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空母艦載機第1陣 とうとう岩国基地へ移駐開始! 明春までには1万人の巨大基地に・・
これからが、岩国基地反対 闘争の本当の闘いのはじまりだ  【岩国市議会議員】 田村順玄



8月9日、長崎原爆慰霊の日の正午過ぎ、岩国基地の滑走路に4機の「E2D早期警戒機」が着陸した。追っ掛け厚木基地を離陸したもう1機が13 時 49 分滑走路に降り立ち、この日5機の「E2D早期警戒機」部隊が岩国基地移転を完了した。


岩国基地には米海軍の第5空母航空団に所属する「空母ロナルド・レーガン」に乗る航空機 61 機が2017年中に移転することが決まっている。今から 12 年前、日米政府が確認した米軍再編計画でその方針が決定された。岩国市民は2008年3月、住民投票で 87 %の市民が「艦載機移転反対」の意思を示しその後も厳しい反対運動を続けてきた。しかしその決定は覆らず、いよいよ具体的に岩国基地へ米軍機の移転が開始された。


第一陣となった「E2D」5機が岩国基地に移転した日は、長崎原爆忌。米軍は当初、移転開始日を8月6日と定め、岩国市に通告していた。事実「空母ロナルド・レーガン」は8月9日に横須賀港に帰港したが、その艦載機は全て5~6日に厚木基地に帰投しており、彼らにとっては空母運用が第一で広島や長崎の慰霊の日など眼中に無い。たまたま台風来週で6日の飛来は持ち越し、9日に岩国基地への移転を開始した。


8月 18 日、在日米海軍司令部の報道発表によれば、空母ロナルド・レーガンに乗る主力機「FA18 スーパーホーネット」などは先に移駐した「E2D早期警戒機」以外の 56 機が今秋から順次移転を開始し、明春5月には 61 機全ての移転が完了する。艦載機が岩国基地へ移転するのに伴い、厚木からは岩国へ米兵やその家族3800人が移り住むことが決まっている。秋には100台規模のトラックで引っ越し大作戦が予定されており、これまで岩国基地に駐留する海兵隊部隊と併せれば1万人の米軍関係者が岩国に居住することになる。


防衛省はこうして岩国基地に移転する海軍部隊の為に、140%も広くなった基地敷地にあらゆる施設の新設工事を続けた。それはここ 10 年間で7千億円という膨大な思いやり予算の投入となり、岩国基地では空前の工事ラッシュが続き基地バブルが出現した。


岩国市民に散々期待させ、協力もさせた「愛宕山地域開発事業」という住宅開発は突然開発地が全て米軍の住宅用地に変更され、1戸8千万円の高級住宅が262戸建設された。

その周辺には米兵用の福利施設として8千人収容のデラックスな野球場や陸上競技場・体育館も建設された。防衛省はこれらのスポーツ施設を市民へ貸し付けると約束し、この措置で喜ぶ市民を取り込む新たな宣撫工作で基地支配を有利に進めている。

岩国基地には現状でも海兵隊と海上自衛隊の航空機約 60 機が所在するが、移転してくる海軍の航空機を加えその総数は120~130機となり、それは沖縄・嘉手納基地に匹敵するアジアでは最大級の基地となる。機数が増えれば当然、航空機の事故も多くなるだろう。

昨年から岩国基地に関連する航空機の事故が頻発している。最近起こった事故を見渡しても枚挙にいとまはなく、昨年 12 月は四国沖でホーネットが墜落、二度のオスプレイ墜落やハリアー、空中給油機墜落事故など、これらがみな岩国基地を使用している航空機事故だ。最近では南極観測隊の物資輸送を受け持つ自衛隊のヘリコプターが横転事故するなど、同様に横須賀基地の米軍イージス艦が相次ぐ衝突事故を起こしていることなどと重ね合わせると、こうした事故が市民への被害に結びつかないよう祈るばかりだ。

こうした事故に対し岩国市などは米軍や防衛省から伝えられる報告を全て鵜呑みにし、詳しくその原因を追求しようとはしない。


7月 11 日、県や岩国市が防衛大臣・外務大臣・内閣官房長官を訪ね、公式に艦載機の岩国移転容認決定を国へ伝えたが、それは新たな岩国市民が背負うことになる試練の始まりだった。7月 10 日夜、岩国市民は激しい爆音で深夜まで悩まされた。夕方5時過ぎから午後 10 時過ぎまで、市街地上空にジェット戦闘機の爆音が5時間以上続いた。市民から苦情の電話が殺到し、 抗議の声が相次いだ。同夜は飛行の実態がよく判らなかったが、後日爆音の犯人は海兵隊の「F35Bステルス戦闘機」だったことが判った。筆者も参加する基地監視団体「リムピース」はこの訓練を、市街地上空で映像を撮りながらゲリラの掃討をする異常な訓練だったのではないかと想像する。この日市民から届いた抗議は155件が記録され、その数字はここ20 年来最大の数字だった。これだけ異常な訓練を堂々と見せつけられたと言うことは、今後も市民は泣き寝入り・我慢するしかないという事を暗示させられた様なものだ。米軍は「もう移転を容認してもらったから、後はこっちのものだ」と言わんばかりの現実を突きつけてきたヒトコマだった。恐らくこんな筈では無かったという現実が、艦載機部隊の岩国基地移転完了後には度々起こるかもしれない。


岩国市民は 11 年前、住民投票に大勝利したが、それからが新たな始まりだった。 11 年間、厳しい米軍再編反対の取り組みを継続させてきたが、これからがまさに新たな闘いの始まりである。

恐らく、この間黙っていたら今の比では無く、もっと酷い状況となっていたであろう。ここまで頑張ってきた踏ん張りが、これからもきっと大きな歯止めとなって基地拡大の企みを足踏みさせる事が出来たのだと信じて、これからも岩国の地でがんばろうと決意している。そして、沖縄へも岩国へも新たな基地負担は要らないと、これからも奮闘し続けていく。


さあ、長い闘いの始まりだ。







関西共同行動ニュース No75