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「あきらめない」運動の持続の中で 世代(運動体験)の断絶をつなぐ政治討論を!
【反安保実行委員会】 天野恵一



 私には、「反戦バッジ」や「反原発バッジ」をつけて歩く習慣がなかった。ところが、私は今、「総がかり行動」のホームページから打ち出した「平和をあきらめない 毎月19日は国会前へ」と刷り込まれたブックカバーをした新書を持ち歩いている。それは「文庫本のカバーとしてお使い下さい。電車の中で広げて一人車内デモができます。どんどん宣伝して、一人でも多く集会に来てもらいましょう!」と呼びかけられたものである。読了したら、カバーは次の新書へと使い続けるつもりである。

 あれだけ公然化した多数の反対の意思を平然と無視して、一括して強行採決されてしまった《戦争・安保法案》。今度こそは、それでも「あきらめず」に廃止へ向けての運動を持続しようという、ささやかな決意表明である。病身の私も、連日連夜の国会前抗議行動へ通った。そこには、やっと、層としての若者・学生が力強く登場していた。夜空に向けて繰り返されている「民主主義ってなんだ!」「これだ!」の大コールがその事態を象徴していた。もちろん、そこで連呼されている「平和」も「民主主義」も、何とも古くさいスローガンであり、すっかり保守化してしまっている《護憲》運動の手あかにまみれたものに過ぎないことは確かである。そして

、国会前で宣伝カーの上から演説していたリーダーや「文化人」なる人々が、こぞって「六〇年安保闘争」以来の高揚、それの再来というべき国民運動、という位置づけで興奮していた事実を忘れるわけにはいくまい(何度も高揚の山場をつくってきた反戦運動・反安保運動の長い長い歴史が、まったく踏まえられていないのだ)。

 そして議会制民主主義をふみにじる安倍独裁に対置して、民主主義が語られるだけ(それは、かの「民主か独裁か」のパターンの繰り返しに過ぎない)。

 しかし、である。それでも私は、国会前だけでなく、全国各地で、安倍政権の強権政治に抗議するための行動に積極的に参加した多くの人々の大量登場という事態が持つ、決定的な新しさと、「力づよさ」に注目し続けるべきだと思った。

 そこには、暴政に自分の身体を張って《抵抗》しようという、一人一人の意思と怒りが渦巻いていたからである。議会での決定に抗い、権力の強制に対する抵抗と非協力を相互に呼び掛ける、怒りと意思の直接行動こそが《民主主義》の源泉だからだ。

 そこでは、干からびた「民主主義」と「平和」のスローガンを、生き生きと蘇らせるエネルギーが満ちていた。

 さて、私の「毎月19日は国会前へ」のブックカバーは女性バージョンの方である。つれあいが使っていたものを、頂いたからだ。私も彼女も忙しく動いていて、テレビの首相のあほヅラに共に罵声を浴びせることはあっても、内容のある会話は殆どない。





 「あきらめない」ための運動の持続は、今、多様な動きをつくり出している。おそらく、そこで決定的に大切なのは、小さな政治討論の場所を、多様にうまくつくりだしていくことである。バラバラの運動課題間、そして性差や世代(運動体験)の断絶をつなぎ、《平和・民主主義》の運動を、よりラジカル(根底的)なものにするためには、ネット情報でワーッと集まり、心からの絶叫はあってもキチンとした討論はつくれず解散して行くという運動のリズムを変えていく努力こそが必要なのだから。



関西共同行動ニュース No70