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卑弥呼とジュゴンと辺野古問題 【ミュージシャン】海勢頭 豊


 安倍晋三は、何が何でも辺野古新基地建設を強行するつもりのようだ。そのこだわりの理由が、長州藩主導の明治維新国家による国体護持思想にあるのは間違いない。それが岸一族のルーツから臭うし、穿った見方をすれば、「国盗り物語」の秘密を守り切ることが、彼の使命感のようである。

 その秘密とは何か?それは、新潟のトキは皇族上げて守るのに、辺野古のジュゴンは何故守ろうとしないのか?その態度を見ても分かる。理由は単純である。ジュゴンによって天皇制国家の正当性が失われる危険性があるからだ。しかも調べてみると、ジュゴンの沖縄語ザンに対する当て字が「神武」である。そのことだけでも、安倍にとっては恐怖であるに違いない。急ぎ辺野古を埋立て、国内のジュゴンを絶滅させないと、血脈の誇りを失うことになる。それが彼の御祖父さん孝行であり、美しい国の国体護持に努めねばならない使命感であろう。

 しかし何故こうも、辺野古を巡ってにっちもさっちもいかない情況に到ったのか。やはりことの起こりは、大政奉還時の明治政府の決定にあることは間違いない。天皇が日本を統治すべしとする、その正当性の論拠を、古事記・日本書紀の記紀神話の嘘に依拠したからである。…しかし、いくら西欧列強の歴史に恥じないようにとはいえ、勢い神武東征神話を利用し、神武を初代天皇とし、その即位日を紀元前六六〇年二月十一日に決定したのは…、やはり異常としか言えないのではないか。その異常さが現在日本サッカーチームの八咫烏のマークに現れ、また伊勢神宮を参拝し、悦に入り語る安倍晋三の異常さに繋がっているというのに、国民の誰もそれに気づかないのが恐ろしい。



 この異常な建国の大嘘を岩倉具視などが決定したという。だがしかし、日本人の侵略戦争の不幸が、この神武東征神話の嘘に始まったことは、まぎれもない事実なのである。従って戦後七〇年の日本人は、今こそ嘘つき国家の反省をすべき時。そのため神武神話の真実についても、まじめに検証すべき時だと思う。

 そこで記紀による神武東征神話だが、私の見たところ、それは二世紀後半(一七八~一八五)に起きた大乱後のヤマトを、宗教的正しでもって世直しに立ち上がったヒミコと、ウチナーのうない達の活躍のルートを伝えたものであった。

 宮崎の鵜戸に始まった世直しのルートだが、鵜戸の神話によると、豊玉姫・玉依姫という海神の姉妹、即ちジュゴンの姉妹から神武が誕生したストーリーになっている。それを読めば、ヒミコによるヤマトの世直しが、即ち神武信仰・龍宮神信仰によって行われたことが分かる。やがてヒミコ一行は高千穂から大分の宇佐へ拠点を移し、そこからさらに瀬戸内海を東へ進み、そして最後の目的地奈良へと向かう。そこが彼女の故郷だったからである。しかしその奈良は、ヒミコの両親を殺した暴虐なナガスネヒコ、つまり長くすねて抵抗している豪族の支配下にあった。そのため様子見で送った先遣隊が、白肩の津(現在の枚方)で返り討ちにあい、犠牲者を出してしまう。そこで作戦を変えた世直し軍は紀州に回り、熊野川を遡り、川上村を下って奈良に入り、豪族を退治。ヒミコは念願の奈良を倭国の拠点と定め、千人余のうない達を従えて百襲姫となり、アラ神の教え通りの平和な宗教国家大倭(ウフワ)を建国したのであった。その大倭(ウフワ)が大和になり、それをヤマトと呼ぶようになったのは、後の権力による。

 しかしながらヒミコ亡き後の大倭(ウフワ)の国は、崇神に政権を奪われると、次第に龍宮神信仰の迫害の歴史を辿ってしまう。特に空海により真言密教の毒が宮中に注入された後からは、さらに迫害の度が強まり、そこから逃れた人々がウチナーに里帰りして、琉球建国へと向かったのであった。

 即ち琉球王国とは、ヒミコの教えと龍宮神信仰を守る人々、いわゆるまつろわぬ民が建国した平和な理想郷だったのである。それを大琉球(ウフリュウチュウ)と称したのは大倭(ウフワ)の意志を継いでのこと。その大(ウフ)の元は邑(ウフ)で、龍宮神に守護された国、地域、物、人などを表した字であり、言葉であった。例えば大人を沖縄語でウフッチュというのは、それは龍宮神信仰の人を称してのことである。



 ところが明治政府にとっては、そのような琉球が邪魔であった。軍隊でもって圧力をかけ、強制的に併合し、その不都合な祭祀文化を処分。天皇を神と崇拝する国家神道への服従を命じたのである。明治初年の廃仏棄釈。四国高地の宿神信仰への圧力。さらに明治四三年の大逆事件等々。神話の嘘で建国した国体護持のため、恐怖政治の数々が国民を震撼させた。そして、「日本は神の国だから、大和民族は世界一優秀だから、戦争に負ける訳がない」という奇妙なシオニズムのまま昭和に突入。その結果、太平洋戦争敗戦の大破局を七〇年前の八月に迎えたのである。

 だがしかし、日本人は未だ真の反省をしていない。神国日本の神道文化のまま平気でいる。幸い沖縄はそうではなくなった。一九五二年四月二八日、サンフランシスコ講和条約で、昭和天皇が沖縄を切り捨ててくれたお蔭であった。四・二八を屈辱の日と騒ぐのは、洗脳された人間の言うこと。沖縄の女性達には、その日が呪縛からの解放の日であった。早速ヒミコの教えを守り、龍宮神信仰を各島々、部落ごとに復活させていったのである。

 因みにウチナーンチュが「トートーメー」と拝んでいるのはヒミコ、即ち奈良桜井の箸墓古墳に眠る「倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)」のこと。「倭国の尊い太陽の支配者の姫」の意味だがそのヒミコの別称が「天照大神」。このアマテラスヒミコの定めた神制こそが、ヤマトの「世直し」を成功に導いた龍宮神ジュゴンを祭り、国の平和・安全・豊穣を祈願することであった。沖縄・琉球はそれを復活させたが、しかし安倍晋三が参拝する伊勢神宮では、それが真逆である。こともあろうに龍宮神を外宮に置き、ヒミコに御食つを捧げる役にしている。これでは龍宮神に祟られ、再び災害列島日本は国体護持の一億玉砕の道を歩かされることにならぬかと心配だ。



関西共同行動ニュース No68