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インテリの「合理的思考」を 機能停止に追い込む象徴君主 (ミカド)の「奇術」について

【 反天皇制運動連絡会】 天野恵一


極め付きの天皇主義右翼(国家主義者)の西尾幹二の以下の言葉に苦笑を誘われた。


「一方でリベラル派は、改憲阻止のために陛下を政治利用しているのではないか。陛下のお力に取りすがろうとする姿勢は、彼等の護憲の主張に反し、過去の反皇室の言説とも矛盾する。改憲の問題においても、陛下のご発言の影響は測りがたい。既に憲法上の限界を超えている恐れもある。これ以上、一方に寄り添うような姿勢をおとりにならないでいただきたい」 (『朝日新聞』 17年 12月 14日)

この文章を読みながら、私は現在の反安倍改憲の護憲法学者(立憲主義原則を掲げて論陣を張っている)樋口陽一の『東京新聞』 ( 17年 12月 3日)の無惨な発言※を想起せざるを得なかった。


「今の天皇、皇后両陛下に初めて会ったのは、日本学士会員となった翌年の 01年夏で、皇居・宮殿での昼食会に招かれた。 昭和天皇時代と異なり、両陛下と皇族方は各テーブルを移動して懇談。『被災地で膝をついて住民たちに語りかけられる姿に通じているように思う』と樋口さんは語る。」


「戦後の代表的な憲法学者・宮沢俊義(故人)は『天皇は「ロボット」的存在』と形容した。天皇の行為を内閣の統制下に置き、天皇の政治的行為を防ぐとの趣旨だが、樋口さんは『政府による天皇の政治利用を防ぐという意味で、今は逆にロボットにさせないことが必要だ』と考えている。/政治利用の例として、 13年に安倍内閣が開催した『主権回復の日』式典を挙げ、 『沖縄県知事が欠席するような集会に天皇、皇后両陛下を引っ張り出して、後に〈天皇陛下万歳三唱を唱和〉した』と憂える。/自身にとって平成とは何か。そう問うと、 樋口さんはこう返してきた。『明君を得て象徴天皇制を安定に向かわせた時代。本当は明君がいらないのが国民主権の原則だが、明君に頼っているのが現状です』 」

※「象徴天皇と平成」と題して東京新聞は⑤回に分けて連載した。これは、その①の記事から。


皇居で天皇夫妻に頭を撫でられたら、「臣陽一」はコロッとまいってしまった、という、よくある話が、この優秀な立憲主義憲法学者にも、残念ながらおきてしまったということなのであろう。樋口は、既に、こうしたアキヒト天皇讃歌を幾度か口にしており、 『いま、 憲法改正をどう考えるのか―「戦後日本」を「保守」することの意味』 (岩波書店・ 13年)でも、憲法上、まったく根拠のない天皇夫妻の被災地巡りに、論理的に共感を表明しているのだから。


それにしても、ここまで言うか。そう思ったのは、私一人ではないだろう。天皇制という国家そのものを「神聖」化する「装置」にすがって、それを政治的に活用しやすくしよう、などと主張することは、自身の今までの憲法学の論理に 「反し」 、過去の自分の主張とまったく「矛盾する」ものであることは、あまりに明白ではないか。




戦後の通説学者宮沢俊義は、確かに象徴天皇制は「意思決定を含まない形だけの行為」、「儀礼的・名目的」行為を行う、 「虚器」と論じた( 『憲法講話』岩波新書・ 67年) 。天皇が政治意思を持った主体として活動することのブレーキをかける方向で一章を解釈するのが、 「主権在民」 憲法としては当然と理解していたからである。宮沢が、この原則をどこまで徹底できたかはともかく、主権在民と対立する「世襲」の特権的存在である天皇を憲法の中に残してしまった以上、天皇が国家の象徴として動くことが、例え、明示された「国事行為」という儀礼的なものに限定されているとはいえ、まったく政治的でない、などということはあり得ないのだから。しかし、なんと樋口は、アキヒト天皇は「明君」だと樋口自身は主観的に思うから、政治意思を持った主体として動いてもらった方がよいと、平然と主張しているのだ。「明君」だろうが「暴君」だろうが、 「君主」が政治的に動きまわりだすことを許すべきではない。君主があれこれ動きまわりだせば「暴君」ではないのか。


樋口自身が、明仁天皇の護憲的発言をうけて、かつては「象徴君主」についてこう主張していたではないか。


「しかも、だからと言って、天皇の問題、一般化して言えば主権の問題、欧米立憲主義が市民革命のときに、血みどろになって取り組んだ問題がどうでもよくなっているわけでは決してない、ということの説明として、実は 19 20年代、 30年代だってそうだったのだ、ということを考える必要があるからです。日本社会では社会全体の動き方がおかしな方向にいくときに、あれよあれよという間に流されていくということを、われわれは痛切な経験として持っています。 『ノ―』という声が起こらない。しかも、私的暴力がそれに追い撃ちをかけてきます。これは長崎市長、本島さんのケースに何より端的に表れています」( 『もういちど憲法を読む』 (岩波書店)。


こうした天皇制の暴力的威力は、象徴君主が入れかわろうと、本質的に変化するわけがないものとして、樋口自身が論じていたのではなかったのか。


だいたい、樋口は、 「自分自身」が意思決定する〈people〉主権と日本国憲法の「国民主権」(nation)を読みかえるべしと論じ、より具体的には 「国民主権に適合的な君主の名目化」を徹底すべしと論じ続けてきたではないか。


かつての自分の主張とまったく敵対的な論理が、どうして、こうヘラヘラと自分の口で主張できるのだ。


天皇制は、 「あれよあれよという間」 に社会全体をとんでもない方向へ押し流していく力を今も持ち続けている(NO!の声には私的暴力、さらには公的暴力もという力も) 。


天皇自身の政治メッセージから始まった「生前退位」 (平成代替り)という政治状況、今現出している反対の声を封じ、明仁天皇賛美の声のみがマスコミを大きく支配し続けている事態が、まさにそれである。


樋口は、この流れに抗しているのではなくて、この流れを加速しているだけであることに、どうして気がつかないのか(市民革命の血みどろの教訓はどこへ行ってしまったのか、君主制を支持する共和主義)者〈リベラリスト〉ってなんだ!) 。


かつて、 54年の座談会「現代とは何か」で、丸山真男はこう語っていた。


「インテリの合理的思考だって日本の国家権力の中核をなす天皇制に面するとハタと機能を停止しちゃうんです。バートランド・ラッセルなども近代日本人が産業技術の上で合理主義を徹底的に推し進めながら、それをミカドの権威の強化と結びつけた『奇術』に驚いています。ですから明治以後近代化したとか、しないとかいっても、どういう意味で変ったのかということを問題にしないと論議にならないと思うのです」。


もちろん。この時丸山が頭に描いているのは主に戦中の天皇制ファシズムの時代である(また丸山本人が象徴君主を前に「ハタと思考」をストップさせなかったか、という問題はともかく) 。


私は、これを樋口のごとき高級な「合理的思考」ですら、「ハタと機能を停止」させ、 「ミカド(象徴天皇)の権威強化」のイデオローグに転じさせてしまう、天皇制の「奇術」を批判した言葉として、今、読むべきであると、考えている。


関西共同行動ニュース No76