集会・行動案内 TOP
 
【巻頭言】 森友学園の本質 中北龍太郎

私の住んでいる豊中市で起きた森友学園問題で、私は豊中市議木村真さんらの代理人として3月22日大阪地検に告発しました。その後4月5日、大阪地検は告発を受理しました。国会や会計検査院での調査・追及とともに、捜査機関による実態の解明と背任行為に対する訴追が求められています。告発の受理はその1歩となりました。森友学園事件とは、「瑞穂の国記念小学院」設立に必要な敷地を確保させるために、国有地がタダ同然の低価格で森友学園に払い下げられた事件です。今号では、この森友学園問題の本質に迫ります。

■森友学園問題とは

森友学園問題の政治的背景を究明するためには、まず、森友学園で行われていた教育の実態を見ていく必要があります。森友学園が経営する幼稚園(塚本幼稚園)で、子どもたちに教育勅語を一斉に斉唱させているシーンのビデオがテレビ放映され、大きなショックが広がりました。教育勅語の肝は「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というフレーズにあります。「万一危急の大事が起こったならば、大義にもとづいて勇気をふるい一身を捧げ皇室国家のためにつくせ」(1930年文部省訳)というのが、教育勅語の核心です。教育勅語の一斉斉唱は、子どもたちに教育勅語の価値観に疑いを持たせずに刷り込み身に着けさせることになります。塚本幼稚園では、こんなおぞましい戦前回帰の教育が実践されていたのです。
森友学園は、こうした教育勅語教育を小学校でも実践するために、「瑞穂の国記念小学院」を設立しようとしていました。安倍昭恵は、塚本幼稚園での講演で、「園児達は大変お行儀が良く元気です。毎朝君が代を歌い、教育勅語などを暗唱」とほめたたえています。小学院の名誉校長に就任した2015年9月の講演では、「普通の公立校に入れると、ここ(塚本幼稚園のこと)で得たものが揺らぐ」と、小学院の設立に期待を寄せています。安倍晋三も「妻から、森友学園の先生の教育に対する熱意はすばらしいという話を聞いている」(2月17日衆院予算委員会)と持ち上げていました。安倍夫婦の森友学園の教育に対する高い評価が、森友学園事件の政治的背景になっています。



■日本会議と安倍政権

安倍政権の下で、戦前回帰政策の強行や、その実現のために深まっている日本会議とのつながりが、森友学園事件の決定的な政治的要因になっています。
籠池前理事長は、日本会議大阪代表を務めていました。日本会議所属の論客達は、教育基本法の廃棄、教育勅語の復活を熱心に説いています。また、安倍政権の閣僚の多くが日本会議国会議員懇談会に加盟していますが、彼らは教育勅語を肯定する発言をくり返しています。例えば、稲田防衛相は「勅語の精神は取り戻すべきだと今も考えている」「現代でも通用するような価値観はある」、松野文科相は、教育勅語の学校での活用について、「適切な配慮の下であれば問題ない」と容認し、菅官房長官も同様に「現場の判断だ」と述べ、教育勅語の教材化に道を開く発言をしてきました。こうした発言の延長線で、塚本幼稚園の教育勅語斉唱が問題となっているさなかの3月末、安倍内閣は「憲法や教育基本法に反しない形で勅語を教材として用いることまでは否定されない」と閣議決定しました。この閣議決定からも、安倍首相に、教育勅語教育を先駆けて実践してきた森友学園をバックアップする熱い思いがあったことがよく分かります。
安倍政権の下で戦前回帰の政策=「戦後レジームからの脱却」が次々と展開されてきましたが、教育勅語教育の復活もこの政策をさらに推し進めるものです。「戦後レジームからの脱却」のための最大の目標が明文改憲です。この目標実現のために、安倍首相は、日本会議系列の改憲団体に「ともに改憲を進めていこう」という熱いエールを送るなど、草の根で改憲運動を進めている日本会議とのつながりを深めています。安倍政権による教育勅語教育や改憲の動きが強まり、政権と日本会議との癒着が深まる中、極右支配の空気がどんどん拡散しています。
 この空気は、籠池前理事長の言葉でいえば、「神風」ということになります。国会喚問で籠池は、近畿財務局から極めて低額の売却価格を知らされたとき、「神風が吹いた」と思ったと証言しました。籠池の「神風」発言はこれが初めてではなく、第2次安倍政権が発足直後、「日本の暗雲が神風によって吹き飛ばされた」と森友学園のホームページに書いています。この「神風」は2度とも、安倍政権から吹いています。「神風」という言葉は、色々な意味に使われていますが、この場合は、神風特攻隊という使われ方、つまり皇国・天皇制国家の侵略思想に限りなく近いといえるでしょう。
安倍政権の教育勅語教育に対する熱い支援や極右支配の空気を、官僚が今流行の「忖度」をして、違法な低価格での払い下げ=背任行為が実行されたのです。安倍政治の下で起きるべくして起きた構造腐敗、それが森友学園問題の本質です。
 
■教育勅語とは何だったのか

森友学園問題の政治的背景の核にある教育勅語とは何だったのでしょうか。
 教育勅語は1890(明治23)年、明治天皇が君主に奉仕する臣民の教えとして発布されたもので、戦前・戦中の教育の根本理念とされていました。天皇を中心とした国家観に貫かれ、天皇が臣民に説諭する「語りの構造」になっています。「父母ニ孝ニ、夫婦相和シ」など臣民が守るべき12の徳目が示されていますが、それらはすべて「義勇公ニ奉シ」を含む1節に集約されています。
 発布後、文部省がつくった謄本が全国の学校に配布され、紀元節など儀式のときに校長によって荘重に読み上げられ、天皇・皇后の写真とともに神格化されていきました。今の道徳にあたる修身教科書の柱としても取り入られました。発布の翌年には、第1高等中学校の講師であった内村鑑三が、同校での勅語奉読式で勅語への拝礼を拒否したために、学校を追放されるという事件も起きています。15年戦争時には極端に神聖化され、治安維持法体制下の1930年代に入ると、教育勅語は国民教育の思想的基盤として正当化されていきました。また、生徒に対しては教育勅語の全文を暗誦することが強く求められました。
 教育勅語の根本は、皇国史観にもとづく天皇に対する終始変わらぬ絶対的忠誠の関係、つまり「国体」にこそ教育の根源があると規定したことにあります。また、教育勅語に示されている徳目のすべてが「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に構造づけられています。徳目のすべてが天皇制の発展に寄与してはじめて意味を持つというからくりになっていたのです。このように、日本における道徳はすべて天皇制を支えるために臣民に課すというところに教育勅語の核があり、そのため、その一部を切り出し、全体を評価することはできない構造になっているのです。
 生徒達は、教育勅語で天皇のために命をささげよと教化され、兵士となって戦場では降伏せずに玉砕するよう洗脳されたのです。教育勅語が果たした核心的役割は、ここにあります。

■教育勅語の失効と復活
 
 日本帝国憲法下でつくられた教育勅語体制は、政府の意図する教育の体系であり、戦前の教育の絶対的ベースでした。1948年に、衆議院では排除が、参議院で失効確認が決議されました。排除決議では、「これらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明かに基本的人権を損ない、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。」とうたわれています。失効確認決議では「われらは、さきに日本国憲法の人類普遍の原理に則り、教育基本法を制定して、わが国家及びわが民族を中心とする教育の誤りを徹底的に払拭し、真理と平和を希求する人間を育成する民主主義的教育理念をおごそかに宣明した。その結果として、教育勅語は、既に廃止せられその効力を失っている。」と決議されました。
 このように、国民を戦争に駆り立てた教育勅語は、本質的に日本国憲法の国民主権、人権尊重の原理と真逆の内容であり、「憲法や教育基本法に反しない形」など、全くあり得ない存在なのです。また、教育勅語の根本は絶対主義天皇制を支え発展させることにあり、臣民に課せられたすべての徳育は国のために命をささげることに収斂される構造になっています。教育勅語の中に「現代でも通用するような価値観」など、ある訳がないのです。閣議決定や稲田の言説は、教育勅語復活の本音を隠すための詭弁であり、両院の決議を骨抜きにするものであって、絶対に許されません。





森友学園問題の真相の一端が明らかになる中で、瑞穂の国記念小学院の設立計画はつぶれ、安倍政権に動揺が走っています。森友学園問題の徹底的な真相の追求と本質の究明で、戦前回帰の安倍政治と対決しよう。



関西共同行動ニュース No74