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敗戦・被曝70 年への思想視座~今こそ天皇制の招曝責任を問へ! 【反天皇制運動連絡会】 天野恵一 


 戦後という体制(レジーム)を終わらせる、そう公言し続けてきた安倍晋三。彼があらためて首相になり、文字通り、戦後の平和主義・立憲主義原則を内側から、全面破壊し続ける暴走が繰り広げられつつある状況下で私たちは「敗戦後70年」という年を迎えている。

 マス・ジャーナリズムでは(8・15へ向かって)、あらためて「戦後」をめぐる論議が、「戦後の終わり」という状況の下で、ハデに繰り広げられつつある。今年は《3・11》福島原発震災後4年の年でもある。一方で《災後4年》というマスコミキャンペーンも《3・11》前後を軸に大量になされ続けているが、《戦後》という歴史意識(時間尺度)が《災後》という時間尺度に取って変えられるというような事態にはなっていない。《災後》と《戦後》は両立しているのだ。ほぼ十年くぎりで繰り返されてきた「戦後」論議は、常に、その戦後がいつ、どのように「終った」のか、あるいは「終る」のか、という点が中心テーマであったのだから、不思議な話である。

 しかし、安倍政権は、今度こそ間違いなく《戦後》を終わりにしようと「暴走」し続けているのだ。しかし、その政治姿勢は、戦後..自民党の伝統的な政治に沿ったものでしかないのは皮肉である。それはアメリカの巨大な軍事力に自発的に従属し、日本を軍事強国につくりかえるという路線である。それは4月30日に日本のマスコミに発表された安倍首相の米連邦議会での演説に象徴的に表現されている。

 この問題の具体的検討に入る前に、戦後という時間の下限は、どこかという問題について共感できる主張を眼にしたので、まず、それを紹介したい。西川長夫は、その最後の著作で(『戦後史再考』《平凡社・14年》)で、「明快でかつ挑発的」な定義として、こう主張している。 「それは戦後に作られた現行憲法が存続する限り私たちは戦後にある、というものです。…戦後は現在も続いています。戦前回帰を企てる右翼=保守勢力が『戦後レジーム』の打破と憲法改正を言うのは全く当然のことですが、憲法の規定によって任命された総理大臣の最大の任務は、憲法を守ることであって、憲法に反する言動は許されないはずです。しかしこの定義を適用すると、おれたちは『戦後』なんかは無縁だと内心思っている皆さんも、実はがっしりと戦後にとらわれているということになるのではないか」。

 私も、西川のこの戦後定義に従って問題を考えてみたいと思う。さて、首相の米議会演説である。それは、このようにスタートしている。

 「議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆さま、ゲストと、全ての皆さま、1957年6月、日本の首相としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。『日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります』/以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国首相として初めてお話する機会を……」



 そして、途中には、こういうくだりがある。「親愛なる、同僚の皆さま、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、あり得ませんでした。/顧みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉に会った通り、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。/日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国と共に、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今もこの道しかありません」(下線引用者)。
これが安倍政権の「戦後70年」を総括する言葉(歴史認識)である。

 アメリカ帝国主義の朝鮮、ベトナム、アフガニスタン、イラクへの侵略戦争への日本の協力・加担のすべての歴史を全肯定し、米軍の下に日本の自衛隊を組み込み、米軍が好き勝手に使える軍隊にするために「日本軍」をさしだしている現在の政策(「安保法制」)が、これに対応している。しかし安倍政権が打ち出している「強国」のイメージは天皇制帝国の皇軍の「復活」のイメージである。それは米軍と闘って敗れた軍隊なのだ。ゆえに、本当は彼等が提示する唯一の「この道」は、彼等の「復古」イデオロギーとまったく矛盾している。この根本的矛盾を糊塗することを可能にしているのは天皇制の存在である。あの侵略戦争と植民地支配の最高責任制度が、敗戦・占領をくぐって、アメリカの手を借りながら象徴天皇制として延命し、今日も存在し続けている事実である。この政権の改憲と正面から対峙している私たちは、戦後憲法の「平和主義」「人権主義」「立憲主義」は大切なものと考えるが、決して安倍改憲に「護憲」の立場を対置するわけではないのは、この点に十分に自覚的であるからだ。天皇制の延命を宣言している憲法「一章」は肯定しようもないからである。ここに戦後のスタートの誤りが象徴的に示されている。また、それが、広島・長崎への米国の原爆投下の責任を問うことすら、できなくさせてきたものでもある。国体護持(天皇制延命)の約束の取りつけでグズグズしている過程で、原爆はアメリカによって、待ってましたとばかりに投下された。この米日合作の「終戦工作」プロセスが象徴天皇制国家をつくりだしたのだ。

 「民衆の犠牲を配慮せず、ただ国体護持=天皇制存続にこだわり続けたために、アメリカの作戦にはまり、原爆投下を招いた。天皇制は招爆責任の究極的責任主体であったというべきであろう」(岩松繁俊『戦争責任と核廃絶』《三一書房・98年》)。

 安倍政権の無責任のきわみといった歴史認識=改憲政策に、私たちが対置すべきなのは、こうした思想視座である。戦後憲法の時間と空間に拘束されつつ敗戦・被爆70年を論ずる私たちが広くふまえるべきものはそういうものであるはずだ。


《資料》閣議決定により、安保法案を国会に提出この法案により、事態が日本存立の危機であると安倍が判断すれば、憲法9条に縛られることなく、日本自らが戦闘行為へと踏み込むことが可能になる。ただし米軍の尖兵として。それが浅はかな岸~安倍へと続く対米自立論の成れの果てである(古橋)。







関西共同行動ニュース No68