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【巻頭言】 米朝首脳会談後の憲法と安保 中北龍太郎


朝鮮戦争で戦争体制のプロセスが開始されました。しかしながら、4月の南北首脳会談―6月の米朝首脳会談で始まった朝鮮半島の平和・非核化のプロセスで、平和憲法と安保・自衛隊の矛盾を劇的に克服するチャンスが訪れました。


1 自衛隊の軌跡

戦争放棄・交戦権否認・戦力不保持を定めた 46年制定の憲法の原点解釈 ( 吉田首相 ) は、「自衛権の行使としての戦争も、交戦権も放棄」「軍隊はもたない、再軍備はしない」というものでした。世界の平和・民主化の流れの中で誕生した平和憲法は、もう戦争はこりごりだという国民世論に支持されていました。ところが、 50年6月に朝鮮戦争が勃発し、情勢は劇的に変化しました。米国の政策が日本を反共基地にし、再軍備を図る方向へ大転換していったのです。

米国の反共政策の基礎となった「トルーマン・ドクトリン」( 47年)は、 49年のソ連原爆実験、中国共産党の勝利によって対象地域を全世界に広げ、大規模な軍事力で即応体制をとる方向に舵を切りました。こうした動きの中で、平和・民主化政策は次第に反共政策へ逆コースをたどっていきました。そこに、朝鮮戦争が勃発したのです。朝鮮戦争が始まるや米国は直ちに参戦声明を発しました。こうして冷戦構造のアジアへの波及と新しい型の地域紛争 ( 米ソの代理戦争 ) の幕が切って落とされたのです。



日本から朝鮮に移動した占領軍の穴埋めをさせてソ連に備える必要から、 50年7月占領軍総司令官マッカーサーは日本政府に対し、陸上部門7万5千人からなる武装部隊・警察予備隊の創設を命じました。名称は警察でも実態は軍隊と変わりはなく、装備は米国が提供し、実質上の指揮権も米軍が握っていました。国民の支持の厚い9条を破棄して再軍備を命じることまでは、さすがに占領軍といえどもできず、警察の予備力という名目で偽装したのです。現在自衛隊として存在する再軍備の最初の1歩が、 こうして踏み出されたのです。米軍幕僚長コワルスキー大佐は「時代の大うそが始まろうとしている。一国の憲法が蹂躙されようとしている。」と書き記しています。

旧海軍は戦後海上保安庁となり日本海周辺にまかれた機雷掃海活動等を行っていましたが、米国は 50年 10月からその優秀な掃海隊を朝鮮戦争に活用し、北朝鮮の機雷掃海作業に従事させました。戦死者も出ました。朝鮮戦争における掃海隊の秘密活動は、自衛隊海外派兵の前例となりました。こうして新海軍は復活していきますが、あくまで米極東海軍の指揮下の組織としてでした。警察予備隊や掃海隊を見れば明らかなように、日本の軍隊は最初から対米従属をそのDNAとしていたのです。

51年9月旧安保条約はサンフランシスコ講和条約と同じ日に締結されました(発効は 52年4月 ) 。サ条約は片面講和であり、冷戦に加担することと引き換えに日本は「独立」したのです。つまり講和条約と安保条約はセットだったのです。旧安保が朝鮮戦争の最中に結ばれたのは、米国にとって日本を戦争体制に組み込みやすかったからです。旧安保を通じて日本は朝鮮戦争に直接コミットすることになりました。国連軍構成国 16か国のほか「朝鮮戦争の 17番目の参戦国は日本だ」 ( ブルース・カミングス著「朝鮮戦争」 ) との言葉は至言です。日本は基地機能を担い、特需で補給活動を行い、司令部も東京にあったのです。

占領は終わりましたが、真の独立と平和憲法はもどることはありませんでした。旧安保によって米軍は基地の自由使用を認められました。また、旧安保は米国議会が 48年6月軍事同盟に参加する条件として「自助と相互援助」原則を定めたバンデンバーグ決議にもとづくものでしたから、旧安保によって日本に軍備増強の義務が課せられました。そうすると、もう警察力の予備ではいられません。 52年 10月警察予備隊は保安隊に改組され、7万5千人から 11万人に増員されました。 54年7月保安隊は 18万人の自衛隊となり、また、陸海空3自衛隊体制となりました。政府は自衛隊を「自衛のための必要最小限度の実力」として合憲解釈を打ち出し、原点解釈から大転換しました。

この4年間の軌跡をみていくと、自衛隊が朝鮮戦争と占領政策の変更から生まれ、冷戦によって大きくなった米国による米戦略のための軍隊であり、米軍の補完戦力だという本質が明らかになっています。

そして、 60年の新安保によって日米共同防衛体制が義務づけられていくのです。


2 朝鮮半島の平和のプロセス

米朝首脳会談の共同声明は、米朝関係の正常化と朝鮮半島における平和体制の確立という2つの大目標に合意しました。米朝首脳会談から2か月が経過した現在、米韓合同軍事演習は中止され、7月初旬にはポンペオ米国務長官が訪朝して非核化合意の具体化に向けた協議を開始し、朝鮮戦争で戦死した米兵遺骨の返還も行われました。9月には今年3回目の南北首脳会談も行われます。

朝鮮半島の非核化は時間をかけ長期的に取り組むべき課題です。首脳間の約束を法的拘束力をもつ確固たる義務に転化するには、核兵器禁止条約が有効です。昨年ノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン ( ICAN ) がこうした提言をしています。北朝鮮と韓国が共に核禁条約に署名・批准すれば、朝鮮半島の非核化が実現します。核禁条約4条は、核兵器保有国は核兵器を即時に運用状態から外し、検証可能な核兵器を廃棄するための法的拘束力をもった計画の下で解体すると定めているからです。他方、韓国が条約に署名・批准すれば、核兵器の保有はもとより、米国の核を自国内に配備したり米国による核の使用を援助したりすることも禁止されます。南北双方による核禁条約への加入こそ「朝鮮半島の完全な非
核化」を保障する道筋です。ここに唯一の戦争被爆国である日本が加われば、北東アジア非核兵器地帯条約の土台となります。

今年4月の板門店宣言は、南北は朝鮮戦争の停戦協定( 53年7月) 65周年にあたる今年中に戦争の終結宣言、停戦協定の平和条約への転換、恒久平和体制の確立をめざすことに合意しました。非核化の条件づくりのためにも、この合意の実現が望まれます。

平和憲法と安保・自衛隊の矛盾の根本原因となった朝鮮戦争、その朝鮮半島で平和・非核化のプロセスが始まったのです。この流れに呼応して、この根本矛盾を克服していこう!

そのためにも、私たちも、朝鮮半島の平和・非核化の動きを後押ししよう!





関西共同行動ニュース No78