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「私はシャリルではない。テロの挑発をやめよ」…2015 年をどう闘うか 【東京造形大教授】  前田 朗


 2015年は戦後70周年と日韓条約50周年であり、その節目を焦点として、すでに様々な情報が流れ、取り組みも始まっている。

 他方、2015年の世界はパリ週刊誌襲撃事件という衝撃とともに始まり、フランスを先頭に欧州諸国では「表現の自由」の大合唱が沸き起こった。オランド大統領とフランス300万の熱狂は「私はシャルリ。表現の自由を守れ」と叫ぶ。日本でも政治家とメディアが興奮状態で「表現の自由」を唱えている。この状況をどう理解すべきであろうか。

■なぜ彼らは差別表現の自由にしがみつくのか

 戦後70周年、日韓条約50周年、パリ襲撃事件と「表現の自由」の大合唱―ここで問われていることは別々の事柄ではなく、〈現代帝国主義〉と〈新植民地主義〉というキーワードで繋がっている。グローバル・ファシズムが世界を席巻する現在、権力者が持ち出す「表現の自由」とは、戦争と略奪の自由であり、国家テロの開き直りにすぎない。「新植民地主義」とレイシズムが手を携えている。

 パリ襲撃事件後ただちに安倍晋三首相はオランド宛に「卑劣なテロは如何なる理由でも許されず、断固として非難します。日本はフランスと共にあります」というメッセージを送った(外務省ウェブサイト参照)。

 なるほどテロは許されない。それではオランドがイスラム教徒に加えている国家テロを安倍首相はなぜ非難しないのか。フランスは2003年のイラク攻撃に反対したが、アフガニスタンやシリアに対する空爆を支持し、2013年にはマリで軍事作戦を展開し、現在「イスラム国」を空爆している。今やラ・マルセイエーズは「イスラム虐殺行進曲」に他ならない。

 安倍首相は、オランドと手をつないで「私はシャルリ」と叫ぶキャメロンやメルケルの国がイスラム教徒を虐殺し、厖大な難民を生みだしたことをなぜ非難しないのか。

 フランスでは、スカーフ禁止問題に見られるようにイスラム文化に対する差別がはびこっている。イスラム教徒はフランス国籍であっても二級市民の扱いを受けているのに、安倍首相はなぜ「フランスと共にある」のか。

 答えは明快である。オランドと安倍の共通点―それが現代帝国主義と新植民地主義であり、排外主義とレイシズムである。

 パリ襲撃事件はフランスを「被害者」にした。これでかつてのフランスによる植民地支配や現在の人種差別から目をそらすことができる。フランスによる虐殺と迫害を「表現の自由」と「民主主義」の美名の下に隠すことができる。

 安倍首相が「フランスと共にある」のは、日本帝国主義の侵略と植民地支配を隠蔽し、朝鮮半島や中国に対する差別を正当化し、集団的自衛権をごり押しし、軍拡路線を歩むためである。2015年度予算案において防衛費は4年連続の増額となり、オスプレイ購入までがもくろまれている。




 「ブルカ禁止法」は、2010 年にニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)
前大統領の中道右派政権が成立させ、翌11 年に施行された法律。
社会党の現フランソワ・オランド(Francois Hollande)政権も同法
を全面的に支持している。
 同法では公共の場で顔を全て隠すベールを着用することを禁じて
おり、違反者には最大150 ユーロ(約2 万円)の罰金が科される。


■宗教的ヘイト・スピーチを擁護してはならない

 安倍首相だけではない。マスコミの多くが「表現の自由」を呼号している。一応は各社とも、風刺漫画が行き過ぎているのではないかとか、イスラム側が反感を抱いていることを指摘はする。だが、その指摘の仕方は、表現の自由を「普遍性」とみなし、イスラム側の反感を「特殊性」に押し込み、感情論で片付けるやり方である。 

 世界の多くの国々で「宗教的ヘイト・スピーチ」が犯罪とされていることを伝えたのは『東京新聞』(1月14日付「こちら特報部」)だけで、他のマスコミは事実を隠ぺいしながら「表現の自由」を語る。

 イスラムだけではなく、キリスト教国家でも宗教的ヘイト・スピーチを処罰する例は多数ある。リヒテンシュタイン刑法第283条は次の行為を2年以下の刑事施設収容としている。①宗教を理由とする、人又は人の集団に対する憎悪又は差別の公然煽動。②宗教集団メンバーを組織的に軽蔑又は中傷するイデオロギーの公然流布。ポーランド刑法第256条及び第257条は国民、民族、人種及び宗教の差異、又はいかなる宗派にも属さないことのために、公然と憎悪を煽動することを犯罪としている。

 ところが、パリ襲撃事件の興奮状態の中で、宗教的ヘイト・スピーチを表現の自由と強弁する感情論が支配している。

 マスコミが唱える「表現の自由」は差別表現の自由であり、マイノリティに対する侮辱である。「ヘイト・スピーチは許されない。しかし、表現の自由が大切だ」と称して、ヘイト・スピーチ規制に反対し、実際にはヘイト・スピーチに加担してきたのがマスコミである。マイノリティの表現の自由を無視して、マジョリティの差別表現の自由を謳歌してきた。

 「私はシャルリだ」と叫ぶことは「マホメットを侮辱しよう。イスラムを貶めよう」と言っていることに他ならない。


上:作家ウエルベック氏の最新作(西欧のイスラム化)をネタに
魔法使いの格好をさせ見出しは「賢者ウエルベックの予言」(6 日)

下:「私はシャルリ(襲撃された週刊誌)」のメッセージ
を手に、涙を流すイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画(14 日)


■東アジアに平和の海をつくるために

 2015年の日韓条約50周年に寄せて、私たちは「日韓つながり直しキャンペーン2015」という運動を発進させた。植民地犯罪の実相を解明し、植民地責任を問う視座を確立し、戦後補償の前進をはかりたい。

 戦後70周年に向けて、安倍政権は「安倍談話」なるものを発表するとしている。日本の植民地責任に言及した村山談話や、日本軍「慰安婦」問題に関する河野談話を骨抜きにし、棚上げするための策動である。安倍談話に抗するため、機先を制した朴談話や周談話を求めることも必要である。それ以上に私たち市民レベルの宣言をまとめて行くことが重要である。

 ここ数年続いているヘイト・スピーチについて、国会では人種差別禁止法を制定しようという動きがあり、地方自治体からも法制定を求める決議が相次いでいる。人種差別撤廃委員会を初めとする国際人権機関からの勧告を受け止めて、日本社会自身が差別に向き合い、ヘイト・スピーチを克服していく努力が必要である。

 東アジアに平和の海をつくるために、関係各国の信頼醸成と相互交流の深化が必要である。市民レベルでは歴史認識や領土問題に閉ざすことなく、より開かれた議論を通じて相互批判と相互理解を積み重ねることが大切だ。

(参考)日韓つながり直しキャンペーン2015
http://nikkan2015.net/





関西共同行動ニュース No67