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オスプレイ事故に見る日本の卑劣

【「新聞うずみ火」代表】 矢野 宏


年明け早々、アメリカからとんでもない「お年玉」が届いた。在日米軍が1月6日、沖縄県名護市沿岸で大破事故を起こした米軍輸送機オスプレイの空中給油訓練を再開したと、日本政府に伝えてきたのだ。事故原因が完全に究明されないまま、墜落からわずか1カ月足らずでの空中給油訓練の再開となった。

米軍は事故原因について、「搭乗員間の意思疎通などの人的要因や乱気流などの環境要因、夜間空中給油の難しさが重なった可能性がある」と説明し、「機体には問題がない」と主張。日本政府は米軍側の説明をそのまま受け入れ、再発防止策を「有効だ」と容認した。

日米同盟の前には沖縄県民を犠牲にしてもいいと言わんばかりの安倍政権の対米追随姿勢に対し、沖縄県の翁長雄志知事も「米軍の要求を最優先する政府の姿勢に強い憤りを感じている」と批判している。

事故が発生したのは昨年12月13日夜。米軍の説明によると、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属のオスプレイのプロペラが空中給油訓練中に給油機のホースと接触して破損、沿岸の浅瀬に不時着したという。さらにこの日、もう1機が普天間飛行場に胴体着陸しているが、詳細は依然として不明なままだ。



この事故を受け、県内の市町村議会41議会のうち、昨年末までに抗議や意見書を可決したのは31議会。県議会も12月22日に、オスプレイの全機撤去を求める意見書と決議を可決した。宜野座湾村議会は、県内へのオスプレイ配備は「強行配備」だったと明記し、「地域住民の生命、財産を常に危険にさらし、受忍限度をはるかに超えている」と日米の対応を批判し、オスプレイの即時撤去を要請した。

日本政府は事故直後、在日米軍にオスプレイの飛行停止を要請。米軍は受け入れたものの、事故からわずか6日後の12月19日、空中給油を除く運用を再開した。この時も、「機体に問題はない」という米軍側の言い分に、日本政府は反論もしなかった。しかも、当初は「伊江島に駐機していた1機を普天間飛行場へ戻すため」という説明だったが、その日のうちにすべてのオスプレイが飛び始めた。が、日本政府はまたしても何ら批判することもなく受け入れた。

オスプレイは開発段階で事故が多発したことから「未亡人製造機」などと呼ばれるほど、構造上の欠陥が指摘されてきた。沖縄では5年前の普天間飛行場配備の際に猛反発が起きた。県内すべての市町村議会が反対決議を可決。超党派の県民大会を開き、配備撤回の建白書を携えて東京へ乗り込んだ。「起こるべくして起きた事故だ」「恐れていたことが起きた」などの怒りの声が上がるのは当然のこと。

大破したオスプレイは、着陸用のヘリモードではなく、回転翼を前に傾けた固定翼モードのまま海岸に突っ込んだという報道もある。だとしたら、そもそも機体を制御できたのかどうかも怪しい。だが、日本側は日米地位協定によって事故原因の捜査どころか、規制線に阻まれて事故現場に立ち入ることも許されなかった。

さらに、沖縄県民の怒りを増幅させたのは責任ある立場の人々の言動の数々である。

「県民や住宅に被害を与えなかったのは感謝されるべき」という在沖米軍トップのニコルソン四軍調整官。取材カメラの前で「県庁に説明し・ま・し・た!」と逆ギレしてみせた中島浩一郎・沖縄防衛局長。若松謙維(かねしげ)防衛副大臣は現地を視察し、県幹部に「不幸中の幸いですな」とのたまい、「(オスプレイは危険だから)普天間の辺野古への移設を進めねばならない」と胸を張った。

こうした言動の背景にあるのは沖縄蔑視であろう。

東村の高江ヘリパッド工事現場で、大阪府警の機動隊員によって沖縄の人々に浴びせられた「土人」発言。大阪府の松井一郎知事も問題の機動隊員をかばい、「発言は不適切だが、個人を特定して鬼畜生のようにたたくのはやり過ぎだ」と述べたばかりか、反対派に対して「相手もむちゃくちゃいっている」などと語った。さらに、鶴保庸介・沖縄北方担当相も「差別発言と断定できない」と発言した。




一連の蔑視発言に対し、沖縄県金武(きん)町で畜産業を営み、県養豚振興協議会の副会長を務めた端慶山良實さん( 63)から1枚のファックスが「新聞うずみ火」事務所に届いた。

〈現行憲法の下で、民主主義や基本的人権の尊重などの教育を受けて育ってきたはずの戦後世代の口から、まさかあのような言葉が今頃になって出るとは、本当にびっくりです。差別される側の沖縄県人の私たちの方から思いを述べることも必要かとは思いますが、今まさに、真剣にこの問題を深く考えるべきは、マジョリティーである日本本土の方々ではないでしょうか〉

瑞慶山さんは金武町の隣町の石川市(現・うるま市)生まれ。1959年6月30日、宮森小学校に米軍機が墜落して児童11人を含む17人が犠牲になる痛ましい事故が起きた。瑞慶山さんは当時、宮森小学校から2キロ離れた伊波小学校の1年生だった。

「宮森小学校と同じように、ミルク給食の時間でした。私の小学校は高台にあるので、宮森小から黒い煙が上っているのを見ました。忘れられない光景です。私の小学校に墜落していた可能性もあるのですから」

瑞慶山さんは、こんな疑問を私たちに投げかけた。

「いまの日本の中で、マイノリティーである私たちをはじめ、アイヌ人や在日朝鮮人の方々への優越意識は本当に払拭されているのでしょうか」



関西共同行動ニュース No73