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憲法 13条に自衛権の 根拠を求める見解の危うさ
-自衛権と一体の日米安保によって踏みつぶされる沖縄県民の13条

【弁護士】 内田雅敏

【1】国家当然の法理とは

自衛権について憲法に明文規定はない。国は、「国家当然の法理」―個人に正当防衛の権利があるように、国家にも違法な侵害に対して防衛する権利がある―によって、自衛権が認められるとしてきた。

例えば、砂川事件最高裁大法廷判決は、「わが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然」と述べる。この見解の当否は今措くとして、仮に、「国家当然の法理」として、戦争の放棄、戦力の不保持を謳った憲法第9条下に於いて、どのような場合に、またどのような内容で自衛権を行使できるかと云うことが当然論じられなければならない。

国家当然の法理は、正当防衛の法理を前提としているものであるから、その発動の要件としては、わが国自体に対する攻撃がなされた場合に限る。また、その行使し得る自衛権も「正当防衛」の範囲内でなくてはならない。かくして、わが国が行使し得る自衛権は、①我が国に対する急迫不正の侵害があり、②これをはねのけるには実力行使以外他に適当な手段がない、③その場合でも攻撃をはねのけるための必要最小限度実力行使に限る、という三つの要件を満たした上での個別的自衛権であって、自国に対する攻撃を前提としない集団的自衛権の行使は憲法上許されないとされて来た。歴代政権が堅持してきた専守防衛の安全保障政策である。

【2】政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする決意

砂川事件大法廷判決は

「われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼することによって補い、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。」と述べ、専守防衛の個別的自衛権の根拠を憲法前文に求める。また同判決は、判決理由冒頭に於いて

「そもそも憲法第9条は、わが国が、敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が、過去におけるわが国の誤って犯すに至った軍国主義的行動を反省し、政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こすことがないようにすることを決意し、深く恒久の平和を願って制定したものであって、前文及び第 98条2項の国際協調の精神と相まってわが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である」

と述べる。これはアジアで2000万人以上、日本で310万人の死者をもたらした先の戦争の「敗北を抱きしめて」、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」 ( 憲法前文 ) 、戦後の再出発をしたことを述べたものである。憲法9条、戦争の放棄、戦力の不保持は、侵略戦争に対する深い反省から出発しているのであり、仮にわが国に憲法上、専守防衛の個別的自衛権の行使が認められるとしても、行使し得る場合、行使する内容については、常に前記憲法前文「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という縛りが掛けられていることに留意すべきである。


【3】13条に自衛権の根拠を求める見解の危うさ

昨今、この個別的自衛権行使の根拠を、憲法第13条幸福追求の権利に求める見解がみられるようになった。この見解は危うい

このような見解が何時頃から登場して来たか、定かではないが、国家の警察権の根拠を 13条に求める見解の延長上に出て来たものであるようだ。しかし、警察比例の原則によって規制され、相手の「制圧」を目的とする警察と相手の殲滅を目的とする軍隊は異なる。

憲法上集団的自衛権を行使しえないとした 72年政府見解も個別的自衛権の根拠の一つに憲法13条を掲げている。

13条の国民の幸福追求権は、それ自体としては誰も反対できない「使い勝手のよい条文」(元内閣法制局長官)だからこそ、これが乱用されると歯止めがなくなる。 13条がかつての「満蒙は日本の生命線」と同様な使い方がされるようになる。「人々は、大正末期、最も拡大された自由を享受する日々を過ごしていたが、その情勢は、わずか数年にして国家の意図するままに一変し、信教の自由はもちろん、思想の自由、言論、出版の自由もことごとく制限、禁圧されて、有名無実となったのみか、生命、身体の自由をも奪われたのである。『今日の滴る細流がたちまち荒れ狂う激流となる』との警句を身をもって体験したのは、最近のことである。情勢の急変には 10年を要しなかった」 ( 97年4月2日、愛媛県靖国神社玉串料訴訟最高裁大法廷判決における尾崎行信裁判官補足意見 ) 。

国家が、言論、思想の自由どころか、個人の生命、身体の自由さえも奪ってしまった戦争という惨めな時代を再来させないために、戦争の放棄、戦力の不保持を宣言した憲法9条を設け、国家に個人の尊重、幸福追求の権利を保障させるために13条の幸福追求の権利を憲法典に書き込んだというのが歴史的な経緯である。 「戦争で得たものは憲法だけだ」というのが、敗戦直前、米軍の本土上陸に「備え」、十五、六歳の子供に潜水服を着せ、竹竿の先に爆雷を吊るしたものを持たせて海底に潜ませ、米軍の上陸用舟艇を突かせる「伏龍」隊に駆り出された体験を有する作家の城山三郎氏の生前の述懐であった

集団的自衛権行使容認の閣議決定の際にも「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」と 13条の文言が使われた。そして安保法制、沖縄辺野古における米軍新基地建設の強行、自衛隊と一体となった日米安保によって沖縄県民の生命、自由、幸福追求の権利が奪われている。 13条が自衛権の根拠たりえないことは米軍基地の重圧に喘ぐ沖縄県民苦しみに思いを馳せれば容易にわかる。ヤマトの 13条が沖縄県民の 13条を破壊していることに気付くべきである。



●憲法第十三条(個人の尊厳・公共の福祉)

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利につ いては、公共の福祉に反しない限り、立法その他の 国政の上で、最大の尊重を必要とする。


■砂川事件をめぐる経緯

1957年9月 当時の米軍立川基地の拡 張計画に反対する学生ら7人が、基地内に立ち 入ったとして日米安保条約に基づく刑事特別法違反容疑で逮捕。その後、起訴される/59 年3月 東京地裁が7人に無罪判決。「米軍駐 留は憲法9条に違反する」と判断/12月 検察庁が跳躍上告し、最高裁大法廷が一審判決を 破棄。その後の地裁の差し戻し審で、7人は罰金2千円の逆転有罪に/2008年4月 最高裁判決前に、最高裁長官が駐日米大使と会談していた記録が米国立公文書館で見つかる。59年当時は日米安保条約改定を控え、両国政府 が反対世論を注視していた時期だった/14年3月 自民党の高村正彦副総裁が、集団的自衛権の行使容認の根拠として砂川事件の最高 裁判決に触れる/6月 元被告の土屋源太郎さんらが再審請求/16年3月 東京地裁が 再審請求の棄却決定



関西共同行動ニュース No77