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非戦の誓いと辺野古新基地建設阻止の共同行動を! 【衆議院議員】 照屋寛徳



 2015年、戦後70年の節目の新年を迎えました。

 ハイサイ、カンサイ(関西)ヌグスーヨ、イイソーグヮチデービル(関西の仲間の皆さん、新年おめでとうございます。)。

 さて、過ぐる14年は、沖縄政界にとって激動の一年でありました。

 13年末に沖縄選出・出身衆参国会議員5人、そして自民党県連が政府権力に屈服し、普天間基地の「辺野古移設反対」の選挙公約をかなぐり捨てて「辺野古新基地建設推進」に転じたこと、そして仲井真知事(当時)がわずかばかりの振興策と引き換えに、辺野古埋め立てを「承認」したのが発端です。いらい、ウチナーウマンチュのマグマのような怒りが各種選挙で「民意」として噴出し続けました。「民意の反乱」です。

 昨年1月の名護市長選挙では、石破幹事長(当時)による醜悪で露骨な利益誘導など安倍内閣と自民党の様々な懐柔策や恫喝にも負けず、「辺野古の海にも陸にも新たな基地はつくらせない。」と公約した稲嶺市長が大差で再選を果たしました。沖縄の「地方統一選」にあたる夏の名護市議選挙でも、稲嶺市長与党が多数を占め、「辺野古新基地建設反対」の名護市民の民意はより鮮明なものとなりました。

 結果として、日米合意に基づく安倍内閣による強権的な辺野古新基地建設の動きは、美ら海辺野古の海上で、キャンプ・シュワブゲート前の闘争現場で、さらには県庁前や普天間基地周辺で、市民・県民の非暴力による創造的な抵抗に遭い、本格的な工事着工は阻止され、今日に至っております。

 そして迎えた11月、天王山の県知事選挙は、辺野古新基地建設推進の安倍内閣と自民党が推薦する現職・仲井真候補と「イデオロギーよりアイデンティティ」との思いで決然と立候補し、「オール沖縄」「建白書」勢力が推し翁長雄志(前那覇市長)による事実上の一騎打ちとなりました。

 「オール沖縄」の枠組みで構成される翁長陣営は、知事選挙でよく「保革を超えた共闘」と表現されましたが、私は、従来の革新勢力と良心的な沖縄の「真正保守」による共闘であった、と当時も今も評価しております。

 現に、自民党県連から除名されながらも「オール沖縄」を旗印に「ひやみかち うまんちゅの会」(翁長選対)に結集した那覇市議団(新風会)の面々は、口々に「自分たちこそ沖縄の真の保守だ」と言っておりました。「真正の沖縄保守」を自認する議員や経営者らに通底するのは、悲惨な沖縄戦の体験者、あるいはその継承者である。彼らと行動を共にして、そのような思いを強くしております。

 ご承知のように、県知事選挙の結果は、約10万票の歴史的大差による翁長候補の圧勝でした。

 私は、県知事選挙の告示日から投開票日まで、一貫して翁長候補圧勝を信じて疑うことはありませんでした。なぜなら毎日のように県内各地を廻り、多くの有権者と接する中で、悲惨な沖縄戦で20万余りの尊い命を失い、その後の27年間に及ぶ米軍直接支配下で基本的人権を抑圧され、平和的生存権を奪われながらも、したたかに生き抜いてきた県民が、戦争をするためだけの巨大な辺野古新基地建設に強い反対の意思を持っていることを確信したからです。戦争につながる一切のものを拒否し、非戦を誓うウチナーウマンチュの意思は固く、決して揺らぐことはない、と改めて確認しました。

 一方で、ウチナーを軍事植民地のように扱い、差別と分断統治で新基地建設を目論む安倍内閣と自民党は「経済振興」という名目の懐柔策(予算措置)で自分たちの意のままになる操り人形(仲井真候補)さえ擁立すれば、勝てる選挙と踏んだのでしょう。しかし、それも大誤算に終わりました。

 圧倒的勝利による翁長新知事の誕生で、「辺野古新基地建設反対」の確固たる民意は安倍内閣(ヤマト政府)だけでなく、アメリカ政府や国際社会に向けても示されたのです。

 県知事選挙が最終盤に差し掛かった頃、永田町で風雲急を告げる解散風が突如として吹き荒れ、「11月21日解散―12月14日投開票」の解散総選挙を迎えることとなりました。

 沖縄では、衆議院選挙でも県知事選挙と同じく、辺野古新基地建設の是非が最大の争点となり、「オール沖縄」の「建白書」勢力と自民党公認・公明党推薦候補が各選挙区で対決しました。

 選挙結果は、1区から4区全てで「辺野古新基地建設反対」を公約し、翁長知事を国政で支える立場を鮮明にした候補者が当選しました。シタイヒャー!(やったぞ!)

 ところが、全国的な自民党圧勝の影響で、沖縄における自民党公認候補も全員「比例復活」してしまいました。嗚呼・・・。

 「公約破り」という大罪をすでに犯している彼ら自民党国会議員は、今後もウチナーの民意に背き、政府の手先として振る舞ってくるでしょう。小選挙区比例代表並立制という現行選挙制度の「負の側面」がもろに露呈したとはいえ、ウチナーの民意に全く反する政府の操り議員を誕生させてしまったのは残念でなりません。

 私は今度の衆議院選挙でも、日本中で一番多く米軍基地が集中し、この国の「安全保障の縮図」のような沖縄2区から立候補しました。

 選挙区内に普天間基地を抱える私が公約に掲げ、具体的に強く訴えたのは、同基地の辺野古移設反対と「国外・県外移設」による一刻も早い閉鎖返還でした。

 結果は、私が8万5781票(得票数62.2%)で相手候補に3万3625票の大差をつけて当選することができました。沖縄2区管内では、知事選における翁長候補の得票率を10ポイントも上回り、宜野湾市では6185票差と知事選の2倍強の票差をつけたことからも、宜野湾市民をはじめとするウチナーウマンチュの「辺野古ノー」の民意の強さは明らかです。

 今や政界の“絶滅危惧種”と揶揄される社民党の私が、小選挙区で5連勝できたのは、政府の強大な圧力に不屈の魂で対峙せんとする有権者一人一人の強い意思の表出に他なりません。決して、テルヤ個人や社民党が勝ったのではなく、ウチナーンチュの誇りと人間としての尊厳回復を求める民意の勝利です。

 沖縄における「選挙イヤー」の14年が幕を閉じ、敗戦70年の節目となる15年を迎えました。

 安倍政権は、依然としてウチナーの民意を踏みにじり、辺野古新基地建設を強行せんとしています。そればかりか、安倍政権は集団的自衛権行使容認の「この道」の先にある「戦争国家」に向って暴走しております。

 安倍政権が、このままウチナーの民意を無視し続け、沖縄差別と基地負担の犠牲を強要し続けるならば、ウチナーとヤマトの亀裂は拡大し、やがて埋めがたい溝となるでしょう。そのとき、ウチナーンチュは自己決定権を求めて「独立」へと突き進むやもしれません。

 関西の仲間の皆さん、ウチナーとウチナーウマンチュは「同情」ではなく、「真の自立する連帯」を求めています。県境を越え、国境をも超える「辺野古新基地建設阻止」の共同闘争を共に構築してまいりましょう!


シュワブゲート:15日午前0時すぎ(田嶋正雄撮影)



関西共同行動ニュース No67