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日朝国交回復のためには 何が必要か 太田昌国 

【現代企画室編集長】



二〇一八年前半の半年間のうちに、朝鮮半島情勢は劇的なまでに動いた。最大の鍵は、一七年五月、韓国に文在寅大統領が誕生したことだ。長年続いた李明博・朴槿恵両保守派大統領の直後だっただけに、この人権派大統領の発言は就任直後から際立った。歴代の国家社会が犯した過ちを率直に詫び(一九四八年「4・3」済州島弾圧や一九八〇年「5・ 18」光州蜂起鎮圧のように)、加害者側が「もう済んだ」と先に言うことを咎めた。それは、明らかに、日本政府が日韓間に横たわる歴史問題をめぐって、安倍首相が常套句として使う「これは非可逆的な解決方法だ」と強調することへの批判だ。

朝鮮の金正恩国務委員長は、以前から「新年辞」で南北対話を呼びかけていたが、今年二〇一八年になってようやく、それを受け止める相手が韓国に生まれた。朝鮮国代表団の平昌オリンピック参加を契機にして、事態は瞬く間に進展した。四月二七日の南北首脳板門店会談と六月一二日の米朝首脳シンガポール会談が実現したことは、昨年一一月にピークに達していた米朝間の軍事的な緊張関係を思い起こせば、まさしく夢のような話である。米朝首脳は、それぞれ、その内政・外交政策において、批判すべき重大な諸問題を抱えているとはいえ、会談すること自体は、無条件に歓迎すべきことである。

誰の目にも明らかなように、日本政府は、この朝鮮半島情勢の急展開に呆然としていた。朝鮮国との関係において「対話のための対話には意味がない」として「圧力」一辺倒の政策路線を「一致して」取っていたはずの米国トランプ政権が、突如、心変わりして対話路線に入ってしまったからである。周章狼狽した挙げ句のはてに、首相が「金正恩国務委員長と直接対話したい」と転じた経緯は、皆さんの記憶にもはっきりしていることだろう。

両国政府間の対話がいずれ始まるとして、しかも外交案件は、「腹の探り合い、駆け引き、脅し、妥協」などの過程を経るであろうから、どのように展開するかは予測もつかない。だが、眼目が国交正常化であることだけは明らかであるから、その点を軸に考えてみたい。

二〇〇二年九月一七日、当時の小泉首相が訪朝して日朝首脳会談は成った。 平壌宣言が発表され、国交正常化へと向かう道筋は作られた。第1項目で宣言は言う。「双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために二〇〇二年一〇月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。」

国交の正常化こそ、双方がまずもって実現すべき課題であることが、鮮明な合意となっている。だが、日本側はこの道を辿らなかった。朝鮮国による日本人拉致事件が明るみに出て、しかも被害認定者一三人のうち八名もの人がすでに死亡していると知らされたからである。社会全体がそのことだけで沸騰してしまった。被害者の家族の人びとが哀しみ、嘆き、怒るのは分かる。だが、はっきり言えば、家族会の人びとが発する怒りと悲しみの言葉に、メディアも政府もいわゆる世論も引きずられた。家族会の人びとは、この事態をうけて一五年前に「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」と主張し始め、 それは現在も続いている。家族会の主張に反する報道をするメディアは、当初から、家族会が仕切る記者会見や報道現場から排除された。拉致一色に染まった異常な報道状況の中で、大方のメディアは家族会に屈した。歪んだ報道に誘導されて「世論」は形成されてきた。

外交の任に当たる政府には、メディアとも世論とも区別される独特の責任がある。家族会、メディア、世論からいかなる批判があろうとも、平壌宣言の精神に基づく対朝鮮外交を推進する勇気を小泉首相が備えていたならば、事態は異なる展開を遂げただろう。後任の安倍晋三政権は、二〇〇六年の第一次政権発足時に「拉致問題三原則」を掲げた。

(1)拉致問題は日本の最重要課題である。

(2)拉致問題の解決なくして国交正常化はない。

(3)拉致被害者は全員生きている。全員を生還させることが拉致問題の解決だ。

「拉致問題の安倍」で自民党総裁、首相へと上り詰めた安倍氏が、家族会とメディアと世論の反発を喰らう政策(=国交正常化優先)を取るはずもなかった。 それはまた、 外部に朝鮮国という 「敵」をつくりだし、もって国を挙げて一致するという現在の状況をつくり出すうえでも有効だったのである。安倍政権に対する一定の支持基盤はここから生まれていると言えよう。

冒頭で触れた朝鮮半島情勢の新たな展開の下で、安倍政権が朝鮮国との対話姿勢を示している現在もなお、上記の「拉致問題三原則」は堅持している。(2)と(3)は、朝鮮国からすれば、平壌宣言の精神に反するものでしかない。日本国内の「受け」は良いかもしれないが、外交問題の解決に責任を有する政府が採用し得る路線では、本来は、ない。だが、この落とし穴を指摘する言論が、平壌会談以降のこの一六年間、決定的に少なかった。だから、日朝間の歴史的な関係を、少なくとも「明治維新」以後の関係史として振り返る視点も持たない貧相な政治家が、「拉致、拉致」と叫ぶだけで支持基盤が固まり、何事も解決しないまま、虚しい時間が過ぎたのである。

ここに映し出されているのは、政権の愚かさだけではない。被害者家族会、メディア、世論――要するに、社会全体の「愚かさ」を自画像として見ていると思うべきだろう。




関西共同行動ニュース No78