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【巻頭言】 核の傘と核禁止条約 中北龍太郎

昨年7月7日国連で核兵器禁止条約( 核禁条約 ) が122カ国の賛同を得て採択されました。核禁条約と「核の傘」政策との矛盾、条約に対する日本政府の対応、条約誕生の背景、その意義そして核なき世界への展望について、問題提起します。


■核の傘 

日本は、日米安保体制の下、米国の核戦略に深く組み込まれています。日本に対する武力攻撃を米国の核軍備で防衛するという名目で、日本の安全保障政策の根幹にいわゆる「核の傘」がおかれてきたのです。日本政府が核抑止力論をとっていることは、「核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は不可欠」との「防衛計画の大綱」によっても疑いありません。それどころか、北朝鮮の核・ミサイル問題を背景にますます「核の傘」への依存を深めています。昨年2月のトランプ・安倍共同声明には「核及び通常戦力の双方によるあらゆる種類の米国の軍事力を使った日本の防衛」と盛り込まれました。「核」が挿入されたのは安倍政権の強い要望だったのです。

米国を「盟主」とする軍事同盟の防衛政策は、50 年代前半の冷戦初期の段階以来「使用の威嚇」を前提とした核抑止論に立脚してきました。米国の同盟国は、米軍の巨大な核戦力と、いざ有事となればこれを実際に使う米大統領の意思に裏付けられた拡大核抑止、 「核の傘」に依存してきたのです。

日米安保体制は、米国の世界軍事戦略における前方展開の拠点として、日本の米軍基地を自由に使うことを柱としており、 核戦略もその一環です。72 年まで米軍統治下におかれていた沖縄では、1300発を優に超える核弾頭が配備されていました。また、沖縄返還の際に、返還後も沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという密約が結ばれていました。

核兵器は本質的に攻撃的な兵器であり、「核の傘」をさしかけるとは、常に核攻撃の準備をしていることを意味しています。相手ののど元に「核のやり」をつきつけて脅していることなのです。


■「使用の威嚇」の禁止

核禁条約第1条は、核兵器のない世界を実現するために、核兵器の開発や実験、製造、生産、獲得、保存、貯蔵、移譲受け入れ、使用、そして使用の威嚇も、禁止行為の対象にしています。禁止行為を援助・奨励・勧誘したりされたりすることも禁止されました。また、自国の領域内などで、他国による核兵器の配備に許可を与えることも禁止されました。このように、核兵器に関わるあらゆる活動を禁止しています。

「使用の威嚇」の禁止は、核抑止論を土台とする日米核同盟に鋭く対抗する原理になっており、「核の傘」に依拠しながら続いてきた米国の同盟政策を突き崩す意味があります。まさに、この「使用の威嚇」の禁止こそ、真っ向から核抑止力論を否定するものです。こうした核使用の準備・協力をやめない限り、日本は条約に加入できません。


条約は核兵器による「使用の威嚇」やその「援助、奨励、勧誘」することをいかなる意味でも認めていないからです。しかし、日本がこれらの政策を改め、「いかなる場合でも米国の核兵器使用に協力しない」と宣言すれば、条約に加入することができます。このように、核禁条約と「核の傘」とは決定的な矛盾関係にあります。


核禁条約が成立した今こそ、日本が「核の傘」からの脱却を図るべきときです。




■日本政府の対応

作年3月の国連本部で条約交渉会議がスタートした日に、米英仏とその同盟国など約 20 ヶ国が集まり、核兵器の法的禁止措置にあからさまな拒絶の意思を示し、交渉会議への出席を組織的に拒否しました。こうした中、「唯一の被爆国」である日本政府は、「この条約構想について核保有国の理解や関与が得られないことは明らかだ。また核兵器国の協力を通じ、核兵器の廃絶に結びつく措置を追求するという交渉のあり方が担保されていない。」との見解を発表して、交渉開始直前の土壇場で不参加を表明するという異例の対応に出ました。この異例の対応には、安倍政権が、北朝鮮の核開発などを理由に、米国の「核の傘」をひときわ重視しているということがあります。


「核の傘」に依存しているがゆえに、米ソ冷戦期には、国連総会で核兵器使用禁止決議がたびたび提案されてきましたが、日本が賛同したのは最初の 61 年だけで、あとは棄権し続けてきました。


2016年に現職大統領として広島を初めて訪れたオバマが真剣に採用を検討した核兵器の「先制不使用」政策にも、日本政府は一貫して反対しています。


昨年日本政府が主導して 24 年連続で国連総会に提出した核兵器廃絶決議案への賛成票は144カ国で、賛成国は1昨年の167カ国から 23 ヶ国減りました。その理由は、核禁条約に言及せず、核軍縮の促進や核兵器の非人道性を訴える表現を大幅に弱めたことが原因になっています。


核禁条約に賛同しない日本政府の姿勢には、根底に根深い「核の傘」依存政策があります。核廃絶を唱える唯一の被爆国の大いなる矛盾です。安倍政権を退陣させ、核禁条約に署名・批准する日本政府を創りましょう。




■核禁条約を成立させたもの

13 歳のときに広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんは、 昨年3月国連本部で、 「広島を思い出すとき、 認識不能なまでに黒ずみ、 膨らみ、溶けた肉体の塊となり、死が苦しみから解放してくれるまでの間、消え入る声で水を求めていた4歳だったおいの姿が、脳裏に最初によみがえります」と語っています。

条約の成立には、生身の人間を黒焦げに焼き尽くし、命の営みを瞬時に破壊し、長期にわたって放射能被害が人々を苦しめる、そんな核兵器の非人道性の認識が重要な役割を果たしました。核兵器を国家安全保障の観点ではなく、それが使用されたときの非人道性に着目し、核兵器は人類と地球に対する絶対悪だという認識が条約成立の原動力になったのです。

広島、長崎で20万人以上が殺され、放射能の後遺症に苦しめられてきました。世界中で2千回を超す核実験が繰り返され、先住民など多くの人びとを被曝させてきました。マーシャル諸島ビキニ環礁での水爆実験で日本のマグロ漁船「第五福竜丸」等が被曝し、約3200万筆の署名を集めました。条約の前文で、核兵器使用の犠牲者であるヒバクシャや核実験被害者の「受け入れがたい苦痛と被害」に触れています。これは、条約の採択に被爆者のさまざまな主体的取組と彼らと深く連帯して活動を進めた、ノーベル賞受賞のICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が大きな力を発揮したからにほかなりません。

第2次世界大戦後、国際人道法の観点から、 72年の生物兵器禁止条約、 92 年の化学兵器禁止条約、97 年の対人地雷禁止条約、 08 年のクラスター弾禁止条約といった大量破壊兵器や非人道的兵器は禁止され、廃絶の過程を辿ってきました。 ところが、これらの兵器よりも明らかに甚大な被害をもたらす核兵器は、戦後 72 年間も違法とされてきませんでした。核禁条約の意義は、最も非人道的で残虐な兵器であることが明らかでありながら、国際法上明文で違法とされていなかった状態に終止符を打ったことにあります。


■核なき世界へ

世界には今なお1万5千発以上の核兵器が存在し、そのうちの9割以上が米国とロシアのものです。そればかりか、米ロは、核抑止力維持のために核軍備の近代化を推し進めています。 70 年に発効した核拡散防止条約(NPT)は、「保有国が核軍縮を進めるから、非保有国は核兵器を取得しない」という「取引」でしたが、発効して 47 年、望ましい結果をもたらしませんでした。保有国が核軍縮の努力を怠ってきたからです。また、NPTは核保有国を米ロ英仏中の5カ国に限定しましたが、核拡散は進み、インド、パキスタン、イスラエルが核保有国になり、北朝鮮も核・ミサイル開発を進めています。

そんな逆風の下、核禁条約が採択され、核兵器のない世界の実現に向けた歴史的な一歩を踏み出しました。条約は、 50 ヶ国が批准してから 90 日後に発効することになっています。発効すれば、核兵器に絶対悪の烙印を押す条約は、核兵器は絶対悪という認識を市民に広げていくことになります。そんな世論の広がりの中で、核保有国とその同盟国は次第により少数派となっていくに違いありません。また、核戦争には勝者も敗者もなく、地球環境が破壊され、全世界の人びとが生存と安全が脅かされます。条約は、これらを防ぐ現実的な安全保障策です。

NPT体制が機能不全となる中、非核保有国が主役となり主体的に核兵器の廃絶を実現しよう、というそんな危機感が新たなムーブメントになりました。条約の採択は最終ゴールではなく、核兵器の完全廃絶に向けた新たな出発点です。日本政府に核禁条約への署名・批准を迫っていきましょう!

確かに、核・ミサイル開発を急ピッチで進める北朝鮮は深刻な脅威です。一方の北朝鮮は、アメリカの核こそ脅威だと反論しています。双方が核に依存し続ける限り、核が使われるリスクは消えず、核のない世界も近づきません。核廃絶が唯一の私たちの選択肢です。




関西共同行動ニュース No76