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被爆・敗戦70 年~日米戦争責任と安倍談話を問う 【「8・6ヒロシマ平和のつどい2015」代表】田中利幸


 副総理・麻生太郎が、13年7月29日、講演で「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気が付かなかった。あの手口に学んだらどうかね」と述べて、国民の大半が気のつかないうちに密かに憲法を変更してしまったらどうかと、破廉恥にも犯罪的と言える提案を堂々と行った。

 欧米諸国でナチスに学ぶことを提唱するこんな暴言を閣僚が公的な場所で吐いたならば、猛烈な批判を八方から浴びて即刻辞任を迫られるだけではなく、政治家生命が完全に絶たれることは日の目を見るより明らか。ところが、日本ではたいして「異常な発言」と受け取られないという社会状況が、まさに異常である。

 この麻生暴言は、1993年1月にヒトラー政権が成立するや、大統領緊急令を発令して憲法で定められた人権保証規定を棚上げしたり、政府が議会の決議無しに法律を制定できるような「全権委任法」を導入することで、憲法改定を行わずに、実質的には憲法改悪に匹敵することをナチ党が行ったことを指している。

 この麻生暴言から2年近くが経とうとしているが、今や、安倍内閣ががむしゃらに進めていることは、まさにこのナチス政権が行ったのと同じような「憲法棚上げ」の偽装欺瞞政策である。とくに、集団的自衛権行使解禁に基づく日米安保体制の根本的な見直し、その結果としての様々な新しい関連法の立法作業は、福島瑞穂議員が喝破したように、「戦争法案」作成以外の何物でもない。

 そうした法案の一つ、自衛隊による他国軍への後方支援を随時可能とする「自衛隊派遣恒久法案」に「国際平和支援法」などと欺瞞的名称を与えるなど、安倍政権は、恥じることもなく、虚偽に基づく立法で憲法9条を実質的には無効にする違憲行為を行なっているのである。かくして、「あの手口に学ぶ」ことは、麻生が奨めなくとも、安倍晋三が堂々とやっている。

 その上、この数年で、秘密保護法成立、「河野談話」「村山談話」の否定、沖縄米軍基地辺野古新基地建設、教育委員会制度改悪、残業代ゼロ政策、労働派遣法改悪案など、安倍政権が次々と導入している政策を検証してみると、それらの反民主主義性、基本的人権無視など政策そのものの劣悪さについてはあらためて述べるまでもない。

 さらなる問題は、その導入方法そのものが全て詐欺的な「だまし」であること、にもかかわらず大部分の国民が「だまされている」と意識すらしていないこと、そのことの危険性、重大性である。すなわち、今や日本では民主主義の原則が根底から崩壊しつつあるにもかかわらず、全般的に、その危機意識が国民の間では極めて薄い。

 しかも、こうした偽りとだましの政策の積み重ねの上に、今年半ばには「安倍談話」なるものを打ち出そうと画策中である。安倍晋三はこれまでの首相談話を継承すると言いながら、「安倍談話」では「村山談話」には触れないと述べ、またもや「ごまかし」と「大嘘」で「安倍談話」を作成する可能性が濃厚となっている。事実、2月10日には、安倍は建国記念の日を前にメッセージを発表し、「日本の素晴らしい伝統を守り抜くことで……改革に取組む」と述べ、「安倍談話」を考える上でも戦争責任問題を全く念頭におかないことをすでに示唆した。



 さらに、4月22日、ジャカルタで開催されたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での演説でも、安倍は、「日本は先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも(原則を)守り抜く国であろうと誓った」との述べ、一応は「大戦の深い反省」という表現を使いながらも、「植民地支配と侵略」については一言も触れなかった。したがって、彼が「大戦の深い反省」など全くしておらず、単に批判を避けるためだけの詭弁であったことは明らかである。

 もちろん、重要なことは、「談話」の表現がいかなるものであるかという技術的な問題ではない。肝心なのは、1931年から45年の15年という長きにわたって、アジア太平洋各地で残虐な侵略・占領行為を行い、推定二千百万人という数の死傷者を中国に、その他にも数百万という数にのぼる死傷者の犠牲をアジアの様々な国民に強いた、その日本の責任をいかに重く受けとめ、いかにその償いを果たしていき、どのような形でアジアの平和構築に貢献していくのか、そのことのビジョンを、日本を代表する首相が打ち出せるかどうかである。

 安倍は、日本の侵略戦争の責任と植民地支配の責任を否定することにやっきになっているが、日本の政治社会状況をここまで悪化させてきた原因は、安倍をはじめとする歴代の自民党総裁や有力保守政治家だけのせいではない。70年前、原爆と大量の焼夷爆弾を使った無差別大量殺戮という由々しい「人道に対する罪」を犯した国家責任が問われることがなかった米国は、戦後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争などで繰り返し無差別爆撃を続け、世界各地で多くの市民を殺傷してきた。にもかかわらず、その犯罪性が追求されることがなく、したがってなんらの国家責任も問われないままこの70年を米国はおくってきた。

 そのような「邪悪な戦争」をするたびに、いつも「正義の戦争」であると主張してきた無責任国家である米国、その米国の支配に完全に従属し、独立国でありながら米国の植民地のごとく自立性を失った政策を70年間も続け、国民への真の責任を回避してきた日本政府の無責任さ。そのような日米両国の無責任さにも、現在の日本の民主主義崩壊の大きな原因がある。

 同時にまた、そのような状況に断乎抵抗できる個々人の自立と確固たる信念、それらを支えかつ自己批判をも可能にする普遍的原理の内なる確立を国民的レベルなものとしてこなかった我々市民自身の責任も、ここで再確認する必要がある。 戦後70年を経たいま、安倍政権を打倒し、日本を本当の意味で人道的、平和的な社会にするような方向にその進むべき進路を矯正するためには、もう一度、戦後の様々な問題の発生源である「戦争責任問題」を厳しく再検討・批判し、いろいろな局面での日米両国の国家責任を詳しく問い直すことが、必要不可欠であると私は信じる。つまり「過去の克服」を国民的レベルで成功させない限り、安倍政権打倒は困難であり、日本社会の破滅を避けることもひじょうに難しいと私は考える。そのために、今年の「8・6ヒロシマ平和へのつどい2015」では、8月4日から6日の3日間をかけて「検証:被爆・敗戦70年―日米戦争責任と安倍談話を問う―」という集会を開くことを提案し、計画中である。みなさんからの強力な支援と協力をえて、この集会をぜひとも成功させ、安倍政権打倒の運動に少しでも貢献できれば幸いである。

 この集会のプログラムを含む詳細情報については、私の個人ブログの「集会案内」欄を参照してください。(アドレス:http://yjtanaka.blogspot.jp/




関西共同行動ニュース No68