れない地点に行ってしまう。「戦争の作り方」 (http://noddin.jp/war/) という動画を見ることが できる。よくできているので是非見てほしい。


1 自民党九条改憲案

九条に自衛隊を書き込むことにどんな意味があるのか。

現行九条第二項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 」、自民党案ではこれが削除され、その代わりに、

九条の二第1項「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国民及び国民の安全を保つため①、に必要な自衛の措置②をとることを妨げず、 ・・・内閣総理大臣を高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。九条の二第2項「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する③」、を挿入する。

この①は目的だが、この内容は誰でも納得できそうな内容だ。実はそこが要注意なのだ。

②は何ができるかということ。一九七二年の政府見解では、 【必要小限度の範囲で】 という言葉が入っていた。この言葉が、集団的自衛権は行使できないということを意味していた。当然、今年の自民党九条改憲案には、【必要小限度の範囲で】という言葉が削除されている。だから、集団的自衛権の全面解禁に道を開くことになる。

③のことが、近よく強調されている。いわゆる文民統制だ。産経新聞も「文民統制を明確にするために首相が高指揮権を持つと明記したものと報道されている」と記している。


2 文民統制はそう簡単ではない!

九条に自衛隊を書き込むことの持っている意味はとても大きい。警察も自衛隊も実力を持っているが、 性格が違う。警察は秩序の中で活動するが、自衛隊( 軍) は無秩序の中でも活動が可能であり、 部隊行動が基本だ。現在は、防衛省・自衛隊いずれも普通の役所と並べられている。普通の役所ではなく憲法に規定されている機関は、内閣・衆議院・参議院・裁判所・会計検査院だけだ。だから、これらにはいずれも大きな権限が与えられている。

自衛隊を憲法に明記すると、憲法上の機関になる。つまり、国民投票で認められるから、高い地位の機関になる。自衛隊は完結性の高い自立的武装集団だから、それに見合う権限や制度がやがて問題として出てくるだろう。 自民党九条改憲案は、現行九条二項を有名無実化し、憲法として集団的自衛権行使容認を追認することになろう。

二〇一八年四月十六日、小西洋之参議院議員が統合幕僚監部の三等空佐から「お前は国民の敵だ」・ 「国益を損なう」と罵声を浴びた。小野寺防衛相は「若い隊員であるのでさまざまな思いがあり、国民のひとりとして当然思うことはあると思う」と、自衛隊員をかばい、絶対言ってはいけないことを言ってしまった。政治の力量不足が目立つ。総理大臣だから自衛隊を統制できるとか、憲法に書き込んだから統制できるという簡単な問題ではない。どこの国でも軍の統制には苦労している。日本は、軍の統制に失敗した国だ(明治憲法には、 天皇大権の一つに統帥権が明記されていた。これは、天皇なら軍を統制できることを意味していた。しかし日本には戦前戦中、統制に失敗した歴史がある) 。

日本では自衛隊を統制する主体がだんだん変わってきている。本来の主体は、防衛省内局 ( 背広組 ) 、象徴としての防衛参事官。防衛大臣を補佐する任務を持つ。ところが、制服組の権限が以前より大きくなってきて、制服組も大臣を補佐するように変わっている。憲法が変わらないまま、法律以下の制度で、仕組みがだいぶ変わってきた。国会や文民政治家が、軍事的合理性とは独立した政治意志を形成できるのか。補佐体制はそのことを可能にしているのか。自衛隊が従う国益は政治が決めねばならない。しかし、現状はどうなのか。力量がない中で、自衛隊を憲法に明記などという言動は禁物だ。何があっても反対しなければいけない。


3 私たちの課題

五月から六月の共同通信による世論調査によると、国民の三割は九条改憲賛成・三割は改憲反対・残りの四割はわからない( 態度保留) 。国民の間で 改憲気運は盛り上がっているとは言いがたい。四割は投票に行かない可能性もある。盛り上がらない方が改憲しやすい状況だと言える。

船田元自民党憲法改正推進本部長代行は、まず二項を維持したまま自衛隊を明記する改憲を実現し、その後に二項削除を実現する二段階の改正を提案していた( 昨年一二月)。これは、いかにも改憲が自己目的化していると受け止められても不思議ではない。自民党はどういう国にしようとしているのか(私たちはどういう国にしたいのか)を考えることが大切だ。


4 九条のプロジェクト

九条はどのような意味を持っているのか。九条の条文だけで平和がつくられてきたのではない。憲法前文や九条というテキストを核に、政府解釈・学理解釈・関連諸政策が周りを囲み、平和という価値への国民的コミットメントが全体を支える形で、一つのプロジェクトのように展開されてきた。内閣・内閣法制局、国会、裁判所、法律家共同体、国民といったファクターが動的につくり出してきた一つのパラダイム、それが九条に象徴
されている。だから、集団的自衛権は行使できない・敵基地攻撃能力を持てない・攻撃型空母は持てない・行政機関の一つとしての自衛隊、が重要だった。

ところが現実には、どういう国にするかが語られない中で、なし崩し的に事実が積み上げられている。今年度の防衛費は過去高 ( 約五兆二〇〇〇億円 ) 、「先に攻撃した方が圧倒的に有利になって いるのが現実だ」(まるで先制攻撃を認めるような、今年二月衆議院予算委員会での安倍首相発言) 、長距離巡航ミサイル購入費計上。ヘリコプター搭載型護衛艦にF35Bステルス戦闘機の運用を可能にするための改修構想。外国から見れば、日本は明らかに好戦国家に見えるだろうが、国民はそのように見ていないのではないか。

専守防衛はなくなってはいないが、軍備強化の流れは必要に応じいくらでも強くなるだろう。トランプからは、防衛費をGDP比4%迄上げろという要求が出てくるだろう。兵器の国際共同開発はかなり進展している。防衛省と企業に大学が結びついて産業構造が変わったら、もう後には戻れない。憲法九条が改正されなくても、パラダイム転換は起こりうる。そうすると、大事にする価値が変わってしまう。 だから特に今、 「軍事はやめましょう」( 「戦争に使うのはやめましょう」) という声を上げるべきではないか。


(文責・斎藤郁夫)



関西共同行動ニュース No78